THE SEX OF SCENT

By Guillaume Tesson

鼻に導かれる旅

ギョーム・テッソン

媚薬、香りつきオイル、官能的な残り香……。誘惑にまつわる想像力と幻想の中で、嗅覚的な側面は大きな重要性を持つ。だがメーカーからストリッパーまで、この世界に生きる人々は実際いかにしてこの嗅覚を利用し、欲望を引き起こしているのだろうか?

科学者たちは魅力のメカニズムにおいて香りが主要な役割を果たしていることを認めている(本特集「魅力の化学」を参照のこと)。ではいかにして鼻のおかげで欲望が生まれるのだろうか?嗅覚を利用して人を操ることは可能なのか?この嗅覚と誘惑のつながりを探るために、私は現実とファンタジーとが混じり合う世界のど真ん中で生きる人たちに会いにいくことにしたのだった。

私の調査はある水曜日、22時30分ごろ始まった。パリの「シークレット・スクエア・ストリップ・クラブ」の3番手のダンサー、ギャビーがベルベットのソファに座る私の隣に腰かけたとき、私は困ったなあと感じた。彼女のカールした長い髪からはセルジュ・ルタンスの「アンブルスュルタン」が香っていた。重々しくも官能的な、オリエンタルな残り香だ。その香りがこのほっそりとした若い女の子に対し強力な自信と人を惹きつける力を与えていた。テルヌ通りに位置する「シークレット・スクエア」はパリで最もシックなストリップ・キャバレーとして知られている。客層は主に裕福な社会人や専門職の男性だ。男性たちのジャケットやワイシャツ、ネクタイという装いは、ポールダンスをするダンサーたちの露出の多い衣装と対照的だった。その軽装で彼女たちはイギリスの歌手キム・ワイルドの「カンボジア」や、ノルウェーのシンセポップバンド、アーハの「ハンティング・ハイ・アンド・ロー」といった曲のリズムにのりながらポールダンスで身をくねらせる。それを見ながら食事を取ったり(スパイスを使った「媚薬」メニューがおすすめだ)一杯やることもできる。

私が再びこの場所を訪れたのは、ある誤解がきっかけだった。いやそれを言うなら、誤嗅か。私はダンサー全員が同じ香りをつけていると思いこんでいたのだ。私の記憶が確かなら、それはパウダリーなムスクの香りだった。私はその香りと調香師の名前を知りたいと思っていた。しかしギャビーが来る少し前、広報部長のガエル・レヴィが満面の笑みで私のその幻想を打ち砕いた。「面白いですね。うちには専用の香りがあると思った人は、あなたで少なくとも10人目ですよ。でも実際にはないんです。みんな自分で香水を選んでいます。」。懐古趣味的な嗅覚が見せた後付の幻想だったのだろうか?そこで私は、ペンを手に、ストリッパーたちに香水についての考えを尋ねてみた。単なるアクセサリーなのか、色気を出すためのものなのか、それとも誘惑の武器なのか。ディアナはエルメスの「オーデ メルヴェイユ」をつけていた。「服や身分証明書、声と同じように、アイデンティティの一部です」と彼女は言う。「毎晩、私の香水について話す人がいます。楽屋では、みんなお互いのボトルをチェックしています。意識的か無意識的かは分かりませんが、同じ香りをつけないように気をつけています。」舞台上の人格と実生活の人格を隔てる境界線は、まさに香りによって引かれている。というのもディアナは昼間はシャネルの「チャンス」をつけている。ところがパロマはそうすることなく「お店の外でも」、「ロリータ レンピカ」をつけている。ギャビーも同様に昼も夜も「アンブルスュルタン」のまま変えていない。「このルタンスを他のものに変えたら自分を裏切ってるみたいに感じるの。ルタンスのアンビバレントなところが私は好き。男の人はよく『君の香りに酔っている』って言うわ」。ここで嗅覚が特異な重要性を持っているとしたら、それはその嗅覚に巻きこまれて他のすべての感覚が刺激されているからだろう。ただひとつ、触覚を除いては。事実、ここではほんの少しの身体的接触も許されない。私たちはパリにいるのであって、ラスベガスではない。したがってダンサーの胸元にくしゃくしゃのドル札を入れることもできなければ、客からストリッパーに直接お金が渡されることもない。受付でチケットを買うことでしか「ダンス」(曲がかかっているあいだダンサーたちが間近でくねくねとストリップを踊ること)を享受することはできない。物理的な接触がないからこそ、視覚と嗅覚のシグナルが主要な役割を担うことになる。そしてそれは必ずしも一方通行とは限らない。「お客様ご自身が心地良い香り、もっと言えば気になる香りをつけていると、私もその気になりやすい気がする」と、そう、ギャビーは認める。そんなとき、ギャビーはためらわずに客たちがつけている香りの名前をたずねるという。「もう少し近くへおいでって、そう誘ってくるような香りが私は好き」。

ポールダンスによって演じられる姿がアクロバティックになることも少なくはないこの隠れ家においては、各自が体臭に細心の注意を払っている。「デオドラントをつけ直すためになるべく早く楽屋へ戻るんです」とローザンヌは打ち明ける。「私たちにとって究極の理想は、できるだけ効果的で目立たない制汗剤です。汗の臭いを感じさせないものが欲しいんです。」

粘膜は騙せない

体臭を中和したり舞台に上がる彼女たちに媚薬的なフレグランスを提供したりするのがクリスチャン・パリックスの主な仕事だ。私は翌日パリのポンヌフ(セーヌ川上に架かる、パリに現存する最古の橋)のほど近くにブティック「パサージュ・デュ・デジール」を構える彼に会いにいった。そこで彼は自分の作った商品を販売していた。連続起業家のパリックスは8年前、カップルのためのコスメティックブランド「YESforLOV(イエス・フォー・ラブ)」を立ち上げた。設立理由としては以下のような思いがあった。各種オイル、クリーム、潤滑油….カップルがベッドルームで使うための商品のバリエーションがあまりに乏しすぎる、そう彼は思ったのだ。さらに3年にわたるバイオウェア研究所との研究開発をへて、パラベンやアレルゲンをいっさい含まない厳格な基準に準拠した製品ラインがリリースされた。かくも厳格なのは、「粘膜は騙せないからね」と彼は言う。今ではフランス(専門店の「パサージュ・デュ・デジール」の他セフォラでも)および国外で、年間15万点もの商品を販売し、その売上は85万ユーロにものぼる。パウダリーな仕上がりの「愛撫用」クリーム、コットンキャンディやストロベリーのアロマつきの舐められるマッサージオイル、ホホバエキス入りの(リラックス効果があるため)アナル用潤滑油などなど……。しかしこの事業家にとっての誇りは、ふたつでひと組のオード・パルファン「RÉJOUISSANCE(レジュイッサンス=歓喜)」シリーズであろう。女性用のほうはカフィアライム、サフラン、リリー、バニラ、デーツなどで構成されている。男性用のほうもベースは同じだが、コニャックを彷彿とさせる、リキュールが混ざったようなニュアンスがある。この魔法の香水は(くどくどと述べたてることをお許しいただくとすれば)マン社の調香師マチルデ・ビジャウイの発案によるもので、彼女は特にエタリーブル ド オランジェの「ライク ディス」やジョーマローンの「ミルラ&トンカ」の調香師として知られている。そして香りのアドバイザーを務めたのは、アザロ(AZZARO)とミュグレー(MUGLER)のオルファクトリー(嗅覚)ディレクターとして知られるあのピエール・オーラスであった。このふたりの組み合わせはこれがクリスチャン・パリックスにとって本気のプロジェクトであったということの何よりの証拠であろう。彼は「パフォーマンスという概念を楽しむこと」を重視していると語る。「妻には単に複数回オーガズムを体験してほしいわけではなくて、触覚と嗅覚を通じた感動を見出してもらいたいんだよね」と付け加えた。彼自身がそう認めているように、パリックスの香りは朝のシャワーの後ではなく夜に使われるほうがふさわしい。「誘惑的な気分になるためにもね」。そして、前戯のきっかけとして、北欧諸国よりもラテン文化圏のほうで使われることが多いという。「僕の香水の売れ行きを見ればわかるはず。フランス、南欧諸国、サウジアラビアなどのアラブ諸国で最もよく売れてるよ。」 彼にとって唯一のタブーは、時折リクエストがあるにもかかわらず、親密な人の体臭を再現することだ。「僕だってエタリーブル ド オランジェの『セクレション マグニフィック』(体液のカクテルを表現した香水)のことは知っているし、そのアイデアを賞賛してさえいる。けれどもそれはユダヤ・キリスト教的教育が設定した境界線を越えていると思うんだよね。うちではインティメイトワイプ(デリケートゾーンの拭き取り用ウェットティッシュ)も販売してるんだが、体臭を消してしまわないために、それにはあえて香りをつけていない。だって体臭こそが興奮の重要な要素の一つなんじゃないか。だがまあ、このへんにしておこうか」。「パサージュ・デュ・デジール」の共同創設者のパトリック・プリュヴォー(元エルメス)もおおむね同意見である。「遊び心こそが大切なのです。われわれがニーズに対し真正面から取り組むことはまれです。うちにもフェロモン製品はありますが、でも日本ほどは売れませんね。日本人が今やほとんど性交しないことはよく知られています。彼らはそれを補わなければならない。ただ、彼の国ではまったくと言っていいほどルールが違います。例えば、香水は強く香りすぎてはならない。それはショッキングなことと見なされます。当時エルメスが「アマゾンライト」というフレグランスをリリースしたのですが、それはほとんど何の香りもしない香水でした。これが日本では大ヒットしたんですよ!」。

香る代用品

日本、そして親密な匂い。このふたつのテーマを文化人類学者アニエス・ジアールは決して誇張ではなく、休むことなく執拗に追い求めてきた。パリ第10大学の研究者で、セクシュアリティに関するコラム(彼女のブログ「レ・400・キュル」はこの分野の情報の宝庫だ)の執筆者でもある彼女は、長年に渡って日本の性産業について調査してきた。近著『Un désir d'humain. Les love doll au Japon(人間の欲望、日本とラブドール)』(レベルレットル社、2016年8月刊)においては、その等身大の擬似パートナーが主題として設定されていた。そしてこの代用品の人形たちに足りていないものは、もちろん声(言葉)であるが、しかし何よりも、匂いなのであった。「日本では現在6社ほどの企業が人間のためではなく、感傷的かつ/あるいは性的パートナーとして人間に奉仕するモノのために『匂い』を製造している」そうジアールは述べている。「これらの製品が特徴的なのは、それが体液ごとに分解された人体の匂いということである。すなわち汗の匂い、尿の匂い、経血、愛液の匂い、などなど」。この市場においては「未婚の少女の匂い」を模した「愛の潤滑油」、さらには「巨大な胸を持ち性器からは悪臭がする妹の匂い」といったものまで取り扱いがある。

アニエス・ジアールは注記する。「『香水« parfum »』という語の使用がこれらの製品を指す言葉として使われるというのなら、それはとても罪深いことだと思う。« odeur »を意味する日本語の『ニオイ』、そして« parfum »を意味するものであるとともに、同時に彼らの商品のことを言うために用いられる『コースイ』といった言葉を矢継ぎ早に使いながら、メーカー自身がこの種の混同を助長してしまっている。そして彼らは次のような対照的な言葉のセットを用いながら彼らの商品を説明する。すなわち『クサイ』(嫌な匂いがするということ)と『カオリ』(かぐわしい香気のこと)、あるいは『タイシュー』(人体の悪臭)と『ホーコー』(フレグランスの意)といったように」。商品はさまざまな形態で販売されている。「ボトルから注いだりスプレーで噴霧することによって、その擬似人間の衣服や髪やボディに香りをつけることができる」とジアールは補足する。「一方で潤滑油は人形の性器(すなわち取り外し可能な膣)に対し、あるいは自慰のための玩具に対して特別に用いられる。その玩具は女性の特定の部位を解剖学的に模しており、尻、乳房などといったラインナップがある。香りのつけられた衣服(ブルマ、体操着、ナース服)は人形やシリコン製の各部位に着せられて、それらにさらなる命の息吹きを与えることになる」。しかしながらこの市場は人口のごく少数の興味しか引いていない。「売り上げ数自体は平均2,000体から4,000体のあいだで変動があるものの、これはとても少ない数字であると言えるだろう」、日本の人口が1億2600万人であることを考えれば。そうジアールは強調している。主なターゲット層は「オタク」である(英語で言うところの「ギーク」だ)。すなわち仮想世界のエキスパート、マンガ、アニメ、ビデオゲーム、フィギュアの愛好家たち。アニエス・ジアールはさらに分析を進める。「このオタクたちは現実を求めていない。彼らが欲しているのはファンタジーに他ならない。たとえショッキングなものと思われたとしても、この匂いは『現実には存在し得ないような愛』というある種の理想を肯定する運動と不可分のものである。その理想は日本社会の周縁に生きる人々によって支えられているわけだが、その周縁の人々は秩序に逆らい自らが社会的自殺者であると主張しながら、その苦悩を表明している。人形に使われる匂いは、人が大人になったら自立し、良い香りのする女性と結婚し家庭を築くべきであるというそのような社会的命令を裏返した鏡像であると言えるだろう。その匂いは退行的であると同時に侵犯的である。それはシステムを非難しながら、そのシステムが求めているものの裏返しを作り出してしまう。すなわち悪臭漂う暗黒面を」。

「ビーナスの熱情」を呼び覚ます

幻想に基づいた生活に翻弄される嗅覚?高砂香料工業の元クリエイティブディレクター、オリヴィア・ブランスブールはそうは考えない。彼女は感覚を魅了しつつ、古代の愛の媚薬の伝統を引き継いで身体の調和を図ることに挑戦している。ブランスブールはブランド「ス ル マントー(SOUS LE MANTEAU)」を立ち上げ、薬局の小冊子や薬理学の概論書にインスピレーションを受けた5つの香りを発表した。「私たちの医学の歴史には、探求する部分がまだまだたくさんあるのです」、そう彼女は熱狂する。「例えば私は18世紀の手術書を発見したのですが、そこには『ビーナスの熱情』を呼び覚ますための材料についても書かれていたのです!十九世紀初頭まで、薬屋の修行は各小地域ごとが定める法規に準拠しておりました。すべてがより厳密な方法で体系化されるには、ナポレオンが最初の薬学校3校を設立した1803年まで待たなければならなかったわけです」。彼女の調べたところでは当時、「こうした媚薬は薬剤師によって、特にトローチの形で製造されていました」。彼女はそう補足しながら、話を締めくくる前に次のように言った。「ナタリーが、どんな風にそのフレグランスを作ったかあなたに話してくれるはずです(ナタリーはブランスブールが、5つの香水の制作をまかせた調香師だ)。彼女の住所、ご存知でしたよね?」

そのようなわけでその2日後、私は今こうしてナタリー・フェストエア宅のソファに腰かけているというわけだった。現在彼女は自身のラボ「ラブセント」の代表を務めているが、それ以前の20年間はジボダンで働いていた。彼女の手がけたものとしては、エタリーブル ド オランジェの「ピュタン デ パレス」、カルティエの「マストプールオム」、コム・デ・ギャルソンの「リュクス チャンパカ」などが知られている。「ス ル マントー(SOUS LE MANTEAU)」におけるフェストエアのミッションはしたがって、あの例のトローチのレシピを、現在入手可能な材料を用いて香りに変換することであった。「当時の薬剤師さんたちは昔ながらのスパイスみたいにパウダーを使っていたでしょう。それに対して私は対応するエッセンスを使ったっていうわけ」、そう彼女は説明する。「例えばだけど、ジンジャーとバニラのパウダーはいくつかのアブソリュートに置き換え可能よね。霊猫香や龍涎香みたいに、今じゃ手に入らなくなったり禁止されたりしている素材もあるわけで。私はこの龍涎香を再現するために、アンブロキサンやグリサルバなど、琥珀みたくほのかに動物の香りのする合成分子を使ってみたわ」。

最後になるが、ナタリー・フェストエアは古くさい香りと一線を画すためになら、ある特定のノートを過剰に使用することもためらわない。「プードル・アンペリアル」におけるシナモンのように。「今の時代は何でもそう。ショックを与えないためにすべてを包んで覆い隠す。私はそれとは反対のことをやっているの」、エスプレッソをすすりながら彼女は微笑む。「その後はもう、ホメオパシーとか漢方のお話ね……。これって本当に効いてるの?っていう」。いずれにせよ、そのような疑問の上にこそこのブランドは根ざしているのだろう。オリヴィア・ブランスブールが断言するには、「その身に奇妙なことが起きた人々の証言」が彼女の周りで、そして世界中で山積みになっている。そしてこうも言った。彼女の夫は彼女がこれらの香水をつけて出かけることを許してくれないそうなのだが、こっそりどこにつけるかというと、もちろんそれはコートの下(ス ル マントー)だそうだ。




翻訳:藤原寛明/監訳:中森友喜

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