彼女を擁護するものたちは彼女に「アヴニ」という名をつけた。反対に彼女を追うものたちは彼女をコードネームで「T-1」と呼んだ。彼女はインドのマハラシュトラ州で13人もの村人を殺害した罪に問われていた。その彼女とは雌のベンガルトラで、2018年11月に射殺された。事の発端はアヴニがある香水の香りに引き寄せられたことに起因するとされたが、その香水とはカルヴァン・クラインの「オブセッション・フォーメン(男への妄執)」であった。人喰いの猛獣をめぐる文脈のなかで語られるにしては、またずいぶんと物騒な名ではないか。カルヴァン・クラインのその香水は合成分子のシベトンを含んでいた。その名の通り、麝香猫から分泌されるシベットを思わせる成分である。そして猛獣たちは、まさにこの香りを好むのだという。ニューヨーク市・ブロンクス動物園に本部を置くNGO「野生動物保全協会(Wildlife Conservation Society)」は2010年より、動物園で飼育されている猫科の猛獣たちをリラックスさせるためにこの香りを取り入れていた。猛獣たちはその香りに酔いしれ、無害な普通の猫とまったく同じような感じで、お腹をかいてもらいたそうにくねくねと身をよじらせるという。さらにこの米国のNGOはグアテマラでジャガーとピューマの気を引くために同じ方法を用い、そうしてカメラの前まで誘導して、自然環境のなかに生きるこの動物たちの姿を映像におさめることに成功している。しかしこのたびのインドにおいて、まさにこの嗅覚的妄執(オブセッション)が初めて死者を出す結果となってしまったのだった。
「男なんてみんなケダモノなんだから……」と、きっとローラ・ファラーナだったらそう言いながら、猫がシャーッと威嚇するような、そんなうなり声をあげていることだろう。ローラ・ファラーナは1975年、有色人種で初めて有名ブランド香水の広告塔になった女優であるが、その香水というのがまさにファベルジェ「ティグレス(雌のトラ)」なのだった。ラスベガスのファーストレディの異名を持つこのスターを、野生的な香りが特徴のこの香水のアイコンに起用したことは確かに大きな批判を浴びはしたものの、しかしながらこのように、西欧中心主義的な言説ではもはやおなじみのものとなっている「エキゾチックな」女性が動物である猫と、さらにはその動物をコンセプトとした香水に結びつけられるという構図を改めて白日のもとにさらしたという点においては、この香水の広告には相応の価値があったと言えるのではないだろうか。この香水、すなわち美しいが、とらわれてしまったら致命的となる動物への罠。そうだ、アヴニにとってはまさに致命的だったのだ。エキゾチックな女性と野生の香りというこの同じ構図を、シャルル・ボードレールもまた自身の詩篇「香り(Le Parfum)」のなかでなぞっている。愛する女性を賛美したこの詩のなかで、ボードレールは次のように詠んでいる。すなわちその髪からは「野生的で猛獣のような」匂いがし、その衣服からは「毛皮のような香り」がした、と。
香水と毛皮動物
人間の体の奥底に眠る獣としての本性を覆い隠しながらも、暗にその獣性をほのめかすものとして、香水ほど適したものはないのではないか。そしてそれが「毛皮の香りを持つ」ものであるときほど、その二重性が十全に強調されることはないだろう。そのような香水が肌の上に吹きつけられるとき、ベル・エポック期の風刺作家オーレリアン・ショルの警句を引くとすれば、「その皮膚はひとつの獣からまた別の獣へと変貌する」。そしてそのベル・エポック期にに引き続く狂騒の時代(1920年代)には、もとは毛皮商として知られたヴェイユが「チンチラ」「エルミン」「ジベリン」などを発表し、動物系のフレグランスを出した初のファッションブランドのひとつとなったのだった。
1960年ごろにパルファン・クリスチャン・ディオールが社内向けに実施した調査によると、消費者たちは「ディオラマ」(1949年)を文字通りのフレグランスとして使っているというよりかは、おそらくどこか比喩的な、象徴的な意味をこめて使用しているのではないかという。消費者たちは同香水の特徴を描写する際に、「冬の季節と毛皮を思わせる香り、[...]官能を刺激する、今どきの女性はあまり求めないような香り」といった表現を用いたとのことであった。おそらくここで言及されている動物性とは、エドモン・ルドニツカの調香によるフルーティなシプレ、そしてカストリウム、シベット、ムスクのノート、軽く匂う汗を思わせるクミンの香りから来ているのだろう。
しかしながら香水において毛皮がイメージされるとき、思い浮かべられるのは息づく獣の気配というよりかはむしろ、エレガントな美女のイメージだ。「リウ」(ゲラン、1929年)におけるシャム猫や黒ヒョウ、1950年代から60年代の「マイ・シン」(ランバン)の広告のなかの黒猫、そしてルネ・グリュオーにより1949年に描かれた「ミス・ディオール」の広告ではヒョウの足の上に女性の手のひらが寄り添うように重ねられている。これはブランド創設時からのミューズでレオパード柄を誰よりも好んだミッツァ・ブリカールへのオマージュであるとされている。毛の生えた数ある動物のなかでも、香水のボトルや広告キャンペーンで見られるのはこのように猫科の動物ばかりである。
一方で1970年代に入ると、猛獣の危険性がより直接的な形でクローズアップされるようになる。カルヴェン「マ・グリフ(私の爪)」のキービジュアルでは男性の背中の上に引っかかれた爪の跡が鮮烈に残され、1985年にクロード・シャルボルによって演出されたディオール「ポワゾン」の初のテレビCMには黒ヒョウが登場する。この流れからカルティエもまた、ブランドの象徴をなす動物であるとともに、1933年から70年までアーティスティックディレクターを務め多大なる貢献をしたジャンヌ・トゥーサンの愛称にちなみ、ひとつの香水を捧げた。「パンテール(ヒョウ)」である。しかしこの香水はフローラルで、あまりぱっとしない感じであった。「パンテール」がその名にふさわしい獣としての本性をほしいままにするには、マチルド・ローランによるバージョン、特にそのエクストレが出る2014年まで待たなければならなかったのだ。果実のようなシプレのノート、そしてその花びらと毛皮の香りの背後には、麝香鹿が保護されて以降はパレットから姿を消した、あの伝説的なトンキン・ムスクが見事に再現されているのを認めることができる。
香水において毛皮がイメージされるとき、思い浮かべられるのは息づく獣の気配というよりかはむしろ、エレガントな美女のイメージだ。
レザーをまとったアマゾネス
クラシックな香水は毛皮動物特有の獰猛なイメージを喚起させるが、しかし実際にはそれらの香水から香ってくる動物的なノートは、むしろ毛皮を持たない有蹄類の動物たちから来ているものだ。そしてその有蹄類の動物たちが身にまとっているレザーは、男らしさの象徴であるとともに旅や狩りといったものを想起させる。したがってこの第二の皮膚は、それを身につけるものに対し、気弱な獲物から危険を恐れぬ狩猟者へと変貌することを約束するものであると言えよう。香水という目には見えない毛皮のコートをまとったものが、人喰いの獣になることを夢想するのと同じように。その例証として以下に挙げるのはシャネルのアーカイブにある1936年に書かれた文章からの引用であるが、そのなかでは「キュイール・ド・リュシー(ロシアン・レザー)」が「優雅で贅沢なカクテル、旅への招待状、冒険的誘惑」といったイメージをもとに着想されたということが書かれている。そしてそれを身につけるのは「黒髪の、背が高くて細い女性。決然とした振る舞いで、人に命令することに慣れた声音、[...]口には阿片タバコをくわえ、いつでも手の届く場所にウィスキーの瓶を置いている」、そんな女性であるべきだとある。
レザー系の香りは馬具と直接的に結びついているにもかかわらず、そしてアマゾン神話では「キュイール・ド・リュシー」の似合う女性がまたがるものであるにもかかわらず、馬は香水の世界ではほとんど表象されることはない。馬の糞から立ちのぼるほかほかとした煙を連想させるためだろうか。数少ない例外はマルク=アントワーヌ・コルティシアート、この元障害馬術競技優勝者が愛馬へのオマージュとして捧げた(コラム「調香師、自らを語る」に詳しい)「エキストリウス」(パルファン・ド・エンパイア)、そして干し草とタンニンの香りが馬の「たてがみ」を想起させることでより直接的な形で動物の存在をほのめかす、マチルド・ローランの「ルール・フグーズ」(カルティエ)くらいなものだ。ゲランは「マルリーの馬」をブランドのシンボルのひとつとして採用したが、「アビ・ルージュ」(1965年)ではこの彫像をハンターが乗るための狩猟用の馬のイメージに重ねた。一方エルメスは、貴族が乗るところのもの、という角度でしか馬を扱ってはいないが、そのことは「カレーシュ(小型四輪馬車)」(1961年)や「エキパージュ(馬車)」(1970年)などによく現れている。同じエルメスの「アマゾン」(1974年)に関しては、フローラル・グリーンな香りでいかにも「70年代っぽい」感じだが、レザーや干し草のニュアンスはいささかたりとも感じられない。
先ほどのカルティエの例でもそうだったように、エルメスが馬という主題、およびその動物性を完全に受け入れるのは(完全にというのはつまり、嗅覚的に、ということだが)もっとずっと後になってからのことだった。すなわちクリスティーヌ・ナジェルによる、ブランドにとって初となる偉大なるフェミニン香水「ギャロップ」(2016年)の登場まで待たなければならなかったのだった。しかしアンジュラン・プレルジョカージュによって振りつけ演出された広告映像には、馬のたてがみの影すら映らなかった。しかしその映像のなかで、出演する女性はさながら騎手から馬それ自体へと変じるかのように描かれてる。大きな歩幅で、馬が後ろ脚で蹴るかのように舞踏し、筋肉が躍動する。ナジェルによるやわらかなバラの香りが生々しいレザーの香りへと絶えまなく変じ続けるのと同じように、その「ギャロップ」するその女性もまた馬への変身を運命づけられているのだろう。まるでシャーマニズムの儀式であるかのようだ。香水の力によって、魔術や動物への変化を欲するものたちの本性がそこで暴き出されるのである。