匂いとは、生きている証であるとともにその代償でもある。そもそも匂いを感じるということは生命活動としての呼吸と切っても切り離せない。生きるべく息を吸いこむたびに、嗅覚を刺激する微粒子も不可避的に取りこまれることになる。言いかたを変えれば匂いを感じることによって、生きていることが証明される。「我匂う、ゆえに我在り」とでも言うべきか。新型コロナウィルスに感染した人々が嗅覚の喪失に見舞われたという事例が多数報告されたことも記憶に新しいが(その後治ったという例も、逆に治らなかった例もあったと聞く)、そのような匂いの感覚の喪失を経験した人々が皆口々に、存在そのものを見失うかのような当惑を覚えたという証言を寄せたという事実もまた、この匂いを感じるということと生きているということとの分かちがたい結びつきを証明していると言えるだろう。このように匂いとは嗅覚を通して「感じられる」ものであるわけだが、その一方で自身が「発する」ものでもあるわけで、私たち人間は生まれた瞬間からその運命を背負わされている。代謝のメカニズムのなかで起こるという意味ではこの匂いの発散を、肉体の劣化の始まりと見ることもできるだろう。そしてそのように緩やかなスタートをきったその始まりは言うまでもなく生命活動の停止と肉体の腐敗という形で終わりを迎える。そしてその腐敗が始まり終わるころにはきっとその体は地中深くに埋められ、やがては完全に分解されその匂いすらも跡形もなく消え去っていくのである。
『嗅覚の価値と構文 セリーヌ作品における匂いの分析』(★)において記号学者のジャック・フォンタニーユが試みているのは、一方には身体の匂いの発散・拡散・浸透という動きがあり、他方には身体そのものの誕生・劣化・分解という生命活動を分節する動きがあるという見地から、このふたつの動きの連関性を分析することだった。そしてその手がかりがルイ=フェルディナン・セリーヌの作品に広く確認されるということは同書の副題が示している通りである。実際、「存在、国、物事が終わるのは匂いによってである。それらが終わったということは、その匂いでそうと分かる。どんな冒険も、それが消え失せたということは常に鼻から理解される」という有名な一節がセリーヌの『夜の果てへの旅』のなかに見られる。生まれた瞬間から、私たちはこの「匂い」に二重の意味で縛りつけられている。つまり私たちは他者を「匂う」と同時に他者から「匂われる」のである。そしてセリーヌの文章にもあるように、死こそがその体から発せられる最後の香りであると言えよう。制御を失った身体は括約筋の弛緩とともにじょじょに崩壊し、細菌が増殖し、いかなる神の存在も感じることもなく、そうしてただただ私たちは忘却のかなたへと消え去っていくのだろう。
誕生から始まり死とともに終わる私たちの体の匂いは多くの場合悪臭と結びつけられるわけだが、一方で私たち人間はそれに対抗し抗うための手段を持ってもいる。代表的なのは香だ。香は主に人生の節目を祝う宗教的祭祀の場で用いられる。その香と血液とが象徴体系において当価値であるということを主張したのは『匂いの魔力』(オディール・ジャコブ社、1998年刊)の著者であるアニク・ルゲレーだ。これには動物の血液に植物の樹液が加えられ香の原料とされていたということが関係している。またこの、動物・植物・香という三角関係の等価性は、生命原理の循環をうながすものであるとも考えられる。そしてそうであればこそ、古代より始まり多くの時代において、香りに治療薬としての側面があったということもおのずと納得されよう。 ルネサンス期には、まさに病的なものの予防と良い香りとが完全に結びつけて考えられていた。アニク・ルゲレーは次のように記している。「芳香樹脂が遺体の防腐処理に使われていたという事実が[...]香りが腐敗や悪臭を防ぐものとして効果があるものと当時から考えられていたということを明白に示している。香料を構成している微細な粒子が遺体を乾燥させ状態を固定するという役割も果たしていた。この作用は、例えば砂が石灰を固めることや小麦粉が水分を吸収することと比較すれば分かりやすいだろう。『乾燥した物質にあいた無数の小さな穴』のなかに『限りなく小さな湿った粒子』が入りこむことによってこの現象が生じるのである」。
生まれた瞬間から、私たちはこの「匂い」に二重の意味で縛りつけられている。つまり私たちは他者を「匂う」と同時に他者から「匂われる」のである。
湿気と乾燥
湿り気と乾燥というこのふたつの形質に関しては、前者が分解あるいは腐敗の原理と結びついているとすれば、後者は反対に保存の原理を象徴するものと言えるだろう。社会学者のブリジット・ムニエもまた『西欧における香りと匂い』(フェラン社、2017年刊)のなかでその二元性について言及し、次のような歴史を教えてくれる。「古代ギリシャでは遺骸の腐敗を防ぐために香料の入った壺を墓のなかにいっしょに入れていた。この習慣には儀式としての側面があり、その意味するところとは死肉を食らう鳥として知られ腐敗を象徴するハゲタカに対し、太陽と芳香の象徴であるワシを対抗させることでこの腐敗という現象およびその概念そのものに打ち勝とうとするものであった。死体が腐敗する現象(じめじめとしていて、暗く、悪臭を放つもの)には地上に放置された死肉をエサとするハゲタカが結びつけられ、それに対置されるものとして腐敗に対し耐性を持つ芳香物とその象徴であるワシの存在があった。その象徴の由来はワシが太陽の最も近くを飛ぶ鳥であるとされていたことにあった。そしてその太陽の熱には物を乾燥させて腐敗を予防する効果があり、そしてその作用によって、腐敗とは無関係のものと信じられていた植物の香りが存分に引き立たせられると考えられていた」。
死体はこうして防腐処理を受けることでこのじめじめと湿ったもの、という属性から脱し、香料の属性と同じ不滅のもの、という性質をまとうようになる。そしてこのような比喩的類推によって、ついにはかぐわしい香りが死体の構成要素のひとつと見なされるようにさえなるのである。
そしてこのような考えかたこそが「ミイラ」の成り立ちに関わってくるのである。中世ヨーロッパから十八世紀ごろまで特にフランスで流行し、治療薬として消費されたり嗅覚的な護符として身につけられたもの、それが「ミイラ」であった。「私はいつだって言葉の誤用から始まるものに魅了されてきた」とブリジット・ムニエは語る。「というのも、そもそもこの『ミイラ(momie)』という言葉は、ペルシャ語で『瀝青(ビチューメン、コールタール)』や『アスファルト』を意味する『ムミア(mummia)』という語が誤ってあてられたことから来ているのである。ディオスコリデスを始めとしたギリシャの医師たちは、この『ムミア』を胃痛や癲癇の発作に対し処方していた。しかし天然アスファルトである瀝青の掘削量はじょじょに少なくなっていった[こうして資源が枯渇に向かうにつれ代替物を探す必要に迫られるようになったのだ]。ここで偶然にもエジプトのミイラからにじみ出る液体から瀝青と同じ匂いがすることが明らかになったが、これはエジプト人たちがファラオたちの内臓を天然アスファルトのなかに浸して保存していたからであった。そしてミイラ化した遺体が乾燥すると、そこからアスファルトと芳香物の香りが混じり合った、とてもいい香りの滲出液が得られたのであった。古代エジプト人たちはそれを『サハ(sah)』と呼んだ。しかし『ムミア』とその代替物である『サハ』の混同が起こった結果、中世ヨーロッパには『ムミア』としてこれが伝わったのである。このムミア=ミイラの需要は極めて高く、そのため偽の分泌液から作った数多くの偽造品が横行することとなった[最近死んだ遺体から取った体液を原料とすることが多かったという]。アンリ4世やカトリーヌ・ド・メディシスといった人物もこの香りの愛用者として知られている。かくもこのミイラが重宝された理由としては、この香りには聖なるものとしての側面があったからであろう。ミイラが聖化のプロセスを経ていることはあえて言うまでもないことだろう。祈祷師が『死者の書』を読みあげるのを沈黙したまま耳にしながら、ミイラ化の処置を施されたオシリスNは多くの芳香物に囲まれながら静かに眠りにつく」。
このように香りには、誕生から始まり、死してもなお肉体につきまとう劣化と腐敗に抗う力があるとそう古くから考えられてきたわけであるが、果たしてそれは、香りに備わるとされる決して腐敗しないエーテルとしての性質が、腐敗という現象そのものを無効化すると考えられていたということを意味するのだろうか? だがコート・ダジュール大学に匂いと嗅覚を主題とする博士論文を提出した文化人類学者のルー・ソンぺラックに言わせれば、香りと腐敗は決して対立し合うものではなく、両者には共通する部分もある。なかでもその「変化のプロセス」に着目したとき、両者が共通の方向へと向かっていることが認められる旨をルー・ソンぺラックは主張する。
「香りもまた時間とともに変化するものであることはよく知られています。そして腐敗は命あるものに運命づけられた活動原理として、身体のなかに何らかの作用を残し続けます。花でさえそれは例外ではなく、切花で作られたブーケがかぐわしい香りを放つのは、そのときすでにその花のなかで腐敗のプロセスが始まっているからなのです。また香りには変容や移行をうながすという側面も認めることができます。例えば葬儀の儀式においては香りは死者とともに葬られます。そのように香りは死者に付き従い同伴することで、死者があの世へと向かう旅のなかに慰めを見出せるようにするのです」。ブリジット・ムニエもまた香りの持つこのような媒介者としての側面に注目している。「香の煙は死者の不滅を願う祈りと同義であった。エジプト人たちにとってミイラ化は、まさにこの不滅という目的を実現するための最も有効な手段に他ならなかったわけだ。この文明が魅力的なのは、死への執着がそっくりそのまま不死への執着の裏返しになっているという点に他ならない」。
「香りには変容や移行をうながすという側面も認めることができます。香りは死者に付き従い同伴することで、死者があの世へと向かう旅のなかに慰めを見出せるようにするのです」
垂直と水平
このように香りは確かに歴史上、死者や神々に向けて捧げられるものであったわけだが、しかしそれ以前に「今、ここ」という現実に根ざした具体的かつ実用的な機能を香りが備えているということも忘れるべきではないだろう、とルー・ソンぺラックはつけ加えている。「香りは儀式の進行にリズムを与えることにも使われています。キリスト教の礼拝や葬儀では香炉で香が焚かれ、それが儀式の各段階を区切る役割を果たします。他にも、例えばアフリカ起源のブラジルの女神イエマンジャを祝う祭りでは、司祭が集会の参列者にコロンを振りかけることで祭礼が次の段階へと進むことを知らせます。私の印象では、宗教的儀式には必ず香りがセットになっています。儀式にも香りにも、どちらにも『共同体への帰属を表明する』という機能があります。仮に葬儀を香りなしで行わなければならないとしたら、それは例えて言うなら、死を瞬間的なものとして語ること、あるいは起こってしまったが最後、取り返しのつかないものとして語ること、とでも言いましょうか、つまりその祈りは、死という現象の表面をただなぞるだけのおざなりな、無味乾燥としたものにすぎなくなってしまうことでしょう。ですが何かを循環させる力を持っているのが、この匂いというものなのです。中国ではこの循環がもっぱらエネルギーにおけるそれと考えられているため、風水に大きな重要性が置かれています。というのも風水ではその名の通り、墓の向きや配置場所が、風、水、地という各属性の流れを促進するよう考えられているからです」。
香りを介したコミュニケーションには、この世とあの世をつなぐ縦方向のものだけではなく、私たち自身をつなぐ横方向のコミュニケーションも含まれる。「人と人とがひとつの経験を分かち合い、そこから場所と絆が生まれます」とルー・ソンぺラックは語る。「実際『ラルース大辞典』でも『香り』の定義を示す項目において、香りが各時代において社会性の形成に寄与してきたことが強調されています。古代ギリシャの香水店は何よりも人々が集まるための場所でした」。
「私の印象では、宗教的儀式には必ず香りがセットになっています。儀式にも香りにも、どちらにも『共同体への帰属を表明する』という機能があります」
隠すか、さらけ出すか
これは宗教的というよりかは実用的な目的からだが、香りは遺体の腐敗臭や火葬の際に生じる匂いを覆い隠すことにも使われる。「私はガンジス川のほとりで行われるヒンドゥー教の葬儀を見学したことがあります」とルー・ソンぺラックは続ける。「故人は戸外で荼毘にふされていました。火葬台は花々で飾られ、そこへ『ギー』と呼ばれる溶かしたバターが点火に合わせて注がれます。さらに遺体の匂いとその遺体が燃える匂いを覆い隠すためにマンゴーの木も火のなかにくべられていました」。
これに対し、その匂いが覆い隠されることなくあえて露わにすることが伝統とされる文化もある。その匂いをひとつのサインとして示すためである。ルー・ソンぺラックはマダガスカルのタノシ族の葬儀をその例として挙げるが、この部族の儀式に関してはドミニク・ソンダが雑誌『テラン』に寄せた記事(「死者たちの匂いと家族の魂」)に詳しい。それによればこの儀式のポイントは、臭気をともなう出来事からかぐわしい香気に満ちた祝宴への移行を強調することにあるらしい。「死と葬儀のあいだに、人々は死者の放つ臭気に耐えしのぶことを求められる。死者の体は勇敢な女たちによって見張られている。彼女たちはその匂いを吸いこむことによって死そのものを体内に取りこんでいるのである。これは死を拒否するのではなく受け入れるべきだという思考様式から来ており、この儀式ではその匂いを耐えしのぶことによってそれが実践されていると考えることができる。遺体を見守ることと平行して、彼女たちは動物の臓物や牛の胃袋といった不浄とされる食べ物を口にし、そうして死を体内に摂取し、ついでこれを消化し排出することで死の克服が確認される。その後遺体の埋葬が済むと女たちはスパイスで香りづけされた肉を食らい、香油で自身の体を包む。そしてそれが彼女たちが死から生へと帰還したことのサインとなる。このようにこの儀式には明確に区切られた複数の段階があり、ひとつの段階から別の段階への移行を匂いが予告する形となっている。自分は今、死の側にいるのだろうか、それとも生の側にいるのだろうか? そこにどのような匂いが流れているか確認することでその疑問の答えが出る。そしてその匂いの質によって喪の作業において生から死への変質が無事完了したかどうかが確認されるのである」。
インド・ボンベイ周辺には「沈黙の塔(ダフマ)」と呼ばれる建造物がある。これはゾロアスター教の葬儀に使用される施設である。その儀式の実態はいわゆる鳥葬であり、今なおパーリシー教(インドにおけるゾロアスター教)徒によって実践されている。「小高い丘陵地に建てられたその建物の上で遺体を太陽に照らして乾燥させ、体のなかで不浄とされる部分をハゲタカに食べさせます。死者の体を体内に摂取することで、ハゲタカは地上と天界とをつなぐ仲介者となるのです。しかしながら近年ではハゲタカの数が減少し儀式の遂行が困難になるとともに、その悪臭に対し近隣の共同体から苦情が寄せられるという問題もあるようです」。ブリジット・ムニエが取り上げたハゲタカという象徴がここにも登場した。ムニエによるハゲタカは単に死と腐敗と関連づけられているだけであったが、このように象徴もまた長い時間をかけながら循環し、流転していくのである。
腐敗しない食べ物
メキシコで毎年開催される「死者の日」もまた、永劫回帰を象徴する祭礼の一例であろう。なお後述するが、これにはプロメテウスの神話も関わってくる。「メキシコは文化人類学者のペリグ・ピトルーがフィールドワークを行った国でした[そしてその研究成果は雑誌『エチュード・シュル・ラ・モール(死の研究)』2019年号所収の「死者の日に見る生命力の横溢 食物の移転と社会的絆の構築の分析を通して」のなかで確認することができる]」とルー・ソンぺラックは補足する。「そこで同氏が注目したのが、神々や死者たちに捧げられる食べ物には腐敗を免れた、不滅の属性が付与されている、ということでした。つまり、捧げられる食べ物には非常に香り高いものが準備されたということです。これは万聖節の際に死者たちがその香りを堪能することで嗅覚からエネルギーを得ると考えられていたためです。人間は食材の持つ食感によって生きる糧が与えられますが、死者たちにとっては、それは匂いによってなのです。さらにこの匂いを感じながら、死者たちは食べ物の味も同時に理解するとされています。こうした匂いをめぐる解釈のなかには、香りや香水といったものが生と死の橋渡しとなるという考えの延長として、それらが死を招き引き寄せるという考えも含まれています」。
この人ならぬものへの食糧としての匂いのメカニズムにはブリジット・ムニエも言及している。ムニエにとってそれは人類とその食生活の起源の一端を垣間見せるものであり、そのことについて彼女は神話「メコネの分割」を通して分析している。ヘシオドスの伝えるこの神話には、一頭の牛の肉を人間用と神々用とに分配する役目を買って出たプロメテウスが行った、明らかに不平等な奇妙な分割方法が描かれる。すなわち一方には栄養のある肉を、プロメテウスはこれを牛の皮で覆って見えなくし、他方には露出した牛の骨を脂肪で包んで美味しそうな見た目にした。このふたつを提示されたゼウスは見た目にだまされて後者を選び、人間は肉のほうを取ることができた。プロメテウスのこの策謀によって神々と人間は完全に分たれることになるが、以降人間には肉を食べることが許されるようになった。そしてその代償として、死すべき運命と定められたのである。一方、オリュンポスの住人である神々に対しては焼いた肉が供物として捧げられるようになったのであった。
「ここで肉の供物が捧げられるとき、神々が食するのは燃える肉から立ちのぼる、かぐわしい香りの煙であるということだ。そしてその香りのもととは肉の上に置かれた香料であり、魂の器である肉と血の燃える匂いでもある」とそうブリジット・ムニエは強調している。「人間はプロメテウスの分配により肉を食すようになる。それに対しかぐわしい煙のほうは、例えば不老不死の霊薬であるネクタルやヘスペリデスの園の黄金のリンゴのように、この世のものではない非物質的な糧を意味するようになったのである」。肉体を持たない神々は食物の嗅覚的要素だけを堪能できる。オーラのように立ちのぼるは香気は、一見するとまるで亡霊のように空虚なものだが、しかし神々にとってはいかにも美味なものとして受け入れられる。
肉体を持たない神々は食物の嗅覚的要素だけを堪能できる。オーラのように立ちのぼるは香気は、一見するとまるで亡霊のように空虚なものだが、しかし神々にとってはいかにも美味なものとして受け入れられる。
記憶を呼び起こすもの
そのように、確かに香りは生けるものの腹を物質的には満たすことはできない。しかし香りには感情面で癒す力があるのである。2021年1月から2月にかけてパリのギャラリー、ポーリーヌ・パヴェにてサンドラ・バレによるキュレーションで開催された「嗅覚で感じる、芸術、匂い、聖なるもの」展では、スイス人芸術家クラウディア・フォーゲルの作品「ヴァルター」が展示された。同作は芸術家自身の祖父をしのんで作られた葬儀用の花冠の形を取っており、家族のメンバーそれぞれの毛髪と人工の毛髪とがスイスの伝統的な手法で編まれて作られている。さらにその表面には陶器製の小さな玉が散りばめられ、その上からタバコの香りが吹きつけられる。このある種聖遺物のような趣きのある、継承されるべき記憶と遺産としての作品は、この香りが加わることによって不滅のものとなるのである。亡き人の匂いが失われることで、そこに強い喪失感と執着心が生まれることがある。実際ルー・ソンぺラックは愛する人を亡くした人々がさながら反射行動のように、故人の嗅覚的痕跡を保存するためにその人着ていた衣服を箱のなかにしまうという光景を頻繁に目撃している。「布の持つ魔力[...]それはわれわれ人間という存在を受け入れ、記憶することである。それはわれわれの匂いや汗を受け止める。そして存在の形そのものを。親や友人、そして恋人が死んだとき、彼らの着ていた衣服はクローゼットのなかでそのまま吊るされたままになっているのだろう。在りし日の彼らの残像を残したまま。それは慰めであると同時に、恐れでもある」と、そうペンシルバニア大学比較文学科教授のピーター・スタリーブラスは記している。論文集『文化の記憶とアイデンティティの構築』(ウェイン州立大学出版局、1999年刊)のなかに収められた一節である。「死してもなお、彼らは常にそこにいる。衣服に刻まれた体の輪郭、すり切れた袖口、そして匂いという形で」。かくして衣服は、ひとつの墓標となる。ただしそこに人は入っていない、空墓として。そしてそこへ鼻を近づけ匂いをかぐことによって、亡き人の存在は再び呼び起こされる。
不在となった人々の香りを再現することに特化したブランドも存在する。カレンである。故人の衣服をクロマトグラフィー分析にかけ、その結果をもとに香りを調合し香水ボトルに瓶詰めする。その数滴によって、使用者は亡き人の姿を再び見出すことができるのである。
これらの現象は、まさにプルーストが探求した「時空の超越」というテーマにあたるものではないか。たとえ死という「厄介だが受け入れざるを得ない」制約によって愛するふたりが分たれたとしても、匂いがあればふたりは時間や空間という概念を超えて、再び再会することができるのである。最後になるが、たとえそれがどのようなものであれ(死体の腐敗臭であれ繊細な香の香りであれ)何らかの匂いを感じることができるということとはすなわち、その匂いをかいでいる自分が今ここで生きているということのこれ以上ない証左と言えるのではないだろうか。匂いを感じ、生きている、もうそれだけでも、喜びに値するというものではあるまいか。
★下記サイトで全文を参照することができる。
https://www.unilim.fr/pages_perso/jacques.fontanille/articles_pdf/applications/sens_odeurs_celine.pdf

