THE SEX OF SCENT

Illustrations: Claire Braud

『香水と性別』

香水と性別、
そして性別を超えた誘惑というテーマにおいては、
長い歴史の中でいろいろな変遷がある。
それらの関係は神話、宗教、
医学など多岐にわたるカテゴリに根ざしている。
現代においても香水には男女の区別がまだ残っているが、
その区別は、嗅覚的にはどんな意味があるのだろう。
香りによって、ある人の鼻は惹きつけられ、
別の人のそれは惹きつけられないという
違いがあるのはなぜだろう。
歴史、マーケティング、人類学、社会学、
生物学などの複数の視点から、
ジェンダーと嗅覚的な誘惑について深く掘り下げて探ってゆく。

By Eugénie Briot

男が香りをまとうのはそう簡単なことではない

ウジェニー・ブリオ(ジボダン社 ヒストリー・トランスミッションプロジェクト・マネージャー)

純潔の象徴であるか罪のそれであるかはさておき、西欧において香りは女性向けの御守りのようなものであるとほぼ無意識的に見なされてきた。清潔を保つため、あるいは悪臭や病気から身を守るため、香りを発するさまざまな商品が今でこそ男女両方によって利用されているが、男性的規範と市場心理の変遷の結果として、人を魅了するための香りが男性向けに登場し始めたのは実は二十世紀初頭に入ってからにすぎない。

西欧的想像力において香りは女性的イメージにあまりに強力に紐づけられているため、それを解きほぐすことは困難だ。そのため男性が香りを用いることは長らく論争の種となっていた。あたかも香りの使用が男らしさへの冒涜であるかのように。とはいえ中世においては騎士が理想的男性像を体現していた一方で、アンシャン・レジーム期(訳注:フランス革命以前のブルボン朝、特に16-18世紀の絶対王政期のフランスの社会・政治体制をさしている)には宮廷人というまた別の、そして十九世紀にはブルジョアというまた違った理想像があったわけで、このように男らしさという概念は力強さと洗練さのあいだで微妙なバランスを保ちながら、時代とともに変遷していった。そしてそのなかには男性が香りを用いることに対し寛容な時代もあったのだ。寛容度を表すグラフ曲線が上向けば上向くほど、理想的男性像からほとばしるテストステロンの値は逆向きの勾配をたどるといった案配だ。

あまり理解されていないことを簡潔に補足しておこう。「香水(パルファム)」という両義的な語彙のもとに、異なる社会的機能、そして異なる象徴的役割を備えた2つの商品的カテゴリーが実際には共存する形で存在している。まず第一のものとして、周囲に印象を与える目的から、それをつける者に対し追加的に匂いを付与する役割を担う側面がある。多くの場合、その香りの目的は誰かを誘惑することであり、少なくとも他者に気付かれ、そして気に入られるためにこそ香りは使われる。香水は人の身体の上にはっきりと分かる形でしるしをつけるのだ。そして第二に、その社会的な役割として、体の匂いを緩和し、覆い隠し、消し去るための製品としての香りがある。衛生用品としてのこれらは使用した瞬間に香り、しかしその香りはすぐに消えるので、社会という領域において痕跡を残さずにすむ。もはや私的領域に限った話ではないということだ。十九世紀にはオーデコロンやラベンダー化粧水が、身繕い用の水に香りをつけ浄化するためのものとしていたるところに見られた。これらが特徴的だったのは、その香りが皮膚や衣服に混ざり合うことで、清潔さを与えたことだ。毎朝の髭剃りで香りを与えながら同時にその香りを洗い流してもくれるこれらの製品は、このようにして男たちのなかで重要な地位を獲得していった。

手袋職人、薬屋、理髪師

香りを取り扱う商人たちがどのような仕事をしていたかを見ていけば、この「香水(パルファム)」という語の持つ両義性の説明もつくだろう。アンシャン・レジーム期には組合が職人と商業を統制していた。手袋職人は調香師も兼ねていたと言ってよいが、彼らが調合する香りは手袋の皮をなめす際に生じるきつい匂いをごまかすためのものだった。小売商人たちは香りを作ることができなかったが、それらを販売し、香水瓶をきれいに陳列し美しく見せることが許された。このような伝統から、香りと被服の世界が象徴的に近似しているということが見て取れるだろう。一方で、薬屋と理髪師も療法と衛生に役立てるため香りつきの製品を複数調合し、香りに結びつけられた西欧的想像力の形成に寄与した。とりわけ英国においては正教会がその使用に対し強い影響力をおよぼしていたため、1770年の議会の決定により、慈悲深き女王陛下の臣民たる男性を香りの使用やその他の策謀によって誘惑し婚姻関係に誘いこんだと認めたすべての女性は、魔術を使ったかどで法により罰が課される恐れがあった。この点、薬屋と理髪師の取り扱う香りは衛生目的であったため道徳を侵害しなかった。つまり十九世紀の商店のなかはこんな感じで、手袋職人兼調香師の香りつきの水、小売商人のこまごまとした装飾品、理髪師と薬屋の衛生用品がいっしょくたになってひしめき合っていたわけで、このような多重的な関連性が香りを文化的な視点からとらえることを困難にさせる。仮に各カテゴリー間に連続性が認められたとしても、香りを使うこと、使用される文脈、規範、それらすべてに宿る複数性が織りなす現実によって、異なるさまざまな産物が生み出されるからだ。とりわけ性別が問題となる場合には。

罪深き女の香り

キリスト教では神に香りを捧げることは認められているし、自身が使用することも衛生目的でなら許容されている。しかしそれ以外での使用はすべて魔術と見なされる。誘惑目的なら特にだ。新約聖書にはキリストの人生において香(アロマ)が使われる場面が3ヶ所登場する。すなわちキリストの生誕から12日後、東方の三博士が彼のために香を焚く。そしてキリストの人生の最期においては、彼とともにガリラヤから来た女たち(『ルカの福音書』23章56節)、アリマタヤのヨセフ、そしてニコデモ(『ヨハネの福音書』19章40節)が香の準備をし(ヨハネによればミルラとアロエの)、キリストの亡き骸をかぐわしい香りで満たし、墓に埋葬する。しかし香りの世俗的使用を断罪し続け、神の崇拝にのみその使用の正当性が認められる(『ルカの福音書』7章 36-49節)という教えを定着させたのは、あの他ならぬ、キリストの足に香油を塗り捧げた罪深きマグダラのマリアだった。香りとは祈りを伝える手段でありすなわち神との「垂直的」交渉を行うための手段となり得るものなのだから、それを人間同士の「平行的」交渉に役立てようとするならば、香りは堕落してしまっている。まったく不運としか言いようのないのは、エステル、ジュディス、サロメと、聖書のなかで香りと強く結びつけられたこれら3人の人物たちがなぜかそろいもそろって、彼女たちを取り巻く男たちにとっての悪女だったということである。だからこそ男たちはこの誘惑する、という属性を女性に対し押しつけ続けあらゆる嫌疑をかけ続けたのであろう。

女性による香りの世俗的使用は、それが隠匿の意志を示すものであるだけに余計に罪深い。ここで隠匿されるのは、原罪の匂い、すなわちイヴの匂いである。女性の持つ生来の匂いは、モーツァルト作のオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を引くとすれば、罪の匂いに他ならない(「女の匂いがするぞ!」)。それは女が悪魔であることを示す匂いである。エミール・ゾラの『ムーレ神父のあやまち』では修道士アルカンジアがその匂いのなかに誘惑者の存在を見出し、以下のごとき、まったく遠慮のない言いかたでムーレ神父に警告する。「やつらは身体のなかに悪魔を飼っているのです。やつらからは悪魔の匂いがする。脚、腕、腹、いたるところから匂ってくる……。それが馬鹿者どもを虜にしちまうんです」。くわえて十九世紀の医師たちがこの明白な主題に関し躊躇することなく学説を立てた。「元来香りの起源は宗教にあった。長きにわたって香りはもっぱら神と死者を崇めるために用いられてきたが、その後女たちがこれを独占した。男に影響を与えるという目的から。そして聖書に頻繁に言及されている以上言うまでもないことかもしれないが、悪臭を浄化、ないし覆い隠すという目的から」、そうエルネスト・モナンは『人体の匂い、原因と治療』(1903年刊)のなかで述べている。

ムスク、シベット、ペルー・バルサム

ということは男性が香りを用いることは「男らしさ」を損なうものととらえられるのではないかと、そう思われる向きもあるかもしれない。しかしながら時代によっては、例えばアンシャン・レジーム期においては男にとって香りをつけることは、たとえ強いそれであったとしてもそうあり得ない話でもなく、男らしさを損ねるものでもなかった。歴史家カトリーヌ・ラノエによる十八世紀における香りの研究に詳しいように、貴族がかぶるカツラにはしばしば香りつきのパウダーが用いられた。べトゥーヌ侯爵はマレシャル粉(アイリス、オレンジブロッサム、ローズ、コリアンダー、クロブ)を用いた。ラ・トレモワール伯爵はキプロス粉を、コワニー伯爵はナデシコの粉を用いた。小説、とりわけ恋愛小説にはより私生活に根ざした例が確認できる。アラン=ルネ・ルサージュは『ジル・ブラース物語』(1715年~1735年刊)のなかで次のように書いている。「私は体じゅうにポマードをこすりつけた。私は白いシャツにたっぷりと香りをつけたうえで着こみ、私の恋人を魅了することに寄与し得るあらゆることについて何ひとつ抜かりがないことを確認すると、逢引きに出かけた」。男性が香りを用いる理由は多岐にわたった。ひとつは衛生だ。ジョルジュ・ヴィガレロが『清潔と汚れ』(スイユ社、1987年刊)のなかで述べているように、十七世紀から十八世紀初頭にかけての身繕いの特徴は乾燥にあった。男性も女性も香りを染みこませた白い布で自分の体をこすっていたのである。このような使われかたは香りを再び衛生用品に結びつける。したがってその使用は罪ではない。使われる量もたっぷりだったということは、それだけ覆い隠すべき体臭が強かったということを意味しているが、アラン・コルバンが『瘴気と黄水仙』(オービエ=モンターニュ社、1982年刊)のなかで記しているように、十八世紀半ばごろから嗅覚的許容度が厳しくなったということとも関連している。同じころ、香りが予防として、つまり療法として(したがって正当に)使用されたことも軽視できない。それについてはアニク・ルゲレ『香りが治療をもたらす時。修道院の庭、王子の庭』(ガルド=タン社、2009年刊)に詳しい。ローズマリーをアルコールとともに蒸留した、オーデコロンの祖としても知られるあのハンガリー王妃の有名な水は十七世紀から十八世紀にかけていたるところに見られた。悪い空気から、すなわち病気から身を守るためにも男は香りを、ときに強いそれをまとった。それがどのくらい強かったかについては、『フランスの調香師』シモン・バルブが1693年に提供した「自身につけるための配合」に次のような証言がある。「すり鉢のなかでムスク4粒、シベット2粒をすりつぶす。そこにペルー・バルサムを4滴加える。そしてそれらを少量の綿で集めた後、瓶またはお椀のなかに入れる」。

男性のためだけの

一方で革命後に西欧の男性に課されたあるべき理想像は、しかしながら香りについては弱い影響しかおよばさなかった。アラン・コルバンが『男らしさの歴史』(スイユ社、2011年刊)のなかで強調したように、十九世紀には男性的美徳に変質が起こったからだ。男女の差は服装のちがいによって際立つようになったのである。必ずしも社会的階級の区別を示すものではなかったにせよ、黒い服は男性的力強さを示すための衣装となった。これと対比されるのが、女性の化粧と服の色の派手派手しさである。より一般について言えば、価値あるもののためなら死すらいとわぬという自己犠牲が要求されるようになったことで、社会の男性性が強まった。1872年に兵役が義務化されると男性しか入れない閉鎖的な場が多く増え(喫煙室からクラブ、売春宿まで)、名誉の決闘も一般化した。民衆のレベルでこのようなことが起こるのは比較的新しいことである。十九世紀の医者たちは相も変わらず女性の体臭についてあれこれ言っていたが、一方で健康な男性のそれについては自然で力強いものとして対比させながら強調した。「力強い男となよなよして女々しい男は匂いで区別するべし。精液が放出されることにより発汗作用が起こり、体全体から強い、いささか悪臭でさえあるアンモニア臭が発せられるからである。これに対し弱い男は子供やおなごのように酸っぱく、どこか味気ない匂いがする」と、ジュリアン=ジョセフ・ヴィレー著『人類の自然史』(1800年~1801年刊)にはある。これはもう以前からずっとそうであるが、男性に固有の香りの製品がいかに消費されてきたかを正確に把握するための情報源が不足している。さまざまな手引き書を見ても十九世紀の男性の香りをめぐる規範がいかなるものであったかを示す情報はほとんどない。せいぜいのところ、ご婦人たちの不興を買う恐れのあった煙草の消費を慎むことが厳しく求められているくらいだ。「男たるもの自分の体からすべての匂いを締め出すべきである」、そうスタッフ男爵は十九世紀終わりごろ『世界の使用法』のなかでよりラディカルに宣誓した。当時、香りのラインナップに男性用女性用の区別はなかった。オードトワレ、各種エッセンス、化粧石けん、オイル、ヘアオイル、ポマードなどなど。同じ製品が男女の区別なく万人に使われていたと思われる。男性だけに使われた化粧品を挙げるとすれば髭用ワックスくらいであろうが、それには通常香りはなかった(例外的にバイオレットの香りをつけられることはあったが)。注文や納品など含め、商品がどのように取り引きされていたかの詳細は不明である。ファステンブルグ王子カール・エゴンがピエール=フランソワ=パスカル・ゲランに向けて小さな瓶入りのバイオレット・フレグランスつきポマードを注文していたことがゲラン社のアーカイブから分かったとしても、それが本人が使用するために注文されたのかを示すものは何もないのである。それが贈答用だった可能性も同じくあったわけで。

十九世紀の手引き書は慎みを求めていた。「男たるもの自分の体からあらゆる匂いを締め出すべきである」そうスタッフ男爵は『世界の使用法』のなかでラディカルに宣言した。

紳士のためのオードトワレ

しかしながら1906年、コルゲート社がフランスの市場に向けた一枚の広告チラシによってその疑問が解消する。その広告には「コルゲート香水店がジェントルマンにおすすめする化粧品とは」と題されていた。アメリカ合衆国ではマーケティングがその誕生の萌芽を見せ始めていたころで、それにより各購買層に最適化された広告コピーが明示され、男女各層が何を期待し何を買うかを同定することも見られるようになった。しかしさまざまな香りのバリエーションこそあったものの、男女の分離は、まだそこまで進んでいなかった。その広告はコルゲート髭用石けん、コルゲート歯磨き粉を宣伝するものだったが、そこで同様に宣伝されていたのが、バイオレット・フレグランスつきのコルゲート・オードトワレであった。「うっとりするほど爽やかな」「髭剃り後のひりひりをやわらげることにかけては他に類を見ない」、そして洗顔時には「心地のよい香りのする」。同時に、「種類豊富な香りのオードトワレ。ヴァイオレット、ヘリオトロープ、カシミアブーケ、ミュゲ、などなど」、要するにこれらは男性の使用におすすめということである。しかしながらこれらの香り製品は衛生用品に属するものであり、というのも本来オードトワレとは身繕い用の水を浄化し、軽く香りをつけることを目的とするものだからだ。注目すべきことにハンカチに、したがって男性自身にも香りをつける(今日使われている「オードトワレ」または「オードパルファン」に該当する)「ハンカチ用エキス」についてはここではまったく触れられていない。

文学における情報源はより豊富で詳細だが、消費それ自体の情報というよりかははるかにイメージのほうに重きが置かれている。いくつもの作品がオーデコロンが男性に使われていたことを証言している。エミール・ゾラの『テレーズ・ラカン』(1867年刊)においてロランはテレーズと結婚する一週間前義母から結婚資金として500フランを受け取るが、「美しくなりたかったため」結婚式の朝にオーデコロンを使って自らに香りをつける。ジュール・ヴァレス『蜂起する人々』(1886年刊)ではジャック・ヴァントラスが10ダース分の黒石けんを買い、同じ階の隣人からオーデコロンの瓶を借りてニシンの匂いを消し(その蜂起した人々が腹を満たすためにニシンの樽を壊したのだ)、「途中で銃剣がかすっても」「白い服ときれいな靴で」病院までたどり着こうとする。フロベール『ボヴァリー夫人』において主人公エマ・ボヴァリーはバニラとレモンの香りをかぐ。その香りは愛人ロドルフの髪を光らせているポマードのものだ。「彼は腕を膝の上で交差させていた。その姿勢を保ったままエマのほうを向いて顔を上げ、彼女のことを近くからじっと見つめた。彼の眼差しのなかにきらりと金色の光が差し、その光が黒い瞳からあふれ出るのを彼女は認めた。そして彼女は彼の髪を光らせているポマードの香りを感じた。ふんわりとしたやわらかなものが彼女のことをとらえたとき、彼女はこの子爵がヴォービサールで自分をワルツに誘ったことを思い出した。そのときの彼の髭からも、今のこの髪のようにバニラとレモンの香りがした。そしてほぼ反射的に、彼女はその香りをもっとよくかごうとまぶたを半ば閉じるのだった」。

香水のように香らない香水、それこそが男性的フレグランスの理想である。つい最近までそんな時代だった。衛生に価値が与えられ、香りの誘惑は男らしさを損ねることだった。

性別の戯れ

しかし男性のこうした使用例は、こと香りという観点から見れば、まだ男女の区別のない一般的な文脈のなかにとどまっている。使われていたのは依然としてオーデコロン、ポマードといった化粧用というよりも衛生用の品々であり、香りのエッセンスではなかった。十九世紀の男性にとって、特定の私生活の外に嗅覚的アイデンティティを求めることは問題外であったからだ。そうした節度が守られなければ、男らしさが疑義にふされることになる。だからこそ、この時代の小説では匂いの痕跡が性別で、特に同性愛という属性で戯れるための遊びの道具となったのだ。ルイス・デルディ『セイレーンの男』(1899年刊)で懺悔室にいるエドゥアール・ドールがつけているヘリオトロープの香りは、悩ましいと同時に、誤解の種ともなった。「順番を待っているあいだ自分の膝を入念に固い小さなベンチの上に押しつけているうちに、彼のまとっていたヘリオトロープの香りが分厚いドレープのごとく小さな空間を覆いつくしてしまった。[...]彼が長々と自らの過ちを開陳し告解師(訳注:カトリックで告解という信徒からの罪の告白を聞き、宗教的法に沿った罪罰を与え許す役職)からの微妙な質問にも率直に答えてみせると、告解師は短いが心のこもった言葉を彼に投げかけ、そして赦しを与えた。『安らかに行きなさい、私の娘よ』、そうこの真面目な男はささやいた。彼は繊細な香りに心地よく鼻腔をくすぐられ、そこにいる改悛者が女であると思ったのだ。『今後は主を悲しませるような、みだらな肉体の罪を犯すことは慎むように』」。この「みだらな肉体の罪」の告白シーンから明るみに出たかような誤解から、感覚だけに頼ったとき、香りというものがいかに女性的なしるしであったかが見て取れるだろう。とはいえほぼ同時期にヘリオトロープのオードトワレが男性用の商品としてコルゲートによっておすすめされていたわけで、ということはすなわち、問題となっているのは香りの質(ノート)ではなく量(ボリューム)のほうなのであって、それによって告解師の鼻は改悛者の性別を判断したのではないか。十九世紀におけるこのような文学作品には重々しくたっぷりと香りをつけた同性愛者の男の例に事欠かない。したがって香りの過剰は性別を曖昧にしてしまう。

1850年、タミジエ社が『モード小誌』と『よき礼儀作法』にオードトワレの「オーナポレオン」の商品広告を載せたとき、このメーカーは「1810年ナポレオン皇帝のために作られ、彼はそれを特に入浴時に使用した」と説明したが、同時に「トワレに必要な条件をすべて満たしており、香りというよりむしろフィーリングを残す」と記載していた。香水のように香らない香水。つい最近の時代までそれこそが男性的フレグランスの理想だったのだ。衛生に価値が置かれ、香りで誘惑することは男らしさを損ねるものとして見なされていた。

力強さ、自然さ、飾り気のなさ

残すはウビガンのあの名高き「フジェール・ロワイヤル」である。1882年に作られた、ラベンダー、ゼラニウム、クマリンから成るこの歴史的名香が道を切り開いたおかげで、ほぼ男性だけに特権的な香りの分類が生まれたと言っても過言ではない。社会的に容認可能な範囲内であれば、そのノートそのものも容認される。十九世紀に生まれた多くの香り製品がそうであったように、このフジェール、すなわちシダもまた、合成香料による産物であった。次いで二十世紀初頭以降、とりわけ第二次世界大戦後、マーケティングの誕生とともにアメリカ製品の影響が増し、さらには性別ごとの香りを作る機運の高まりもあいまって、この「フジェール・ロワイヤル」に似た香り(フゼア系)が、男性に固有のノートとして区別されるようになった。香り製品の供給が増大するにつれ、ターゲットとなる対象もまた女性層と男性層を分けて考えるようになったのだ。ところで、香水とは遠くからではよく分からない製品である。ブティックの外からその香りをかぐことは困難だ。しかし香水瓶、包装、そして香水を取り巻く数々のキャッチコピーのおかげで顧客たちはブティックの敷居をまたぐずっと以前から、その香水の存在を認知しその価値を判断することができるのである。香りに関する数多くの用語のなかでも、「フジェール(シダ)」という語はほぼア・プリオリ(訳注:経験に先立って存在する、または経験から独立して認識されるという意)にひとつの美点を意味するわけだが、というのもこの植物は本来はいかなる匂いもせず、しかし一方では力強さ、自然さ、そして良質なものだからこその飾り気のなさ、といった良い意味で男らしい価値を体現しているからであって、その美点によってこそ、過剰な豪奢を嫌う顧客層からの支持が保証されるのである。香りがフゼアであることを明記することは、書かれている文面を豊かにし製品に価値を与えるために博識ぶって物を言うことを意味するが、同時に、まったく何も言っていないことと同義である。専門家をのぞいて、この香調が何を意味するか知る者はほとんどいないからだ。女性用の香りにおけるここ一世紀以上にわたるバイオレットの成功は、おそらくその香りが節度と慎ましさという、十九世紀の人々が女性に対し求めていた性質と見事に合致していたからである。小さく魅惑的な花であるが、自らの居場所にとどまり、葉の影に隠れ、それを見たいと思う者にしか自らの美しさを明かさない。フゼアはその男性版である。その言葉は安心感を与え、悪趣味に対する防波堤の役割を果たす。
二十世紀になると男らしさの規範が決壊し、男性が香りをつけることに対しさらなる柔軟性が与えられることになる。第一次世界大戦の衝撃により十九世紀から受け継がれた無骨な男性的理想は解体され、多様で、より開かれた、複数の男性像が立ち現れる。そして男性は、それまでご婦人がたのために用立てられていたはずの製品を買うよう新たに求められるのである。第二次大戦後、市場の拡大のなかでフゼア(シダ)系の香りは第一線で活躍する。フゼアはあらゆる男性向け衛生用品を支配し、誘惑のための香りをも包囲する。このフゼアをベースにして、複数のノートが花開き、男性的香りの伝統に新たな色彩を加えることとなるのである。


翻訳:藤原寛明/監訳:中森友喜

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