そもそも目に見えない「香水」を視覚的に表現するには、どのような方法があるだろうか。長年にわたり、その答えは香水を"具現化する"こと、つまり文字通り、香水に肉体を与えることだった。香水広告の典型的なイメージには、モデルの理想的な身体や、セレブの愛すべき身体のイメージが使われ、それと重ね合わせるように香水のボトルを配置することで、まるで身体を幾何学的な形に変換しているかのように見せてきた。これらの広告は、香水というイメージに、肉体というより根源的な欲望の対象のイメージを重ねることで、強固な刷り込みを演出しているのだ。このメッセージの背景にあるのは、「香りそのものを写真に撮ることはできない」というパラドックスだ。
フランス、名門ブルゴーニュ大学の情報通信科学の名誉教授で、記号論の専門家でもあるジャン=ジャック・ブートーは、著書『À fleur de peau』(フランスのベラン社から出版)の中で、「香水の力の真の源を直接的に描くことができないために、香水の描写はイメージを通して構築される」と説明している。香水のイメージには、ボトルと共鳴する特別な物体として、人間の身体が使われることが多い。「形や線、影や色を巧みに使うことで、広告イメージは、なまめかしい女性の肉体からボトルの容器(=身体)へ、そして香水そのもの写像(=身体)へと、作為的に移行させていく」とブートーは述べている。欲望の対象となる「肉体」の入れ子構造は、実在の身体と香りの身体という2つの要素の不在を、それらの表象を重ねることで巧妙に隠蔽しているのだ。
「肉体は売れる」
広告で表現されるあらゆる対象の中で、人間の肉体は王様だ。言わば、究極の消費対象なのである。約50年前、フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは、広告における身体への強いこだわりを指摘した。彼は著書『消費社会の神話と構造』(ドノエル社、1970年刊)の中で、「消費財の中には、自動車よりもはるかに重い意味合いを持つ、より美しく、より貴重で、より眩しいものがある。それこそが肉体だ」と述べている。しかし、消費者に衝動買いを促すためには、単に身体をチラ見せするだけでは不十分で、それに加えて何らかのボタンを押す必要がある。ボードリヤールは、この方程式を「身体は売れる。美は売れる。エロティシズムは売れる」として完成させた。
消費者の基本的な衝動は、肉体を見たい、見ることから喜びを得たいという欲望だ。これは、所有したい、購入したいという欲望よりも先に来るものである。それに加えて、一度欲しいものを手にした瞬間に覚めるという人間の古くからある性質への対応も見逃せない。そのため、広告においては、肉体への渇望を維持させるために、メトニミー(置き換え)という技法が用いられるのだ。つまり肉体は香りに置き換えられる。この2つは本質的に異なるもののため、人は完全な満足を得ることができず、欲望が持続される。
これまで、優れた広告は、人間の肉体がどのようにマーケティングツールとなり、欲望のイメージを投影する表面のように機能するかを示してきた。また、現代人の憧れを映し出す鏡としての役割も果たしている。ミシェル・ベルナールは、人間の身体の知覚に関するエッセイ『Le Corps(身体)』(フランスのスイユ社、1995年刊)の中で、身体は「社会がその幻想を語るために使うシンボル」だと述べている。私たちの抱く幻想には、男女間のつながりと調和、肉体的快楽の満足、新しい愛と自由などが含まれるかもしれない。これらのテーマは、香水広告でも伝えられているのだ。