長いあいだそのような質問が問われること自体なかった。調香師は職人あるいは、商人であると見なされてきたが、このような見方が変わってきたのは十九世紀末になってからだ。香水専門のフランス人歴史学者ウジェニー・ブリオは次のように語っている。「その時代、彼らの調香パレットは新しい成分、特に合成物質のおかげで豊かになるとともに、生産コストも下がっていた。したがって自らの作品を一定の価格を保ったまま販売し続けたいと願っていた調香師たちにとってはこの流れを正す必要があった。ボトルや広告までをも手がけ芸術家としての名声を確立することで、彼らはこの機能的な商品をひとつの贅沢品へと変貌させた。なぜなら芸術作品には値段はつけられないからだ」。この戦略は合成物質とともに登場した豪奢な香りが受け入れやすくなるような雰囲気を作り出すことに貢献した。ブルジョアのご婦人にとっては「ジッキー」(1889年発売)を芸術作品として語ることができれば、それを身につけるのはより容易になったはずだ。香水とその制作者たちは華やかな表舞台に立つようになっていく。メディアの後押しも受けて、調香師たちが芸術家としてもてはやされる時代が二十世紀初めに、香料メーカーが登場してくるまでのあいだ続いた。香料メーカーに雇用された調香師たちは彼らが作り出したフレグランスの提供先であるファッションブランドの躍進に貢献した。「No.5」(1921年発売)の制作者であったエルネスト・ボーには「香水は芸術であり、真の調香師はアーティストでなければならない」という信条があった。しかしながら彼の存在はガブリエル・シャネルという大人物の影に完全に隠れてしまっていた。ジャンヌ・ランヴァンにとってのマダム・ゼッドがそうであったように、ファッションデザイナーが香水の背後にいる創造者の役割を体現することになった。大衆にはほとんど知られていなかった調香師という存在がようやく影のなかから抜け出すことができたのは今から20年前のことだった。香水ラベルに調香を担当した調香師の名前を書き入れるなどして他と一線を画した戦略をとったニッチ・フレグランスの先駆者として、フレデリック・マルが2000年に登場した。このような独立系メゾンの成し遂げた例外的な成功に影響され、大手ブランドも調香師のイメージを金儲けに利用し始めた。一部のブランドは創作プロセスを内部化(つまり人格化)している。業界の言い分を信じるなら、調香師は間違いなく、鼻の下にブロッター(試香紙)を当て、遠くを見つめる姿で描かれるアーティストだ。しかし、プロフェッショナルにこの質問をすると、この主題に関する意見の幅広さは、より複雑な現実を示唆している。
業界を代表する著名な調香師のそれぞれの見解をみていこう。
ジャン=クロード・エレナ(元エルメス調香師、現同ブランド付アーティスティック・コンサルタント)
芸術家となるためには、まずは優秀な職人でなければなりません。それが不可欠な条件です。
「私にとっては明らかなことです。調香師は芸術家に他なりません。ではいったい何が芸術家と職人を区別しているのでしょうか。私に言わせればその境界ははっきりしています。そう、エルメスで生きてきた私にとっては。職人は物を作ります。常に同じ物を、見事な腕前と長い時間をかけて得たノウハウを駆使して作り出す。それは高度な技術によって成される仕事なのです。例えばケリーバッグを、職人は完璧さをもって作ります。ですがそのバッグは明確に定義されたアイデアに対応し、正確に測られた寸法を持っています。したがって職人は自らの使命と目標を承知しており、どこへ向かっていけばよいかが分かっています。それに対し芸術家は、あらかじめ定義されていない何かに向かって進んでいかねばなりません。そのアイデアは道を進んでいく途中で変わり、職人としての日常の仕事のなかで明確化されていく。たとえ私が頭のなかで創作をしているとそう主張したとしても、その私の考えは絶えることなく変わっていき、私は自分の考えが自分をどこへ連れていくのか知ることはできないでしょう。道を進んでいくにつれ、私は自分が何を望んでいないのか知ることになるでしょう。つまりそのどこかで、自分が何を欲しているのかを知るはずなのです。ですがそのイメージはまだぼやけたまま。それでも進んでいかなければなりません。つまりそのようなとき、私は芸術家であると言えるのです。ロードマップが与えられた瞬間から、商品の目的の枠組みが決められた瞬間から、調香師は再び職人に戻ります。今日において調香師の大半は職人ですが、彼らにとっては居心地がいいはずです。職人にはどの香りを市場へ送り出すかという選択の重みと最終決定の責任はありませんから。ですが私がエルメス時代に求められていたのはまさにそのような責任だったのです。それは困難なことでした。なぜならこのような制作過程において調香師はたったひとりで、消費者テストも行わず、CEOとともにその香りの全責任を引き受けなければならなかったのですから。それは信念にもとづく選択であって、市場にもとづく選択ではありません。
今日の業界においては、芸術家であることは難しいと思います。高額な資金が動くため、ほとんどの場合、マーケティングが調香師の言うことを定義し、調香師たちは求められるまま行動するしかなくなってしまうのです。彼らのなかには優れた職人、潜在的な芸術家もいると見受けられますが、彼らは自分たちの声を解放しなければならないのです。といいますのも、芸術家となるためにはまずは優秀な職人でなければなりません。それが不可欠な条件です。そして次の段階として(かつ最後の段階でもあるわけですが)自分が何を作っているのか、物事をどのように見ているのかについて話し、説得する力を身につけなければなりません。なぜなら誰かがやって来て、あなたは芸術家だと言ってくれるわけではないからです。それは自分で下す決断であり、意思決定、批判、妬みのすべての責任を伴うのです。それはつまり、コミットメントなのです。」
カリス・ベッカー(ジボダン調香師、ジボダン香水学校校長、国際香水クリエイター協会会長)
私たちのビジネスモデルも組織的システムも、調香師が芸術家であるという考えに反するものではありません。
「調香師が芸術家であるかどうか、私には肯定することも否定することもできません。その答えはまさにケースバイケースなのでしょうが、調香師たちが作るものは芸術作品なのか否か?そう問うてみることにしましょう。といいますのも、彼らは素晴らしいものを作り出すことができますが、ときには駄作だって作ります。美的問題はひとまずおくとして、芸術作品とはひとつのコンセプトやアイデアに立脚した、何か新しい形であると私は考えます。この点において、香りはときに芸術作品と呼べるでしょう。一方で、調香師のラボから出てくるものすべてが芸術作品とは限らないということは言うまでもないことでしょう。画家のアトリエから出てくるものすべてがそうでないのと同じように。香りが芸術作品であるためには、何よりもまず技術的によくできていなければなりません。そして感情を伝え、興味をそそらせ、またそこへ戻っていきたいという欲望を抱かせるものでなければなりません。つまりそれを受け取る人との対話の端緒を切り開くような、そのようなものである必要があるのです。そしてその香りの指示書がどのようなものであったとしても、私はそれが可能であると信じています。例えば「ラヴィエベル(ランコム)」のように、強い制約のもとに生まれた壮大な香りたちは好むと好まざるとにかかわらず、その力強さ、興味深い結びつき、空気中における表現によってその存在を際立たせています。調香師たちがオフィスでおとなしく仕事をし、顧客の要望に応じ自らの快適な暮らしを危険にさらすリスクを犯していない以上、彼らは芸術家などではあり得ないと反対する人々もいますが、その意見に対して私は、あなたがたは貧しく無名で呪われた芸術家というロマンティックなビジョンにとらわれているだけではないかと言いたいと思います。そのような芸術家像は歴史上150年間しか現実のものではなかったのですから。ミケランジェロもまた、今日の調香師と顧客の関係と同じように、うんざりするようなパトロンたちのために働いていました。そして古代においては、はっと息をのむような彫像は多くの人員が働くアトリエのなかで生まれるものでした。まさに香料メーカーで作られる香りが集団による作品であるのと同じように。私たちのビジネスモデルも組織的システムも、調香師が芸術家であるという考えに反するものではありません。今日にあっては調香師の仕事は以前よりも広く認知されております。ですが例えばメンバー全員をエンドクレジットに記載する映画業界などと比べると、まだまだやるべきことは残っているのではないでしょうか。調香師が作品の枠組みを決定する手助けをするエバリュエーターや、既存の作品を「蘇らせる」技術調香師のことはもっと知られてもいいと思います。ですが私たちの業界はまだ若いのです。ミスを犯すと互いを観察し、誰かがやろうとするまで何もする勇気が起こらない。このような経験不足こそ温かい目で見守ってあげるべきなのでしょう」
ゲザ・ショーエン(独立系調香師)
仮に私が芸術家だと自称したところで、私の作る香りがよくなるわけでもありません。
「最近『芸術家』という言葉が濫用されているように思います。私が若かったころはそんな連中はほとんどいませんでしたが、今では誰もが芸術家だ!個人的には、私は自分が芸術家などとは思っていません。確かに独立しているという私の身分は創造性を刺激するとともに、ありきたりな方法から抜け出すことを可能にしてくれます。私は自由に自分のアイデアを繰り広げることができ、自分がやりたいと思うプロジェクトを、いっしょに仕事をしたいと思う人を自由に選ぶことができます。そのなかには芸術家と呼ばれる人々も含まれていますが、それでもなお、私は自分を芸術家と比較しようなどとは思いません。私にとって芸術家とは、自分の作るもの、それを作るということ、およびそれを作る方法を最重要項目として信奉する人間です。私は香水を作っていますが、朝から晩までそのことを考えているわけでも、それだけに打ちこんでいるわけでもありません。私にだって他にやることはありますから。その言葉に価値を感じる人がいるというのも十分理解できますが、私に言わせれば、ちょっとくだらない。仮に私が芸術家と自称したところで、私の作る香りがよくなるわけでもありませんからね」
アルベルト・モリヤス(巨匠的調香師、フェルメニッヒ社)
注文で生活することが芸術家であることをさまたげるわけではないのです!
「長いあいだ、調香師は自分が芸術家ではなく職人だと感じるようにしつけられてきました。しかしこの仕事を40年近く続けてきた私にとっては、私たちが作っているものはやはり芸術に分類されるべきではないかと思うのです。私は折にふれて調香師は自らのフォーミュラの主人であるべきと述べてきました。顧客は調香師に対し多くのことを要求してきますが、やるかやらないかは調香師次第です。自らのフォーミュラに対し、調香師は自由なのです。確かに、最終決定権を持ち何百万ドルと投資をしている人のために作るのですから鈍感になってはいけませんし、その人のことは尊重できるようにならねばなりません。それができないのなら、自分自身のために作るしかない。ですが良い調香師であるなら対話を始め、相手の考えがなぜよくないのかを示すことができるはずです。注文で生活することが芸術家であることをさまたげるわけではないのです!『私の寝室のカーテンに合うように、これこれのサイズの絵が必要だ』と言われ、その通りにした画家もいました。あのピカソでさえ、ギャラリーのオーナーに頭を下げなければなりませんでした。彼のキャリアのすべては黒よりも青を要求したディーラーの影響を受けていたと言ってもよいでしょう。ですがそれは重要なことではありません。大切なのは結果なのです。与えられた指示書に調香師たちが文句を言うのをときどき耳にしますが、指示書には実にさまざまな読みかたがあります。指示書はときにくだらないこともありますが手がかりを提供してくれますし、調香師に対しこういったフォーミュラを書きなさいと強制することは誰にもできません。これ以上ないほど悪い役でも天才的に演じてしまう俳優がいるのと同じことです。すべての調香師が自分はクリエイターであるという自負を持たなければなりません。私としては、マーケティングが求めてくることに対し特にフラストレーションは感じておりません。ネガティブな面ばかりを見てはいけません。何よりも、情熱的でなければなりません。そうでなければつぶれてしまいます。仕事は難しくなり、プロジェクトは日々増え続ける一方で、その多くは短命で、一度の成功だけで生きていけるとも限りません。たった3つのフォーミュラでキャリアを成した人を私は知っています。1950年代には、フォーミュラは非常に価値のあるものでした。そのため親子ともに調香師で、フォーミュラが父から子に受け継がれ、以後も同じものが使われるということもままあったのです。ところがガスクロマトグラフィーがすべてを変えてしまいました。今日では、発売前の香水でさえコピーされる可能性があります。誰もが図書館にアクセスできるというわけですが、しかし誰もが本を書けるわけではない!毎日たくさんの仕事があります。ですが私はアイデアを生み出し、思考し、そして顧客から与えられる短い指示をもとに、彼らをどこかへ連れ出すことに喜びを感じています。私はそれぞれのプロジェクトに全力を尽くしています」