Eight & Bob
エイトアンドボブ| 戦火を超えて現代に蘇りし大統領と貴族の友情の香り
「8つの香水を私に、そしてもう一つを弟のボブに」という第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディが若かりし頃、フランス貴族の友人に送った手紙がブランド名「EIGHT&BOB (エイトアンドボブ)」の由来。1930年代、パリの貴族アルバート・フーケは、執事のフィリップと共に自分自身のために最高品質のフレグランスを自作していた。パリの社交界はその極上の香りの話題で持ちきりだったが、彼は断固としてそのレシピを公開したり、それを販売することをしなかったという。1937年の夏休みにコート・ダジュールで夏のバカンスを過ごしていた折に、アルバートはオープンカーでフランスを旅していたアメリカ人学生と出会い、意気投合することとなった。かのジョン・F・ケネディである。ケネディもアルバートの人柄と彼が身につけていた香りにすっかり魅了され、アメリカに帰国した後もその香りを忘れられず、冒頭の内容の手紙をアルバートに送ることとなった。アルバートはケネディが夏に着ていたシャツと同じ柄の箱を準備し、「EIGHT&BOB (エイトアンドボブ)」とラベルを張って9本の香水をアメリカへと送った。数カ月後、ケネディの紹介によってハリウッドの大物俳優や映画監督から香水の注文が殺到することとなり、「EIGHT&BOB (エイトアンドボブ)」は一躍香水業界の話題を独占したのも束の間、1939年の自動車事故でアルバートは帰らぬ人となってしまった。すぐ第二次世界大戦が本格化し、アルバートの邸宅がナチスに接収された際には、本をくり抜いてそこに香水とレシピを隠すという、執事のフィリップの機転によって、この貴重な香水たちは戦火を免れることとなった。数十年の歳月を経て、フィリップが残した数々のレシピが彼の子孫によって発見され、3年以上の月日をかけてそれらの香りが復元・再生産されることとなった。
なお、アルバートは生前の1934年に、イタリア大使の招待によってチリに訪れ、アンデス山脈で特別な芳香植物を発見し、それを「アンドレア」と名付けている。アンドレアは、標高が高い場所にしか育たず、生産量が非常に少なく、12月から1月にかけてのわずかの期間しか収穫できない野生の植物である。採取された植物のうち、わずか7%しか最高の香水原料として認められない非常に厳しい選定プロセスが実施され、その収穫高をみて「EIGHT&BOB (エイトアンドボブ)」の毎年のボトリング本数と各国への割り当て数が決定されている。