科学者たちは魅力のメカニズムにおいて香りが主要な役割を果たしていることを認めている(本特集「魅力の化学」を参照のこと)。ではいかにして鼻のおかげで欲望が生まれるのだろうか?嗅覚を利用して人を操ることは可能なのか?この嗅覚と誘惑のつながりを探るために、私は現実とファンタジーとが混じり合う世界のど真ん中で生きる人たちに会いにいくことにしたのだった。
私の調査はある水曜日、22時30分ごろ始まった。パリの「シークレット・スクエア・ストリップ・クラブ」の3番手のダンサー、ギャビーがベルベットのソファに座る私の隣に腰かけたとき、私は困ったなあと感じた。彼女のカールした長い髪からはセルジュ・ルタンスの「アンブルスュルタン」が香っていた。重々しくも官能的な、オリエンタルな残り香だ。その香りがこのほっそりとした若い女の子に対し強力な自信と人を惹きつける力を与えていた。テルヌ通りに位置する「シークレット・スクエア」はパリで最もシックなストリップ・キャバレーとして知られている。客層は主に裕福な社会人や専門職の男性だ。男性たちのジャケットやワイシャツ、ネクタイという装いは、ポールダンスをするダンサーたちの露出の多い衣装と対照的だった。その軽装で彼女たちはイギリスの歌手キム・ワイルドの「カンボジア」や、ノルウェーのシンセポップバンド、アーハの「ハンティング・ハイ・アンド・ロー」といった曲のリズムにのりながらポールダンスで身をくねらせる。それを見ながら食事を取ったり(スパイスを使った「媚薬」メニューがおすすめだ)一杯やることもできる。
私が再びこの場所を訪れたのは、ある誤解がきっかけだった。いやそれを言うなら、誤嗅か。私はダンサー全員が同じ香りをつけていると思いこんでいたのだ。私の記憶が確かなら、それはパウダリーなムスクの香りだった。私はその香りと調香師の名前を知りたいと思っていた。しかしギャビーが来る少し前、広報部長のガエル・レヴィが満面の笑みで私のその幻想を打ち砕いた。「面白いですね。うちには専用の香りがあると思った人は、あなたで少なくとも10人目ですよ。でも実際にはないんです。みんな自分で香水を選んでいます。」。懐古趣味的な嗅覚が見せた後付の幻想だったのだろうか?そこで私は、ペンを手に、ストリッパーたちに香水についての考えを尋ねてみた。単なるアクセサリーなのか、色気を出すためのものなのか、それとも誘惑の武器なのか。ディアナはエルメスの「オーデ メルヴェイユ」をつけていた。「服や身分証明書、声と同じように、アイデンティティの一部です」と彼女は言う。「毎晩、私の香水について話す人がいます。楽屋では、みんなお互いのボトルをチェックしています。意識的か無意識的かは分かりませんが、同じ香りをつけないように気をつけています。」舞台上の人格と実生活の人格を隔てる境界線は、まさに香りによって引かれている。というのもディアナは昼間はシャネルの「チャンス」をつけている。ところがパロマはそうすることなく「お店の外でも」、「ロリータ レンピカ」をつけている。ギャビーも同様に昼も夜も「アンブルスュルタン」のまま変えていない。「このルタンスを他のものに変えたら自分を裏切ってるみたいに感じるの。ルタンスのアンビバレントなところが私は好き。男の人はよく『君の香りに酔っている』って言うわ」。ここで嗅覚が特異な重要性を持っているとしたら、それはその嗅覚に巻きこまれて他のすべての感覚が刺激されているからだろう。ただひとつ、触覚を除いては。事実、ここではほんの少しの身体的接触も許されない。私たちはパリにいるのであって、ラスベガスではない。したがってダンサーの胸元にくしゃくしゃのドル札を入れることもできなければ、客からストリッパーに直接お金が渡されることもない。受付でチケットを買うことでしか「ダンス」(曲がかかっているあいだダンサーたちが間近でくねくねとストリップを踊ること)を享受することはできない。物理的な接触がないからこそ、視覚と嗅覚のシグナルが主要な役割を担うことになる。そしてそれは必ずしも一方通行とは限らない。「お客様ご自身が心地良い香り、もっと言えば気になる香りをつけていると、私もその気になりやすい気がする」と、そう、ギャビーは認める。そんなとき、ギャビーはためらわずに客たちがつけている香りの名前をたずねるという。「もう少し近くへおいでって、そう誘ってくるような香りが私は好き」。
ポールダンスによって演じられる姿がアクロバティックになることも少なくはないこの隠れ家においては、各自が体臭に細心の注意を払っている。「デオドラントをつけ直すためになるべく早く楽屋へ戻るんです」とローザンヌは打ち明ける。「私たちにとって究極の理想は、できるだけ効果的で目立たない制汗剤です。汗の臭いを感じさせないものが欲しいんです。」