「動物じみた」と言われたり「野蛮な」と形容されたりと、そうして嗅覚は視覚に対し長らくのあいだ軽視されてきたのだった。多くの研究者、哲学者、人類学者たちは、人間を理性の存在と定義し動物たちとの差別化を図るために意図的に嗅覚の力を過小評価し、その結果動物たちはその嗅覚を使わなければ生きてすらいけないものとしておとしめられたのである。『嗅覚の哲学』(フランス大学出版局、2010年刊)のなかでシャンタル・ジャケはこの軽視の歴史を、ルソーやイタール博士(フランス人医師。近代耳鼻咽喉科学への貢献、そして十九世紀末における「アヴェロンの野生児」ヴィクトールに対し試みられた教育で知られる)らを引き合いに出しながら例証している。彼女が続けて述べるところによれば、この思想の支持者たちにとっては「野生状態、そして文明状態への移行を分かつ境界線上に、こうした鼻への無関心があったのだった」。そして「この嗅覚という感覚を育てようとすることは、この野蛮な状態をさらに押し進めようとすることと同義であった」。とはいえジャケ自身の見解はまったく異なっており、「たとえ鼻が動物性の象徴であったとしても、私たちはまさにその動物性を前面に押し出すことによって、人間と自然との和解を図るべきなのである」と、そう彼女は主張しているのである。 神経生物学者ポール・ドナルド・マクリーンによって提唱された「三位一体脳理論」によれば、人間の脳の機能は以下の3つの段階を経て進化したという。最も古い層である爬虫類脳は生命維持機能を担い、本能的行動を司る。原始的な哺乳類の出現とともに現れた層、大脳辺縁系は、感情、記憶、学習、そして嗅覚によって与えられた情報処理を司る座である。そして人間の脳において最も優位性を占める新皮質(大脳半球における「灰白質」)は言語や抽象的思考、想像や意識の中枢であるとともに、視覚を司る場でもある。しかしながら上記のような脳に対し階層分け、序列化を行うような考えかたは多くの科学者たちから不正確なもの、簡略化しすぎたものとして批判を浴びたのであった。
「そのような観点から脳を語ることはできない。なぜなら実際脳の中央部(その進化論にならって言えば最古の部分だ)は絶えることなく新皮質との対話を実行し続けているからだ。ここで言及されているような、進化の過程で脳の容量が次第に増加していく現象は『脳化』と呼ばれる。人類という種を特徴づけるのは前頭葉の大きな発達にあると言えるが、この領域は統合、認知、知能、言語の中枢を担っている」と、そのようにロラン・サレスは解説する。分子生物学および細胞生物学を専門とする農業技師、そして『誘惑するためには良い匂いである必要はあるのか』
(クエ社、2015年刊)の著者である。感覚能力に関して補足するとすれば、視覚および聴覚の情報を処理する脳の領域は進化の過程で大幅に拡大するにいたったが、一方で嗅覚系にいたっては先行する脊椎動物においてすでにかなりの発達を見せており、そのため脳の容量はほぼ同じサイズにとどまった。とはいえこうして解剖学的に見た場合のサイズは必ずしも生物学上のパフォーマンスや機能性の多寡に比例するわけではないが、こうした見かたは十九世紀の医師・神経解剖学者のポール・ブローカのそれとは完全に異なっていた。このポール・ブローカは人類学者としても知られていたが、脳全体の割合と比した場合、人間の嗅球が他の哺乳類よりも小さいことを突き止めたブローカは、嗅覚系を司る脳のサイズは嗅覚能力それ自体と直接的な相関関係があるとする立場から、そのことを人間の嗅覚能力が弱まり退化したことの証左であると結論づけたのであった。