パリ・オペラ座からほど近くにあるラファイエット・グルメの地下商店街。レストランと精肉店を兼ねた「イヴ=マリー・ルブルドネック」には牛のリブロース、ほほ肉、Tボーンステーキ、ランプなどが所狭しと並ぶが、まず目に飛びこんでくるのはまさにさまざまな色合いのその赤色だ。そしてすぐに、その場所が周囲から切り離されたかのように独特の匂いを放っていることにも気づかされるだろう。何とも表現しがたい匂い。干し草と獣の匂いが濃厚に混じり合ったような感じ。近くにあるシャルキュトリーの店やチーズ売り場の匂いとはおそらく関係ない。「あなたが感じているのは熟成肉の匂いですよ」と、店名と同じ、ルブルドネックは微笑を浮かべる。フランスで最もメディア露出の多い、そして最も値の張る精肉業者のひとりだ。ルブルドネックが店で出すブランド牛「サラングス」のリブロースは契約飼育業者のサミュエル・フイラールによって飼育された後90日間の熟成を経て、キロあたり150ユーロの値札がつけられる。和牛「ザ・ビッグボーイ」にいたってはその値は240ユーロまではね上がる。
われわれはこの職人的精肉業者と金曜13時にランチをする約束を取りつけていた。牛肉のシャルキュトリー盛り合わせがテーブルに運ばれてくるとにわかに、私の鼻は強い牛小屋の香りで満たされるのだった。その香りは盛り合わせのなかにあるサラーテから来るものだった。マクルーズの部位をガーリックで擦り、塩で覆い、ハーブで香りづけたスペシャリティだ。私の舌もまた同様に、そこに「厩舎」が存在しているのを確認し、その味覚的イメージは嗅覚の抱いたそれと重なり合い、こだまとなって反響し合うのだった。脂っこく、力強い味、ある意味不快とさえ言える味だが、どこか癖になるような、そんな不思議な味わいだ。これと同じような感じで、肩ロースのグリルでも干し草とタイムのニュアンスが強調されていた。その味は濃厚だが素朴で、ヘーゼルナッツ、あるいはチーズを思わせるノートが感じられた。「60日間熟成した肉なんです」とルブルドネックが説明してくれる。「比較するとすれば、スーパーマーケットで牛肉が売りに出されるのは、たとえどんなに長くなったとしても精肉されてから10日間といったところでしょう。われわれの作る熟成肉では、熟成によって肉の旨味が持つアロマが強調されるとともに、食感の柔らかさが加わります。ですがその熟成が実行されるのは、脂肪のよくついた個体に限られます。すべての品種にその資格があるわけではありません」。
冷蔵室には大きな牛の肉塊がいくつも吊り下げられている。これはアロワイヨーと呼ばれる部位で、牛の腰部にあたる。具体的には最も後ろの肋骨から仙骨にかけての部位で、最も高価なフィレ、サーロイン、ランプもそこに含まれる。湿度が厳密に管理され、通気された環境下で熟成される。酵素の作用により筋肉の構造が変化し、組織中の水分が多く失われ、50%まで減少する。
タイムと干し草
雑誌『ビーフ!』編集長のジャン=マルティアル・ルフランは、ルブルドネックの仕上げる肉が「世界最高のステーキ・ベスト10」に入るとしたうえで次のように語った。「牛肉の熟成はチーズやワインのそれと比肩し得るひとつの美学と呼べるでしょう。熟成された肉が優れているとかあるいは劣っているとかの話ではなく、それはただただ純粋に興味深いものなのです。熟成は私たちが菌と発酵と本来どのような関係を取り結んでいたかということを思い出させてくれます。この関係に立ち返ることは、今日新たな味を探求するにあたって根本的と言っていいほど重要なことです。匂いもまたテイスティングの一部をなしているのです」。
再び、「イヴ=マリー・ルブルドネック」に戻ろう。「カテゴリー・クラシック」の肉には60日間の熟成肉が含まれる。「カテゴリー・プレミアム」になるとその熟成期間は120日間にもおよぶ。「アロワイヨーの熟成の状態を見極めるとき、私は鼻に頼っています。毎週月曜の昼に、ラヴィレットにある作業場で私は手をこすって温めてから、脂肪に覆われた牛の背中を、マッサージするような要領で手で揉んでみます。そのとき手のひらからタイムと干し草の良い香りがすれば、それは良い状態で熟成が進んでいるサインとなります」とこの職人は教えてくれる。
熟成の過程全体を通じて、鼻は何か酸っぱい匂いがしてこないかと注意深く探ることになる。その匂いこそが「傷みが進行し、遠からず腐ってしまう」状態にあるということを警告するものだからだ。この匂いは腐敗の進行とともに、肉の組織に含まれるタンパク質とグリコーゲンをバクテリアが分解するため生じるものである。このバクテリアによる分解によって、二酸化炭素、アンモニア、硫化水素が放出される。まずもって、嫌悪を催させる匂いである。つんとくる、胸をむかつかせるような匂い。消費期限が近い、あるいは過ぎてしまった鶏肉のパックを開けたときの匂い、と言えば分かってもらえるだろうか。
『若い食肉業者ための手引き書』(マラブー出版、2017年刊)の著者、アルトゥール・ルケーヌに電話をかけてみると、彼は受話器ごしに、新鮮な肉からはほとんど匂いがしない旨を確信をもって断言する。匂いの原因となるのは往々にしてその脂肪分なのである、と。「牧草地で飼育された牛の肉は牧草に含まれるカロテンの影響でわずかに黄色味がかっています」。やはり何を食べて育つのか、というのは重要であるということだ。春の季節の豊かに生い茂る草を食べて育った牛肉には、青々としたフローラルな風味が加わる。冬の干し草の味を感じたのだとしたらきっと、その牛はその季節に屠殺されたのだろう。そのような風味とあわせて、より濃厚でより動物的な匂いもその肉から香ってくることだろう。肉の塊をグリルしたりローストしたりするときに漂ってくるあの食欲をそそる美味しそうな香りは、これもよく知られていると思われるが、メイラード反応によるものである。この反応について研究を行ったフランス人医師の名前からこの名がついた。「火入れをすることによって[その食物に含まれる]糖分とアミノ酸が結合し、食欲を大いにかきたてる、香り高い匂い分子が作り出されるのです。そして加熱温度が高ければ高いほど、その匂いもより強く美味なものとなります」と、ルケーヌはこの現象について上手にまとめてくれる。
目を閉じたときに香ってくるもの
そして私はこの食欲をそそる香りを、その何日か後に、マルブフ通りにある「ビーフバー・パリ」のドアを押し開けたときに再び感じるのだった(奇しくもその道の名前にビーフを意味するフランス語「ブフ」が入っているが、決して私がふざけて作り話をしているわけではないことはおことわりしておきたい)。しかしながらその香りはどこか控えめであった。その店のインテリアと、ぐっとしぼられた照明と同じように。「鼻がきかなくなるんだったら目が見えなくなったほうがましですね」、そう言いきるのはエグゼクティブシェフのティエリー・パルデットだ。カンザス産のブラックアンガス牛、オーストラリア産和牛、認証済みの神戸牛、オランダ産乳飲み仔牛、といった多彩な産地から来るハイクオリティな肉を提供する。なお、彼のレストラン(このパリと同じコンセプトの店舗が、ブダペスト、カンヌ、ドバイ、そしてミシュラン一つ星を獲得した香港、さらにはルクセンブルク、メキシコ、モナコ、ミコノスにもあるという)では熟成肉は出していない。そんなことなど関係ないだろうと言わんばかりに、彼は目を閉じた状態で神戸牛を識別してみせる。「バターとヘーゼルナッツの匂いがするからだ」と彼は言う。同じように、今度はパンパの草を食べて育ったアルゼンチン産の肉を言い当ててみせる。シェフ曰く「ジビエに近い香りなんだ。強い血の香りと、草の青々しいノート。そこにさらにパセリ、ローズマリー、タイムが加わる」。話し始めると止まらないティエリー・パルデットは、料理界の巨匠、アラン・サンドランスシェフとの思い出についても熱っぽく語る。パルデットは今でもシェフの「野ウサギのロワイヤル風」のレシピをそらで言えるほどだ。このフランス的美食を代表する記念碑的作品は、ロール状に巻かれたり煮込み風にされたりとそのときどきで提供スタイルは異なるものの、その風味、そして異論の余地なく濃厚なその香りは、一度味わったものにとっては決して忘れ得ぬものであるにちがいない。ジビエとしての野ウサギの匂い、そしてフォアグラとコニャックの香りがそこへ合わさったときのこの料理のアロマはあまりに強力で、それを食べた後の口の匂いは周囲の人々の顔を大いにしかめさせることだろう。「サンドランスは、アルザスのジェニパーベリーを食べて育った雌の野ウサギでなければ仕入れを認めなかった。その果実の香りが、肉のなかにも浸透しているとサンドランスは考えたんだ。野ウサギの血、心臓、肺までもが材料としてレシピに含まれていた。厨房で肉を捌くとき、強烈な匂いが何時間も消えなかったことを懐かしく思い出すよ」。ビーフバーでパルデットが作る神戸牛のひと皿。限りなくシンプルな料理だが、彼はそのひと皿を彼自身の愛おしい思い出へのオマージュとして捧げている。牛肉のラグー(赤ワイン煮)である。それはイタリア人の父が昔よく作ってくれていた料理で、父はそれをラビオリ仕立てにして出してくれた。とても美味しかった。「私にとってその香りは、子ども時代の忘れられない香りなんだ」とパルデットは語る。
2011年・世界パテ・アンクルート(パテのパイ包み焼き)コンテスト準優勝者のジル・ヴロー。彼にとっての子ども時代はソーセージの乾燥室で野生味あふれる香りとともに過ごした思い出のなかに息づいているが、他ならぬその思い出こそがシャルキュティエとしての彼の職業選択を決定づけたと言っても過言ではない。「私がこの仕事を志したのは、手のなかに残って消えない塩漬け肉の匂いが好きだったからです」。彼の店では、肉は味覚的には確かな存在感を誇るが、嗅覚的にはごく控えめだ。「私たちのレシピにあるものはすべて6℃の冷蔵環境下で作られます。そのため目立った香りはありません」、香りの取材に来てくださったのにすみません、とでも言いたげに、彼はイヴリー=シュル=セーヌにある作業場の扉を開ける。まるで枕のように大きく、その断面はオーロラのように美しい、そのようなパテ・アンクルートの王となるべきものを、彼はこの場所で作ろうとしているのである。美食家ブリヤ=サヴァランによって体系化されたこのクラシックな料理は、重さが実に15kg。パイ生地、トリュフ、そしてキジ、鹿、豚、リドヴォー(仔牛の胸腺)、コルヴェール、ヤマウズラ、ホロホロ鳥、フォアグラ、などといった約10種類もの異なる肉、こうした材料からなる幾重もの層で構成されている。スライスされ、ほんのりと温められて提供されるときには繊細なトリュフの香りが漂ってくることだろう。しかし火を入れている最中はパイ生地の香りが部屋のなかに充満する。準備に6時間、火入れに4時間を要するこの料理を、ジル・ヴローは年に4度しか作らない。先ほどの「イヴ=マリー・ルブルドネック」でのあの熟成肉とは対照的に、ヴローの店で提供されるパテやテリーヌから感じられる匂いは、快でも不快でもない、言わば「中性的な」匂いにとどまっている。「美味しい料理はまず視覚に訴えてくるものですが、熱々のブーダン(豚の血と脂身で作る腸詰め)やリヨン(塩でマリネした豚肉のコンフィ)、それからトゥルト・オ・フロマージュ(表面を黒く焦がす山羊乳のチーズケーキ)がオーブンから出されて運ばれてくると、今度は嗅覚にその出番が回ってきます」と、そうひかえめに言葉を選びながらこのシャルキュティエはコメントした。
ジビエ、フォアグラ、コニャックからなる「野ウサギのロワイヤル風」のアロマはその強力さゆえ、その料理を食べた後の吐息は周囲を困惑させるであろう。
食の舞台裏、および論争について
手の加えられていない素材を崇高なる作品へと昇華させるこのような仕事は、確かに一部の人々にとっては芸術的なものに見えるのかもしれない。しかしそのとき食肉処理の作業とは切っても切り離せない匂いのことは、果たしてちゃんと考慮されているのだろうか。そのような、死とそれにともなう臭気についてイヴ=マリー・ルブルドネックはよく知っていた。中学3年生時にブルターニュ地方の公営屠殺場でよく手伝いをしていたからだ。「毎週水曜日と、まとまった休暇のときにも手伝いに行っていました」とルブルドネックはその思い出に思いをはせる。「嫌悪を催させる匂いだった、とは言う気になれません。その匂いはただ強く、際立っていたというだけの話です。湿っている動物の匂い、汗をかいた動物の匂い、排泄物、そしてとても鉄臭い血の匂い。私はよく豚の毛抜きをまかされていましたが、むしり取った後の細かい毛を直火でぱちぱちと焼くときの香りが私はとても好きでした。今でも屠殺場を見学しに行くこともありますが、何だか病院のクリニックのような感じになってしまいましたね。そうして私はその場所からかつての魅力が失われてしまったことを理解するのでした。ですがそうは言っても、確かに屠殺場ならではの血の匂いは消えてしまいましたが、腹が切り開かれたときのあの匂いだけはいまだ健在です。それはもう、ぞっとするほどのものとさえ言ってよい。胃から発せられる、むっとする、かなり強い匂い。乱暴な例えになってしまいますが、現在の屠殺場は温かいアンドゥイエット(豚の胃や腸を細かく刻んで詰めたソーセージ)のような匂いに包まれています」。
このような舞台裏はできればステーキを切り分けているときなどには考えたくはないと、そう願いたいものだが、近年食肉をめぐっては動物の福祉や倫理の観点から食品産業が槍玉に挙げられ、しばしば論争の的となっている。畜産業の廃止を求めるべく、屠殺現場や飼育環境の隠し撮りビデオを定期的に拡散している動物活動権利団体・L214の活動がその苛烈さを物語っていよう。
中世史と食文化を専門とするブリュノ・ロリウ教授が考古学者のマリー=ピエール・オラールとの共同監修で『肉の歴史のために』(レンヌ大学出版局、2017年刊)を編んだのは、まさにこの議論を整理し直し再検討するためだった。同書においては、植物性食品を食生活の中心としつつときどきは動物性タンパク質を摂取するという柔軟な「フレキシタリアン」がかつての美徳だったということを紹介するとともに、熟成肉が現在こうして都市部の教養ある富裕層が舌鼓うつようになるはるか以前から、すなわち中世よりすでに試みられていたということ、十九世紀に冷蔵庫が登場したことによりその技術が飛躍的に向上したことなどが記されている。「肉が問題を呼んでいる理由のひとつは、その肉の何たるかを人々がよく知らないからなのだ」とロリウ教授は記している。「墓地や屠殺場など、そうした死を司る場所が十八世紀末から十九世紀初頭にかけて都市の中心部から隔離された。それからというものすべてが外部で起こるようになり、そうして人々は死に関する手続きから目を逸らし続けたのである。そこで何が起こっているのか分からないということは、不安や恐怖の温床となるものである。さらに二十世紀後半に入ると、工業的技術が発達し、水分をたっぷりと含ませることで赤く新鮮に見せられた、匂いのない肉というものが一般化するにいたったのだった」。
またブリュノ・ロリウは自らの意見を次のように述べている。「自分たちが何を食べて生きているかということに対し再び向き合うためには、肉を提供しているその肉屋に対し、彼の差し出す肉の匂いをかぎながら、色々と質問してみるといいだろう。食品に関する専門的知見や知識は嗅覚を始めとした感覚を通してこそ得られるものなのだから、扱っている本人に直接聞いてみることが何よりも肝要なのである」。『ビーフ!』誌のジャン=マルティアル・ルフランもその点は同意している。「知識や技術を誰かと分かち合うとき、知らない人どうしのあいだにも近しさや仲間意識といったものが芽生えるものです」。そして、ルフランは次のように締めくくる。「私たちが肉を好んで食べるというこの趣向もひょっとしたら狩猟時代における捕食本能の名残りなのかもしれませんが、ですがその如何に関わりなく、美しく調理された料理に引き寄せられる愛好家たちを結びつけているこの嗅覚という現象が、文化的、社会的レベルにおいて根源的な重要性を持っているということに変わりはないでしょう」。
翻訳:藤原寛明