PERFUME&ART

By Clara Muller

嗅覚芸術の展望

クララ・ミュラー

芸術が鼻から理解されるのは可能だろうか。芸術家が嗅覚を通して自らを表現することはあるのだろうか。匂い、そしてときに香水を題材とした作品を取り扱う複合的な展示が近年増え続けていることによりこの種の疑問に注目が集まっている。雑誌『ネ』はこのいわゆる「嗅覚」芸術の非網羅的なパノラマを読者に向けて提示する。

長いあいだ、嗅覚は美的経験を誘発しないものと目されてきた。瞑想を呼び起こしたり、あるいは意味を伝達すること、解釈のプロセスを誘引することなどは、西欧の伝統においては視覚や聴覚といった「上位の」感覚だけに許された領分であった。とはいえ日本の「香道」に代表されるように他の文化圏では古くから匂いの芸術は発達しており、そうである以上このような見解は民族的に偏っていると言わざるを得ず、したがって嗅覚に傾倒した哲学者たちにより一世紀にわたり反されるとともに、それによって二十世紀と二十一世紀の芸術家たちが嗅覚に関心を持つことがさまたげられることもなかった。そしてついには美術史家や批評家、キュレーターたちが、匂いの美的性質を意図的に利用した芸術の形式を研究し始めたのである。十九世紀末における総合芸術を希求する機運が受け継がれ、芸術に匂いを取り入れるというアイデアが現実に具体性を帯びるようになったのは、複数の前衛運動がこの問題に注目し始めた二十世紀に入ってからだった。1913年には早くも、イタリアの未来派画家カルロ・カッラが「音、ノイズ、匂いの絵画」と題されたマニフェストを世に問い、五感のなすポリフォニーを絵画へと変換する欲望を表明した。しかし芸術の境界線を押し広げるために複数の感覚形態を刺激する道を実際に切り開いたのは、ダダイストたちだった。「われわれはわれわれの五感すべてを拡張し征服することを望む!われわれはすべての境界を切り開くことを望む!!!」、ラウル・ハウスマンは1932年『プレザンティズム宣言』にそう記した。同年、マルセル・デュシャンはリゴーの香水瓶にラベルを貼り替えただけのレディメイド(既製品)「ベル・アレーヌ、バイオレット水」を発表した。そのラベルにはデュシャンの女性的別人格、ローズ・セラヴィの写真がマン・レイによって撮影されあしらわれていた。そして1938年、非網膜的芸術を模索していたデュシャンは、国際シュルレアリスム展での舞台美術の演出において、芸術のなかに匂いを取り入れることを現実のものとしたのだった。人工の洞窟のなかでコーヒー豆が電気火鉢の上で焼かれ、その「ブラジルの匂い」が空間を満たしていた。

1950年から60年にかけて、フルクサス運動やアルテ・ポーヴェラの芸術家たちがデュシャンの後を追い始めた。芸術家アラン・カプローは『ジャクソン・ポロックの遺産』(1958年刊)のなかで次のように書いている。「絵画を通して視覚以外の感覚にもたらされる暗示に満足していないわれわれは、視覚、聴覚、運動、人々、嗅覚、触覚といったものにとって固有な特殊物質を、もっとうまく利用しなければならないだろう」。以来、芸術家たちは、硫黄(ジャン=ミシェル・オトニエル)、花粉や蝋(ヴォルフガング・ライブ、マリオ・メルツ、ヴァレスカ・ソアレス)、油脂(ヨーゼフ・ボイス)、さらには汚水(ベン・ヴォーティエ)といったものまで、自然に匂いを発する新しい素材をこぞって使い始めたのである。こうして少しずつ、「香りは自由の息吹きのように作品の内部に忍びこみ、芸術に生命力を与える親密な空気となったのである」(シャンタル・ジャケ『香りの哲学』フランス大学出版局、2010年刊)。では今日において、芸術のなかにいかなる匂いが表現されてきたのかという、そのような目録を作ることは可能なのだろうか。いや、そもそもそのような匂いの芸術へと芸術家たちを駆り立ててきた動機、原動力とはいったいどのようなものだったのだろうか。まず第一に考えられるのは、嗅覚の即応性であろう。嗅覚は視覚によってもたらされる距離なしに、より直接的に身体を現実へとアクセスさせることを可能にする。そして考えられるもうひとつの要因は、その芸術がどのように受容されるかは蓋を開けてみるまで分からないという、予測不可能性だ。嗅覚についての普遍的な参照基準がないことはもちろんのこと、文化間と同様に個人間にもちがいがある。匂いは感覚的、感情的、あるいは記憶をめぐる共感覚的経験を引き起こすことを可能にする。そしていくつもの場所を思い出させ、社会、われわれの身体、アイデンティティといったものについて思いをめぐらせることを可能にする。匂いの持つこの変わりやすく移ろいやすい性質は、時間を操るという可能性を与えるとともに、芸術が生命の飛翔を見せるための活力を与える。かくも多くの理由が芸術家たちを匂いのほうへと舵を切るよう駆り立てる。それがいかなる形であったとしても、天然であれ合成であれ、構築されたものであれ生のものであれ、心地よいものであれ嫌悪感を催させるものであれ、彼らはそれらをさまざまな方法で(それが匂いを持つ素材であれ外因性の匂いであれ、液体であれ気体であれ、個別的であれ全方向的であれ)実践のなかに取り入れる。嗅覚は思考や表象の手段に変換されるとともに、匂いを理解することは決して知的で理性的なものではあり得ないという予備判断を解体する。

匂いの持つ物理的特性は、展示や保存の条件を始め、芸術をめぐる言説や市場のなかに嗅覚芸術がいかに統合され得るのかといったことまでを含む、一連の具体的な問題を示唆している。嗅覚作品の制作自体はかなりの発展を見せているが、その一方で嗅覚芸術の歴史や依拠すべき理論が確立されていないなど、この主題をめぐる批評装置に関してはまだかなりの欠落がある。これらの作品にアプローチするために、批評家たちは回りくどく、しかし明らかに中途半端な方法で対処する。すなわち、匂いなど副次的な主題にすぎないと誤魔化すことによって、素材の形態から匂いを切り離してしまうのである。「今日の批評家たちは、嗅覚作品において根源的力をなしているはずの匂いについてはほとんど語りません」、『博物館的、嗅覚的専門知識のために』と題された論文を執筆中のマチルド・カステルはそうコメントする。加えて嗅覚芸術の特性であるこの消え去りやすいという特徴は、嗅覚芸術がアート市場に参入することやコレクションされることを難しくしている。「匂いを主題とした芸術を認知することの難しさの大部分は、アーカイブ化が非常に困難であるということに起因しています。したがってこの種の芸術はその価値を失う可能性を常に抱えています。ここで問題となってくるのは、物質としての状態(オブジェクト性)がどのようなものであるかということです。匂いそれ自体を価値あるオブジェクトとして考えるとなると、とたんに困ったことになってくるわけです」、ロサンゼルスのインスティテュート・フォー・アート・アンド・オルファクション(芸術嗅覚学院)創設者のサスキア・ウィルソン=ブラウンはそう説明する。傑作とは永遠に形をとどめた堅固なものであるというそのような伝統的な考え方からは、嗅覚芸術は完全に逸脱してしまっているのである。それを売るには作品の永続性を担保するためにコンセプトやフォーミュラもいっしょにして売る必要があるし、永遠にその作品を香らせられるように十分な量を生産する必要もある。そしてそれが展示されるときには、空間内における匂いの拡散に関するものとして、その展示空間の外郭、空間と時間の関係、匂い同士の干渉、気象条件、来場者者の数、メンテナンスなどといった、さまざまな問題が浮上することになる。

ダミアン・ハーストの「ア・サウザンド・イヤーズ」。この怪物的な虚栄心、すなわち牛の頭部から発せられる病的なまでの悪臭が多くの来場者たちを震撼させた。

毒と化粧品、およびそれにともなう文化的反射について

芸術における嗅覚的刺激には、ときに破壊的ニュアンスが強調される。不快な、それどころか有毒な匂いが、嫌悪感による反射、防衛本能による反射を誘発する。そのような匂いが人にショックを与えるために使われるのである。1965年にはエドワード・キーンホルツがインスタレーション「ザ・ビーナリー」において、故郷ロサンゼルスのバーの喧騒と匂いを再現するために早くもアルコール、油脂、尿、タバコといったものを利用している。1995年にはダミアン・ハーストが、巨大な灰皿にタバコの吸い殻と空き箱があふれかえった「パーティ・タイム」を通して、タバコに見られる有毒的なところと祝祭的なところ、それらを合わせ持つ両義性を表現したのだった。しかしこのようなタバコのインスタレーションで最も巨大なものはぺーター・デ・クーペレの「スモーク・ルーム」(2010年)であろう。部屋全体がまさに窒息せんばかりの、75万本もの吸い殻でびっしりと覆われている。他にもさまざまなタイプの危険な匂いが現代アートにはびこっている。本来嗅覚の本質的な役割が危険を察知することであると考えれば、これは理にかなっていると言えよう。シルド・メイレレスのインスタレーション「ヴォラティル」(1980年から94年)では、床がタルカムパウダーの厚い層で覆われた部屋にロウソクがともされ、さらに家庭用ガスの匂いで満たされた。そこでメイレレスは雲の上を歩いているかのような浮遊感覚と、炎を前にしてガス漏れでも起こったらどうなるのだろうという疑いが引き起こす不安との対比を巧みに利用している。同じように不安を煽る作品が、リチャード・ウィルソンのインスタレーション「20時50分」だ。8000リットルものガソリンの入れられた巨大なタンクで構成され、建築空間の認識を変えてしまうような暗黒の深淵がそこに表現されている。そして知覚に強く訴えるようなその匂いは、鑑賞者に対し即座に警戒態勢を取ることを強いる。ボリス・ローによる、洗剤で構成された白いモノクローム作品は色彩的には対照的だが同じように有害である。が、有毒ガスを発生させるためこちらは展示することすら不可能となっている。化学物質、汚染物質、薬物、毒物、したがってこの種の芸術は私たちを窒息させる危険を多くはらんでいる。一方で、それぞれの文化に根ざした衛生用品や化粧品といったものは集合的無意識によって共有された暗示的な意味を持つわけだが、ひとたびそれらが芸術に変換されると、不穏で驚くほどの社会学的環境がそこに誕生することになる。「アワー・プロダクト」のために、パメラ・ローゼンクランツは「ホワイト・キューブ」すなわち「白い立方体」と呼ばれる展示空間を24万リットルものピンク色の液体で満たす。そしてその液体からは化粧品とバクテリアによって化合された離乳食の匂いがする。この流体的素材によって、生物学的なものと技術的なもの、そして有機的なものと合成的なものは同時に併存可能であるということが示唆される。クリーム、石けん、泡風呂といったものを彫刻で表現するカーラ・ブラックによるインスタレーション、パステルカラーで彩られた広大な抽象的風景もまた自然と文化という両義性を扱っている。したがって芸術のなかの化粧品は身体に言及しているというよりかは、ボリス・ローの作品に見られるように社会的構造のほうに触れていると言え、あるいはニパン・オランニウェスナ「シティ・オブ・ゴースト」のようにより政治的なニュアンスを持つこともある。その作品はタルクでできた地図の形を取っており、そのなかで21の大都市が錯綜する様はグローバリゼーションの脆弱さを物語るとともに、その匂いによってある種のノスタルジーを引き起こす。モナ・ハトゥム「プレゼント・テンス(現在の緊張)」(1996年)もまた地図の形を取っており、オリーブオイルで作った2400個の石けんのキューブで構成されたその地図は、その上に描かれた国境がにじんでぼやけており、それによってハトゥムはヨルダン川西岸の政治的不安定さを強調している。さらに造形作家エリカ・エラワンの「ルーエ・イン・フリーデン(安らかに眠れ)」を例に挙げるとすれば、この作品ではマウスウォッシュ用の洗面器が展示され、その合成的な匂いによって偽りの清潔感が伝えられるとともに、インドネシアの飲料水汚染が告発されることになる。中毒の危険はすぐそこまで迫っている。

有機物の匂い

展示空間に自然の要素を取り入れることで作品を「生きた」ものにすることができる。1968年の「アース・ルーム」で、ウォルター・デ・マリアは展示会場を数十立方メートルの土で覆い、目で見る前にまずはその匂いを鼻で感じられるようにした。1999年、アルテ・ポーヴェラの代表的芸術家ジュゼッペ・ペノーネは「影の呼吸」を制作した。月桂樹の葉で満たされたケージで四方の壁が埋めつくされ、その匂いで空間内が満たされるとともに、来場者の記憶にもその匂いが浸透する。バラ、ラベンダー、ホップを目一杯地面に敷き詰め同様の記憶的効果を狙っているのは、ヘルマン・デ・フリースだ。また、苔の持つ可変的特性も明白な素材となり得る。メグ・ウェブスターはその特性を利用して苔の幾何学的フォルムを作り出し、そしてオラファー・エリアソンは「モスウォール(苔の壁)」(1994年)と題された一枚の壁を制作した。苔でできたこの壁は乾燥によって縮み退色するが、水をあげると元気を取り戻し、その際強い匂いを放つ。この作品は生態系につきまとう不安定さのメタファーであると言えるだろう。食物もまた芸術の題材として適している。1960年以降、コーヒー(ヤニス・クネリス、ガル・ワインスタイン)、チョコレート(エド・ルシェ、ポール・マッカーシー、ジャニーン・アントニ)、スパイス(斎藤陽子、ベアトリス・グロウ、エルネスト・ネト)といったものがその特徴ある匂いのために、そして長く保存がきくといった理由から使用された。同時に、これらの食材は植民地支配の歴史を連想させるものでもあるだろう。傷みやすい食材が創作に使われることもある。1970年代から2000年代にかけて、ディーター・ロス、ヤン・ファーブル、ナンシー・ルビンス、ロエロフ・ルー、アーニャ・ガラッチオ、ミシェル・ブラジーといった芸術家たちはあらゆる食材を腐敗させるカビを素材として用いたが、それは事物が変質していくプロセスというものに彼らが魅了されたからでもあり、そして時間を止めることの不可能性を表現するためでもあった。生と死を扱うこれらの作品の極みは、まさにダミアン・ハーストの「ア・サウザンド・イヤーズ」にあると言えるだろう。この怪物的な虚栄心、すなわち腐敗した牛の頭部から発せられる病的なまでの悪臭は多くの来場者たちを震撼させた。このように美術館という文脈にはおよそそぐわない思いがけない有機物の匂いの数々は、それが魅力的なものであれ嫌悪を催すものであれ、視覚だけではなし得ない強烈な印象を抱かせることに成功している。

作品化される身体

ペーター・デ・クーペレが2014年、嗅覚芸術への自らのマニフェストに対し自分の体液を使って署名をしたことは、今日の嗅覚芸術において身体の匂いというものがいかなる地位を占めているかということを考えるうえで示唆に富んでいる。『身体における鼻』と題された論文のなかでサンドラ・バレは次のように述べている。「嗅覚芸術において、美的経験ということに関してもはや精神は優位にはなく、作品を作るのは身体全体なのである。[...]身体は自らから出る匂いを発する液体を、すなわち分泌物を受け入れ始める。身体は匂いを感じるだけではなく、匂いを放つ」。こうした分泌液のなかでも最も忌まわしきものこそが芸術家を魅了する。ピエロ・マンゾーニがあの物議をかもした「芸術家の糞」を発表してからというもの、排泄物は(ヴィム・デルボア、マイク・ブーシェ、アンドレス・セラーノらによって)頻繁に用いられてきた。他の匂いのある液体も、社会的な許容範囲を侵犯するために用いられ、またさまざまな悪臭からなる社会構造、そして汚染というものに対し人が見せる本能的な恐怖に対し疑問を投げかけるために用いられた。「作品とは汗である」(『職業の秘密』1926年刊)、そうジャン・コクトーも書いている。そして複数の芸術家たちがそれを言葉通りにとらえ、汗を収集し、そして展示したのである。ペーター・デ・クーペレは「汗」において女性ダンサーたちの汗を、そしてシセル・トラースは「匂いの恐怖、恐怖の匂い」において恐怖症を持つ男性たちの汗を作品にした。さらに恐ろしいことに、血までもが芸術家たちによって利用される。創世のメタファー、あるいはキリストの象徴、さもなくば政治的な叫びとして。メキシコ人芸術家のテレサ・マルゴレスは麻薬カルテルに殺害された犠牲者たちの血を使い、息をするのも耐えがたい作品を作り上げている。ここでは本能的拒絶反応は必ずしも物体から知覚される特性によってのみ引き起こされるわけではなく、その物体が表象しほのめかすものによっても引き起こされているというわけだ。匂いとは、嫌悪が起こるプロセスのなかでさらなる感情を引き起こすために動員される原動力に他ならない。身体の匂いは社会的あるいは政治的要求の身振りという形も取るが、同時に個人のアイデンティティや私的領域といったものにも触れるものでもある。アニカ・イーは芸術界関係者の約100人の女性の頬から採取したバクテリアを培養し「Fと呼んでください」という題の作品を作り上げた。この変化するバクテリアでできた絵はその匂いによって、伝染する瘴気への恐怖をかき立てるだろう。イーによればその恐怖は女性的力に対する恐怖へのアナロジーであるという。そして多くの芸術家たちはその匂いを家父長的社会で抑圧されている女性の身体と欲望を表現するために用いている。フェミニストとしても知られる芸術家ジュディ・シカゴは1972年、インスタレーション「生理のバスルーム」を案出する。浴室のゴミ箱からは未使用のものから使用済みのものまで生理用タンポンとナプキンがあふれている。そのむせかえるような匂いよって、鑑賞者は経血というひとつのタブーを荒々しいまでに突きつけられることになる。着用済みの女性もの下着によって構成された平川典俊「涅槃の庭」(1997年)もまた同様の没入感を生み出している。身体という物理的境界の外に広がる私的かつ不可視の痕跡として、匂いもまた立派なアイデンティティのひとつとであると見なすことができるだろう。クララ・ウルシッティが発表したセルフポートレイトの連作「香りの自画像」のなかのひとつ「澄んだ水」(1993年)にはまさに作家自身の膣分泌液が用いられ、香水という形式を取ったこのは作品は体臭を覆い隠すという本来香水が担うはずだった目的から逸脱し、皮肉にもその体臭に価値を与えるものとして立ち現れることになる。マルティンカ・ワルジニアク(「スメル・ミー」2012年)、そしてクラウディア・フォーゲル(「コンクリート2.3グラム、香りの自画像」2013年)らもまた自身の身体を香りによって表現し、イヴ・クラインの「人体測定」も含め、これらの作品は身体芸術において主要な地位を占めたものであると言うことができるだろう。

欲望を喚起する力を備えたものとしての体臭、ということもまた広大な探究の場であると言えるだろう。ヤナ・スターバックは「発汗、あるいは匂いの肖像」(1995年)において自身のパートナーの匂いを複製することを試みた。それによってスターバックは、他者に内在する本質を所有ないし保持できるなどという考えが幻想であるということを自らの具体例をもって示してみせたのである。一方で、人体におけるフェロモンの役割はまだ実証こそされていないものの、「フェロモン・パーティ」を主催するジュディス・プレイズや、結婚相談所のプロトタイプとして、衣服にしみこんだ匂いでカップリングを試みる「フェロモン・リンク」を1996年に構想したクララ・ウルシッティらを始めとして、フェロモンは多くの芸術家たちにインスピレーションを与えることとなった。このように匂いに仲人の役割を担わせるという考えはジェイムス・オージェとジミー・ロワゾーに「スメル+」の着想を与えた。通気チューブを通して視界の外にいる相手の脇の下やさらには性器の匂いまでかがせる嗅覚の「ブラインドデート」システムだ。果たして結果はどうなるやら……。

身体の匂いは社会的あるいは政治的要求の身振りという形も取るが、同時に個人のアイデンティティや私的領域といったものにも触れるものである。

静物に命が吹きこまれ、時間が蘇るとき

香りの本質とは動きを与えることであり、そしてその香りとは、生命力に満ちた力がそこに表現されたものである。静物であるはずの彫刻に香りのつけられた蒸気や煙が組みこまれることによりそこに命が吹きこまれ、物言わぬ事物に対し動きが与えられ、人格が、さらには感情までもが付与される。彫刻家モルガン・クルトワはバラの香りが軽やかな霧のように立ちのぼる瓶や、あるいは柑橘系のノートが「喜び」を感じさせる瓶といった、そのような複数の瓶の連作を作品として提示した。小山宏による鉱物彫刻もまた一枚岩の内部から漏れ出る香煙の効果で、まるで彫刻そのものが生きているように見える。没入型インスタレーションにおいては、匂いが作品に統合され生命の息吹がそこに加わると、まるで世界そのものが創造されたかのような感覚に陥る。人工の庭園のなかで合成物質からなる匂いが想像上の、虚構的な自然が復元されるのを手助けしている、マタリ・クラッセ「マタリの世界」(2012年)がその例に挙げられるだろう。香りはこのように生命の息吹きを与えるばかりでなく、ときに過去を蘇らせ、さらには時間を引き延ばしさえする。「ビフォア・ザ・レイン」(2011年)においてク・ジョンは雨が降る前の匂いを瓶詰めすることによってその瞬間をとらえ固定化し、さらにはその時間を復元することを試みた。香りとははかないものであるが鮮烈な記憶となって失われたものを呼び戻し、思い出を再び蘇らせる。そうしてセルジュ・ルタンスは2004年、幼少期の記憶から出てきた匂いで満たされた迷宮を作り上げたのだった。それはルタンスにとって記憶の迷路のなかで迷いながらも再び自らを見出すための方法でもあった。

物語ること、表象すること

芸術家の作品が受容されるとき、そこには主観どうしの相互理解がないにもかかわらず、芸術家たちはときとして、象徴や暗示として機能する匂いを使って自らのアイデアを表現することを試みる。1972年、ジェラール・ティテュス=カルメルは「第二の場所、未開の森/アマゾン」という名のインスタレーションを制作した。その部屋では複数のエッセンスで満たされたディフューザーが木の香り、花の香り、そして汚水の匂いを拡散し、未開の森というアイデアを形にした。フレデリック・デュエリンクおよびマルセル・ファン・ブラッケルによる「著名な死」に見られるように、物語を語るということがインスタレーションの目的そのものとなることもある。鑑賞者は金属製の箱のなかに横たわるよう求められ、そのなかでは匂いつきのサウンドトラックが著名人たちの迎えた最後の瞬間を物語る。ブレーキがきしみ金属が粉砕される音、そして何かが焦げたような匂いはダイアナ妃の最後の瞬間を、あるいは大麻、コカイン、バスオイルの匂いはホイットニー・ヒューストンの最後を想起させるだろう。一人称視点で、しかも映像による助けを借りずに体験されるこの作品は、嗅覚というものがいかにコミュニケーションや没入型「ストーリーテリング」に利用可能であるかということを探る、「センス・オブ・スメル」研究プログラムのひとつとなっている。匂いはまた抽象的な概念を想起させるためのメタファーとしても機能する。例えばソフィ・カルはフランシス・クルジャンと協働し貨幣の匂いを作り出し、ゲイル・ナルスは四大元素を香りに置き換えることを試みた。そして塩谷信は七つの大罪に対して同様の試みを行い、リンゼイ・タンクルは4つの黙示録の香りを作り、さらにはクリサンヌ・スタタコスは「ウィッシュ・マシーン」において、人間の主要な欲望を複数のエッセンシャルオイルにたとえた。そのどれもが観念を匂いとして解釈しようとする詩的な試みであると言えよう。いくつかの場所を想起させること、それをその場所にまつわる現実の、あるいは想像上の匂いによって想起させようとする試みまた、ここに紹介してきた物語ること、そして表象することへの意志から出てきたものである。芸術家たちはその空間を特徴づけている匂いを特定し、ときにそれを複製しようと試みる。ビルテ・レーマイヤーは風景を揮発する残影としてとらえることによってオランダの湿地帯の匂いを再構成しようと試み、スー・コークとへーゲン・ベッツヴァイザーは宇宙飛行士チャーリー・デュークの証言をもとに月の匂いを作り出した(「こすると月の匂いがするカード」)。そしてケイティ・パターソンはキャンドルを使って銀河への旅を表現した(「地球からブラックホールへ」)。ヒルダ・コザーリ「エア」(2003年)やマイケル・ピンスキー「ポリューション・ポッズ」(2017年)に代表されるような環境問題への憂慮を表現した作品は、より政治的にコミットした嗅覚的スナップショットであると言えるだろう。「シティスケープ(都市の景観)」は昔からよく知られ親しまれてきたわけだが、今や「スメルスケープ(匂いの景観)」が見出されるべきなのではないか。シチュアショニストたちの提唱した心理地理学の影響を受けた、ケイト・マクリーン、シセル・トラース、ジェニー・マーケトゥ、クララ・ラヴァット、ヴィクトリア・ヘンショウ、ニコラ・トゥイリー、グエン=アエル・リン、キャット・ジョーンズといった多くの芸術家たちが匂いの地図の作成や都市の匂いを瓶詰めする試みに取り組んだ。これらのトポロジーは部分的、主観的、かつ文化によって左右されるものではあるものの、匂いというものがいかに風景を構造化し、移動することなしに驚くべき旅をさせることができるかを示している。

香りとははかないものであるが鮮烈な記憶となって失われたものを呼び戻し、思い出を再び蘇らせる。

嗅覚芸術とは有機的なものに触れ、物語に触れ、そして時間の流れのなかで変化していくものである。そのため嗅覚芸術はそれらすべての要素を備えたライブパフォーマンスという形式に自然と結びつくことになる。

最後にライブパフォーマンスの事例を

これまで見てきたように、嗅覚芸術は有機的なものに触れ、物語に触れ、そして時間の流れのなかで発展し変化していくものである。そのため嗅覚芸術はそれらすべての要素を備えたライブパフォーマンスという形式に自然と結びつくことになる。そしてその中心には総合芸術を提唱したワーグナー的幻想が息づいている。パフォーマンスであれ演劇、音楽であれ、これらライブ形式で表現される芸術もまた不可避的に匂い化現象に巻きこまれることになるというわけだ。匂いは今や例証に役立つ、作品理解に不可欠な意味論的記号の役割を果たすようになったのである。

1902年には早くも批評家のサダキチ・ハートマンが「16分で日本旅行」と題された革新的パフォーマンスを行い、旅の行程を6つの香りにたとえることによって、聴衆を日本に向けて旅立たせることを請け合った。1968年にはジャクリーヌ・ブラン=ムーシェによって映像や舞台の上演に匂いを付加する装置「オードラマ」が考案された。そしてそのブラン=ムーシェが好んでタッグを組んだのは女優、劇作家で『現代舞台芸術における嗅覚の次元』(アルマッタン社、2005年刊)の著者でもあるドミニク・パケであった。女優のヴィオレーヌ・ド・カルネが設立した劇団「ルティール・エ・ラリール(銃と竪琴)」は、病い(「香とタール」)や記憶、そして死(「魂の香り」)を主題とする作品を上演しているが、それらに共通するキーアイテムとして匂いを取り入れている。そしてこの最後の「魂の香り」においては、匂いは道具であると同時に主題そのものでもあるのである。舞台はとあるラボのなかに設定されているのだが、そのラボでは亡くなった家族の衣服から匂いを抽出することが試みられている。匂いにはその浄化作用によって不在を埋める効果があるということがその作品のなかで描かれる。作中使われた香りを担当したロランス・ファヌエルはその後自身で匂いの劇団「アールシミー・デュ・ヴェルティージュ(眩惑の錬金芸術)」を立ち上げた。これと同様の試みを、ルノー・アリーギが「タニ・アソシエーション」において、フィリップ・ボロナが「アルテファクト」において、サンドリーヌ・コロッサが「シャレヤ・ダンスカンパニー」において行なった。そしてシグマコム、センティス、オルファコムといった多数の企業が自社の技術を上記のような舞台上の香りへと応用した。

二十世紀末以降には本格的な香りのコンサートが開催されるようになった。レ・メタボール合唱団によって2015年「アメリカの夜の香り」が催され、さらには調香師ミシェル・ルドニツカが嗅覚的楽譜を構成し、香りとダンスによるパフォーマンスを企画した。一方ピアニストのロラン・アスレンはアルバム「センティーレ」(「聞く」と「匂いをかぐ」の両方を意味するイタリア語だ)をリリースしたが、それは再利用可能なひとそろいの香りのパッチという形式を取っていた。しかし最も野心的なプロジェクトのひとつは何と言っても、スチュアート・マシュー脚本による「グリーン・アリア、香りのオペラ」であろう。2009年ニューヨーク・グッゲンハイム美術館で展示、上演されたこの目も耳も使わないオペラの筋書きでは登場人物は匂いに置き換えられ、そのそれぞれが固有の音楽的ライトモチーフと結びつけられていた。クリストフ・ロダミエルが担当したいくつもの香りが、調節可能な「香りのマイク」によって個別に拡散される。匂いの分子は音波より伝播する速度が遅いため、観客の全員が同じ強さで同一の瞬間に匂いを感じられるようにするには拡散のタイミングを同期できるかどうかが問題の焦点となり、それぞれの匂いが連続し散逸するタイミングを計算することが不可欠となる。そしてこれらのパフォーマンスは自らの身体とともに作品へと参加することになる観客に、「新たな記号システムに対し注意深く、漸次的に適応すること」を要求する(ソフィ・ドロミセック、ロラン・サレス著「匂いだけで物語を語ることはできるのか?『グリーン・アリア、香りのオペラ』の挑戦」フランス国立農学研究所、2015年刊)。

テーマ的には収束に向かっているにもかかわらず、嗅覚芸術は一本道に陥ることなくいまだ複数的であり続け、絶えず変化し続けている。今日の多様な実践を包含するものとしては嗅覚芸術という名称は合致していないのではないか、嗅覚の次元を統合するこれらの作品が他の芸術形式とのハイブリッドであることを考えると、この名称は不適切でさえあるのではないか、そう思わされることがある。これらの実践についての論じる理論や美学はまったくないしほとんど存在していなかったが、ここ数年で研究グループや協会が設立され、歴史、省察、実験を吟味するための場所が整備されつつある。「インスティテュート・フォー・アート・アンド・オルファクション(芸術嗅覚学院)」やプラットフォーム「セント・アート・ネット」といった取り組みは意見交換やリサーチのための場を提供している。嗅覚芸術というこの新たな様式において重要な点は、この芸術が一定の枠組みのなかに閉じこもらずに動き続けていること、多重的で、科学、芸術、工芸の境界を常に侵犯し続けていること、時間の芸術であると同時に空間の芸術でもあること、20年前にはほぼ未知だった領域を今も開拓し続けていること、などといったことにあるのではないか。そして未来には、おそらくこれらの実践は「嗅覚芸術」というラベルからは切り離され、ただシンプルに「芸術」と呼ばれるようになるのだろう。

ボリス・ロー「親密さのエージェント」

10年前にはまだ「未知の領域」だったものに惹かれ、ボリス・ローは嗅覚というプリズムを通して世界とその世界に住む私たちのありかたを理解しようと努めてきた。「嗅覚芸術」という呼称に対してはまだあまりしっくりきていないものの、彼は現代造形芸術の実践のなかに取り入れられた嗅覚の次元について語ることを好む。彼の作品は芸術の歴史からその形式と参照項目を借用しているゆえさまざまなレベルでの読解が可能であるが、匂いはその入り口のひとつにすぎない。ボリス・ローは機能的な製品、社会を反映するものとして選ばれた既製の匂い物質など日常的なものから始めて、すでに存在している嗅覚の形を再配置する。こうして彼は社会学的省察へと向かうとともに、科学的調査、政治的参加へも同時にアプローチすることになる。シャワージェルやシャンプーといったものが実験的な美学として「コレクション」にて展示され、またそれらを使って色鮮やかな彫刻の数々を作り上げた「エピテリウム(表皮)」では、それらの彫刻はまるで奇妙な造花のように花開いている。マーケティングの物語とユーモアを交えて戯れる「ツール・デュ・モンド(世界一周)」は、80のウシュアイア製デオドラントとともに鑑賞者をエキゾチックな合成の旅へと誘う。そして彼の洗剤を使った作品は日常における汚染について語りかけてくる。しかし彼は同時に、視線を個人的なものとする術も心得ており、その視線は覗き見することなく巧みに私生活のなかに入りこむわけだが、そこでは身体性は不在のままである。「匂いの肖像」は複数の静物画からなる作品であるが、そのそれぞれが個人の匂いのオーラを構成する製品を演出している。「横たわる人々の製造場」はゼリー状の浴槽であるが、そのなかでは身体の残留物が捕らえられ、「社会において身体がいかに構造上抑圧されているか」といったことへのひとつの挑戦となっている。異質なものとの対決を求めながら、彼は聴衆を彼自身の私的領域へと引きこむ。「潜在的」は彼自身のベッドのシーツから作られたテントであるし、「一日の終わり」はそれ自体が彼の匂いの彫刻であるかのような、着古されたTシャツの山でできている。匂いの知覚における相互主観性の不在に魅了されたボリス・ローは匂いの自律性というものを信じない。代わりに「私的で個人的な虚構を共有する場」という、ひとつの中間的な空間に可能性を見出すのである。(クララ・ミュラー)

上田麻希「文化の橋渡し役」

日本は嗅覚芸術の経験が豊かな土地である。そして上田麻希がその分野で最も多作な作家であることは確かだろう。彼女は言語を超えた、あるいは視覚を解放するコミュニケーション方法としての匂いに着目する前に、まずはデジタル作品の制作からキャリアをスタートさせた。「匂いの迷宮」や「不可視の白」(ともに2013年)といったいくつかのインスタレーションでは匂いを頼りに迷いこんだ空間のなかを回遊することができる。以降、上田麻希はオランダを拠点に文化的差異や日常生活の表現に傾注するようになる。彼女にとって、匂いの知覚は言葉を介さないぶん経験の共有はさらに直感的なものとなった。特徴的な匂い(ヒヤシンス、チーズ、スパイス、落ち葉、芽キャベツ)によってオランダの具象化を試みた「オランダの香り」(2008年)に特筆されるように、彼女は場所の表現に取り組んできた。「シンガポールの香景」(2011年)ではシンガポールの地図上の特定の地点に、関連する13の香りが配置される。そして「香りの旅#1 わが日本の記憶」では桜、畳、墨汁、炊いた米、柚子といったものを媒介に、日本の記憶をめぐる作家の旅を描き出す。彼女は合成物質を使用するのではなく、自身の手で直接植物や食材から蒸留、溶媒、浸軟によって香りを抽出する。コラボレーションを好み、実験的なワークショップで美食と香りとを混ぜ合わせることにも注力するとともに、「聞香」と呼ばれる嗅覚的瞑想をともなう日本の伝統芸術、「香道」から着想を得たイベントも提起する。このようにして彼女は世界の声に耳を傾け、無数の香りのノートにすることでその切り取られた一部を鑑賞者の内に蘇らせる。(クララ・ミュラー)

オズワルド・マシア「感覚のアウトサイダー」

彼自身の言葉を借りるとすれば、この彫刻家は「知覚の第一器官としての鼻を利用する」。1994年、香りについての彼の最初の研究は「ガーリック・ソープ」と題されたユーモラスな作品の形で現れた。そして匂いの秘めるポテンシャルを突き詰めていくなかで、2000年「藻の庭」を発表する。その作品は150種類もの希少な花の合成または自然の香りを、生理用タンポンを用いて吊り下げられた5つのモーターで拡散するというものだった。彼の手法において特徴的なコラボレーションのスタイルのひとつとして、マシアは調香師のリカルド・モヤと仕事をした。2016年「三つの材木のための三部作」を制作すると、彼はそのなかで聴覚、視覚、そして嗅覚という感覚の三位一体を推敲した。展示空間におかれた3つのオブジェにエドマール・ソリアが作曲した音響が割り当てられ、ダマスクローズ、「カルムニー」と名づけられた独自の調合、そしてマウスウォッシュの匂いというこれら3種類の香りがシンプルなリードスティックによって拡散される。それぞれ別個のものとしても考えられるこれらの香りは来場者の心のなかで混じり合い、また異なる意味が生まれるようにデザインされている。マシアが発表した聴覚的・嗅覚的彫刻をめぐるマニフェストのなかで、彼は「われわれの主要な感覚である視覚こそ避けられなければならないのである」と、そう宣言している。視覚は飽和しているあまり、紋切り型に、「安易な象徴主義」に陥っているというのである。彼が嗅覚を好むのは、彼の立場がアウトサイダーであるという事実に関係している。聴覚や嗅覚といった言語化が困難な知覚を援用するため、彼の作品は明白な理解の周縁に位置づけられることになる。それらは繊細なもの、微妙なもの、問題を抱えたもの、といったものが関わる分野に立脚しており、それゆえ簡単な分類分けからは排除され、異端的なものとなる。その経験は未知のものを受け入れ、「暗号化された座標」をあるがままにしておくことを前提としている。その「暗号化された座標」とは彼の作品の各タイトルおよび作品の持つ不可解な視覚的要素によって与えられたものを指し、それらは真の理解を要求することのないまま鑑賞者を空間の内部へと導く。このようにしてマシアによって思い描かれたプロセスは、彼の作品と来場者とのあいだに直接的な、そしてときに不可解なつながりを作り出すことを目的としているのである。(サスキア・ウィルソン=ブラウン)

ジュリー・C・フォルティエ「喪失の語り手」

造形作家としての作品のなかで傾注していた複数の主題から、ジュリー・C・フォルティエは匂いをめぐる探求を開始する。自らの記憶に物語の形を取らせるために彼女は自身で香りを調合し、その匂いのひとつひとつに意味的単位が与えられる。そしてその各々が有機的に結合するのである。インスタレーション「狩り」は約10万本もの突起が壁に貼りつけられる形で構成され、ゾーンごとに3つの(刈り取られた草の、動物の、血の)香りが相次いで追いかけてくる。匂いによって物語るというこの方法によってこの抽象的風景に意味が与えられている。同じようなやり方で、彼女は森のなかをそぞろ歩くようわれわれを誘う。「地平線」は無数の試験紙(ムイエット)でできた一本の道に沿って6種類の香りが配置される。自然の持つ自由と危険という両義性が「樹液と血液」という栞の形を取った作品のなかにも透けて見えるように、この自然というテーマは土の匂い(「ペトリコール」)や芳香性の植物の匂い(「美味しい水」)、あるいは下草の匂い(「朝の縁」)で満たされた彼女の作品にあっては重要な地位を占めている。ジュリー・C・フォルティエの作り出す香りは空白と静寂に物を語らせる。欠落のある空間が映画館のスクリーンやギャラリーの「ホワイト・キューブ」を思い起こさせるなかで、彼女の作品の匂いを支えるのはただの何も書かれていない白い紙である。しかしその白い紙こそが、香りというものが「心のイメージ、記憶、可能な物語」といったものを含んだものであるということ、そしてそれが不可視であるということを強調するのである。このような、匂いに備わる記憶を喚起する力に魅惑されながら、「預言」「男の習慣」「ワイルドスクリーンズ」を始めとした多くの作品のなかで、彼女は収集されたいくつもの思い出を香りで表現する。時間の流れ、崩壊、消え去る過程といったテーマが彼女のインスタレーションや映像パフォーマンスのなかで取り上げられるわけだが、その多くが白紙のページへの回帰といった形で表現される。香りに内在する、失われるという現象へのこのような並々ならぬ関心が、近作「コレクション」のなかに結実している。この香水は非常に揮発性が高く、たった数分間で消え去ってしまう。このように彼女がパフォーマンスのなかでアロマを使うとき、そこでは消費と浸透という主題が念頭に置かれているのである。つまり香りがわれわれのなかに吸いこまれ、取りこまれるとき、その形はわれわれのなかに消え去っていくのである。(クララ・ミュラー)

エドゥアルド・カック「本能の探究者」

このアメリカ人造形作家は匂いによって五感のヒエラルキーを転倒させるとともに、これまで芸術の歴史を形作ってきた数多くの創作メソッドを覆した。これまでは視覚と文字が芸術の存在を可能にしていたわけだが、彼は自らの手法のなかに嗅覚を取り入れることによって新たな詩的言語を創造したのである。彼は人間存在を超えたところにある、すなわち動物の世界にインスピレーションを受け、人間に内在する深い本質に言及するような作品を作ることを望むと言明する。カックにとっての初めての嗅覚芸術作品「香りの詩」(2011年)の段階からもうすでに、書物という形式を介し、カックは早くも非物質的な言語を発明していた。ページをめくるたびに、紙の上からはちがった匂いが立ちのぼる。鼻によって心情が吐露される。視界がかすむ。そして呼吸が、真っ白な紙の上に記されていたはずの詩の痕跡をなぞる。感情は言葉によって導かれるわけでもなければ(各詩のタイトルからはそのページにこめられた香りがどのようなものであるかは分からない)、通常の言語的図式によって導かれるわけでもない(ページ間には論理的つながりは存在しない)。そのため本に目を走らせる鑑賞者は慣れ親しんだ言語感覚から切り離され、説明のできない感情を抱くことになるのである。そして「オズモボックス」(2014年)にてカックは、匂いの浸透について思考する経験を提供する。ミニマルアートの影響を受けた黒く滑らかなボックスが壁にかけられ、そのボックスの中心には丸くきれいにくり抜かれた穴があけられている。鑑賞者がその穴に鼻をうずめるとセンサーが作動し香りが拡散される。鑑賞者は視界を奪われた状態で作品の内部に入りこむこととなり、そのため浸透してくる匂いには十全な力が与えられるというわけだ。エドゥアルド・カックはいかなる境界によっても制約を受けない、深度のある匂いを探求する。「そのとき私たちの内部に入りこんでくるのは、事物それ自体なのです。

それは本能的であると同時に、とても親密な経験です」。視界を無効にし文字を拒否することによって、この芸術家は詩的表現における既存の枠組みに揺さぶりをかける。とはいえ従来、彼はそのような言語形式、そのような言葉による詩を、バイオアートや叙情的なデジタルアートの形に乗せて扱っていた。しかしこうして香りを素材として選ぶことで、彼は野生的であると同時にエレガントでもある特異なコミュニケーション形式を合わせ持つにいたるとともに、親密な歌のような力を香りに対して与えることを可能にした。(サンドラ・バレ)

ヴォルフガング・ゲオルクスドフ「比類なき幻視者」

ヴォルフガング・ゲオルクスドフの発明品はハクスリーの小説『すばらしい新世界』のなかにすでに登場していた。「見事なまでにみずみずしいハーブの即興を奏でていた」、香りのオルガンである。この小説のなかで描かれる未来のディストピアは陰鬱なニュアンスに満ちているが、ゲオルクスドフが発明するごく現実的な機械の発展を追うことは大変興味深いことである。「スメラー2.0」はこのジャンルにおける最初の試みではなかった。それに先立つものとして最もよく知られているものは「スメル・オー・ヴィジョン」と「アロマ・ラマ」であろうが、これらは歴史的な失敗作となり、『アメリカを形作った大失敗』や『今世紀におけるワースト発明品100』といった目録に掲載されたほどであった。したがってふたたびこの分野に挑戦する者が現れるとしたら、それは並外れた勇気を持つ人間である必要があった。彼自身にも取らない輝かしい成功とともに難局を脱するには、決断力と才能にあふれた夢想家である必要があったのだ。多数の領域にまたがるこの発明家兼芸術家は、オーストリアに生まれたがその後ベルリンに移住し、多様な芸術と科学が交わる場で活動を続けている。1996年に自身の発明の原型となった「スメラー1.0」を公表しその改良に長い年月を費やした末、ついに彼は2016年、ベルリンで開催された「オズモドラマ」と銘打たれた大規模なフェスティバルでその驚くべき機能を披露した。そこには外部からの協力者として調香師のゲーザ・ショーンも参加していた。「スメラー2.0」は素材、ソフトウェア、インターフェイス、周辺機器といったものを巧みに組み合わせることによってそれに先立つ発明品では不首尾に終わっていた点を見事に克服することに成功した。すなわち「スメラー2.0」は「香りのオルガン」として、複雑かつ矢継ぎ早に繰り出される匂いのシークエンスを生成、組み立て、記録、演奏することを可能にしたのである。空気中に拡散された香りが滞留したり重なり合ったりすることもなしに、だ。その後彼はさらなる知性を発揮し、入念に構想された共同プログラムの一環としてこれを発表し、この楽器に秘められた技巧、順応性、ニュアンスの豊かさ、といったものを見事に実証してみせた。このパフォーマンスは必ずや歴史に名を残すだろう。それと同時に、この時間ベースの芸術に香りが取り入れられるための道を準備するものでもあるだろう。映画に色や音が取り入れられたときと同じように。(アシュラフ・オスマン)

クリストフ・ロダミエル「空気を彫刻する者」

彼はいたるところに浸透する。あたかも彼自身が匂いのひとつであるかのように。化学の研究から始まりプロクター・アンド・ギャンブル、IFF(インターナショナル・フレーバー・アンド・フレグランス)といった古典的なキャリアからの回り道を経て現代芸術へと進んだおそらくただひとりの調香師として、クリストフ・ロダミエルはすでに世界的なヒット作となった「フィアース」(アバクロンビー&フィッチ)、「ポロ・ブルー」(ラルフ・ローレン)を作っていた。アート・バーゼル・マイアミで2003年に嗅覚芸術の作品を発表するわずか1年前のことである。このクレルモン・フェラン生まれの男はテクノパンク風の出立ちで、企業のブリーフィングからハーヴァード大での講演まで、はたまたベルクハイン(ベルリンの伝説的テクノクラブ)からニューヨークのグッゲンハイム美術館まで、いたるところに出没する。そしてそのグッゲンハイムで、登場人物たち全員が純然たる香りで構成されているという、あのオペラ「グリーン・アリア」が作られたのだ。

「自己紹介時、私は決して自分のことを芸術家であるとは言いません」と、そうクリストフ・ロダミルは自己弁護するかのように述べる。しかしニューヨークのディロン+リーやベルリンのミアンキといった複数のギャラリーのページにその名が記載されている以上、彼が少なくとも定義のうえでは芸術家であることにちがいはあるまい。

彼の活動は2000年代に始まり、パトリック・ジュースキントの小説『香水』から着想を得た15種類の香りをクリストフ・ホーネッツとともに考案し、2006年、同作品の映画化に合わせてティエリー・ミュグレから限定版としてリリースした。この自由に企画された、しかしまだ分かりやすい説明のようなものにとどまっていた創作物に続いて、嗅覚芸術に特有の力、とりわけ他の感覚を巧みに操る(気にも留めない)そのような嗅覚芸術独自の方法に基づいた作品が次々と発表され始めた。2014年にギャラリー・ミアンキに展示された装置では、噴霧器が搭載された台座の上に空の額縁が置かれ、その前方には色とりどりで抽象的な光を、形を変えながら投射する箱が設置されている。これらの変化するイメージを前にすると、かいでいる香りは同じなのに、その香りに対する認識は変わるというわけだ。つまり脳というものはそれほどまでに、ほとんど幻覚にとらわれているかのごとく、対象を見、感じ、名づけているのだ。また別の知覚トリックである「香りの彫刻」によって、ロダミエルは嗅覚に対し言葉というものがおよぼす力を証明した。例えば、濡れた草、という匂い。その言葉が知覚されたとたん、どろりとした甘ったるい匂いが突如として立ち現れてくるだろう。そしてその匂いが「草のなかのカエル」という題名によって定義されたとたん、鼻のなかにそのイメージが飛びこんでくる、といった感じに。2017年春に立ち上げたばかりのブランド「ザ・ズー」において、この調香師は再び言葉の持つ力を援用する。同じ香水にふたつのちがった名前をつけ、別々の商品としてリリースしたのである。これにより彼は顧客が商品を選ぶとき、商品そのものではなくマーケティングによってもたらされるメカニズムに依拠しているという事実を、やんわりとした形で突きつけてみせた。こうした、一見そうとは見えないさりげない教育的アプローチは、クリストフ・ロダミエルが携わることになる第三の活動とも合致していた。すなわち2017年、ロサンゼルスのインスティテュート・フォー・アート・アンド・オルファクション(芸術嗅覚学院)より嗅覚の文化に対する貢献が表彰され、その流れから彼は教職に就くことになるのである。「私は自作について時間をかけて説明する必要があります。嗅覚についてはまだ一般の人々のレベルが追いついておりませんから」。彼の「自由、平等、香愛」というマニフェストはそのような背景から生まれ、そしてニューヨークでの直近の展示に合わせて出版された。情報は誇張されてはならないこと、教育について、作品およびその作者を尊重しなければならないこと、そして嗅覚文化を民主的なものとする必要性について、などといったことがそこでは説かれている。「脳は目からと同じくらい鼻からも、情報、喜び、知性を引き出しているのです。そのことを広く認知させなければなりません」。(ドニーズ・ボリウ)


翻訳:藤原寛明

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