THE ANIMAL SENSE

Illustrations:Irène Schoch

『動物の香り』

動物界において嗅覚はコミュニケーションの手段であるとともに行動の原動力となるなような、そうした極めて中心的な役割を果たしている。一方人間においては原始的、本能的、さらには恥ずべき感覚とされ
長きにわたり過小評価されてきた。今日ではようやく再評価され、
私たちが思っている以上に鼻が優れていることが明らかになっている。

動物と人間の関係には、私たちが自然とのあいだに取り結んでいる
アンビバレントな関係と重なるところがある。
私たちは長いあいだ動物性物質を使って香水を作り、
それによって自分をより強く香らせ、より強く見せようとしてきた。
そうした習慣は今ではほとんど廃れてしまったものの、
香りのなかに再構成された動物らしさに気づくとき、私たちは
依然としてその魅力のなかに引きこまれていることを理解する。

Illustrations:Irène Schoch

動物としての人間 嗅覚に見る人間の動物性

エレオノール・ド・ボヌヴァル

科学の歴史において、嗅覚は長いあいだ過小評価されてきた。その動物らしさに結びつけられるあまり、嗅覚はホモ・サピエンスにとって副次的なもの、支配的ではない感覚として見なされてきたのだった。しかし今やこの考えは複数の研究者たちによって否定され、人間の嗅覚能力は再評価されつつある。実際、私たちは動物に負けないくらい嗅覚に優れている。

「動物じみた」と言われたり「野蛮な」と形容されたりと、そうして嗅覚は視覚に対し長らくのあいだ軽視されてきたのだった。多くの研究者、哲学者、人類学者たちは、人間を理性の存在と定義し動物たちとの差別化を図るために意図的に嗅覚の力を過小評価し、その結果動物たちはその嗅覚を使わなければ生きてすらいけないものとしておとしめられたのである。『嗅覚の哲学』(フランス大学出版局、2010年刊)のなかでシャンタル・ジャケはこの軽視の歴史を、ルソーやイタール博士(フランス人医師。近代耳鼻咽喉科学への貢献、そして十九世紀末における「アヴェロンの野生児」ヴィクトールに対し試みられた教育で知られる)らを引き合いに出しながら例証している。彼女が続けて述べるところによれば、この思想の支持者たちにとっては「野生状態、そして文明状態への移行を分かつ境界線上に、こうした鼻への無関心があったのだった」。そして「この嗅覚という感覚を育てようとすることは、この野蛮な状態をさらに押し進めようとすることと同義であった」。とはいえジャケ自身の見解はまったく異なっており、「たとえ鼻が動物性の象徴であったとしても、私たちはまさにその動物性を前面に押し出すことによって、人間と自然との和解を図るべきなのである」と、そう彼女は主張しているのである。 神経生物学者ポール・ドナルド・マクリーンによって提唱された「三位一体脳理論」によれば、人間の脳の機能は以下の3つの段階を経て進化したという。最も古い層である爬虫類脳は生命維持機能を担い、本能的行動を司る。原始的な哺乳類の出現とともに現れた層、大脳辺縁系は、感情、記憶、学習、そして嗅覚によって与えられた情報処理を司る座である。そして人間の脳において最も優位性を占める新皮質(大脳半球における「灰白質」)は言語や抽象的思考、想像や意識の中枢であるとともに、視覚を司る場でもある。しかしながら上記のような脳に対し階層分け、序列化を行うような考えかたは多くの科学者たちから不正確なもの、簡略化しすぎたものとして批判を浴びたのであった。

「そのような観点から脳を語ることはできない。なぜなら実際脳の中央部(その進化論にならって言えば最古の部分だ)は絶えることなく新皮質との対話を実行し続けているからだ。ここで言及されているような、進化の過程で脳の容量が次第に増加していく現象は『脳化』と呼ばれる。人類という種を特徴づけるのは前頭葉の大きな発達にあると言えるが、この領域は統合、認知、知能、言語の中枢を担っている」と、そのようにロラン・サレスは解説する。分子生物学および細胞生物学を専門とする農業技師、そして『誘惑するためには良い匂いである必要はあるのか』

(クエ社、2015年刊)の著者である。感覚能力に関して補足するとすれば、視覚および聴覚の情報を処理する脳の領域は進化の過程で大幅に拡大するにいたったが、一方で嗅覚系にいたっては先行する脊椎動物においてすでにかなりの発達を見せており、そのため脳の容量はほぼ同じサイズにとどまった。とはいえこうして解剖学的に見た場合のサイズは必ずしも生物学上のパフォーマンスや機能性の多寡に比例するわけではないが、こうした見かたは十九世紀の医師・神経解剖学者のポール・ブローカのそれとは完全に異なっていた。このポール・ブローカは人類学者としても知られていたが、脳全体の割合と比した場合、人間の嗅球が他の哺乳類よりも小さいことを突き止めたブローカは、嗅覚系を司る脳のサイズは嗅覚能力それ自体と直接的な相関関係があるとする立場から、そのことを人間の嗅覚能力が弱まり退化したことの証左であると結論づけたのであった。

「比較的あまり発達していない」嗅覚とは?

1879年『人類学会誌』に発表された「嗅覚中枢をめぐる研究」と題された論文のなかで、ポール・ブローカは哺乳類を2つのカテゴリーに分類している。すなわち嗅覚を主要な感覚および原動力とする動物(嗅覚動物)、そしてそれに当てはまらない、残りのごくわずかな種の哺乳類(人間もそのなかに含まれる)である。そして1890年、英国の解剖学者ウィリアム・ターナー卿がこの第2のカテゴリーをさらに2つに細分化し、ひとつを「嗅覚器官が比較的あまり発達していない」低度嗅覚哺乳類に、そしてもうひとつを「その嗅覚器官が完全に欠如した」無嗅覚哺乳類として分類したのであった。
つまり人間を低度嗅覚種であるとする見かたはこの時代から続いていたのだ。この説はジークムント・フロイトからの支持を受け、ブローカの研究に精通していたフロイトはこれを彼自身の性行動理論にも援用している。この言わずと知れた精神分析の創始者によれば嗅覚能力の低下によって性的抑圧が引き起こされ、ひいては精神障害の原因ともなり得るという。
人間の嗅覚能力が衰退したというこの仮説は決して無根拠に言われているわけではなく、いくつかのデータに基づいている。遺伝子学的研究を例に挙げるとすれば、嗅覚受容体の機能的遺伝子の割合において、齧歯類と人間とのあいだに明確な差が認められることが明らかとなった。すなわち齧歯類においては85%の遺伝子が機能しているのに対し、人間においてはわずか52%しか機能していないという。
これに対し「匂いの人類学の現在」(『東洋研究紀要』2016年)と題された論文のなかで人類学者ジョエル・カンドーは反論し、「ホモ・サピエンスが低度嗅覚種であると見なすのは明らかなる暴論である」とした。カンドーのこの主張には多くの研究者が賛同していると見え、例えば2003年にはステファニー・ビスルコとバートン・スロトニックが、ネズミの嗅球における腎糸球体層(この層において嗅覚情報の統合が行われる)の80%を切除しても嗅覚能力に大きな影響をおよぼさなかったことを報告した。このことが何を意味しているのかというと、イエール大学医学部神経科学科教授ゴードン・マーレイ・シェパードが指摘しているように、人間においてもわずか35%の遺伝子が機能してさえいれば、マウスと同等の嗅覚が発揮できるということなのである。さらには「人間の脳はより複雑な嗅球および眼窩前頭皮質を有しているため」より豊富で多岐にわたる嗅覚情報を解釈することができる、という旨がラトガース大学心理学科准教授ジョン・P・マクガンによって繰り返し強調された。
マクガンによれば、嗅覚において問題とすべきなのは能力それ自体の多寡ではなく、どのような匂いに対し興味が示されるかということなのだ。確かに犬は街灯に付着した尿に対してはより優れた嗅覚能力を発揮するかもしれないが、良いワインの香りを識別することにかけてははるかに人間のほうに分があると言える。それに犬には強いカビ臭の原因となる分子、トリクロロアニソールを検知できる受容体がないため、もし抜栓したボトルがブショネだったとしてもそれに気づくことができない。このように動物の種別ごとに異なる欲求、そしてそれぞれの動物が日常的に接することになる匂いの種類によっても、機能する受容体は変わる。なのでそれらにおいてちがいが認められたからと言って、どちらの嗅覚がどちらより優れているということにはならないのである。
香りを知覚する、ということは単に嗅球や(梨状皮質、扁桃体、海馬からなる)嗅皮質の働きによってさまざまな匂いが検知されたり識別されたりすることだけにとどまるものではない。そればかりでなく嗅覚はその複雑なメカニズムによって、異なる匂いを比較する際に重要となる、記憶にも働きかけるのである。「これにはとりわけ側頭葉と前頭葉、ならびに人体に固有の頭頂連合野が関与している」とゴードン・マーレイ・シェパード教授は「人間の嗅覚 われわれは思ったより優れているのではないか?」と題された論文のなかで述べている。教授は「これらの領域が人間に対し、齧歯類など他の哺乳類よりもたいへん優れた香りの認識・識別能力をもたらしているのではないか」という仮説を立てている。したがって人間の知能は嗅覚と連動していると考えることができるだろう。そして人間の嗅覚が脳内における感情や長期的記憶を司る中枢と深く結びついている以上、まさにこの嗅覚こそが私たちをより感受性の高い存在たらしめていると言えるのではないか。

犬は街灯に付着した尿に対してはより優れた嗅覚能力を発揮するかもしれないが、良いワインの香りを識別することにかけてははるかに人間のほうに分があるだろう。

レトロネーザル仮説

これまでの研究によれば、嗅覚には大きく分けて3つの機能がある。食物供給、環境的危機の察知、そして社会的コミュニケーションである。ゴードン・マーレイ・シェパード教授も言及していることだが、200万年前に火が使われるようになってからというもの人間の食事のシステムはより多様化し、まさにその火の使用によって食物に対し豊富な匂いがつけられ、しかも食欲をそそる、良い香りがつけられるようになったのだった。時代を経るごとに農業は発展し、高級食材を使った調理レシピもますます洗練され凝ったものとなっていく。人間がより複雑なアロマに魅了されるようになったのはこのように料理や食材に関するバリエーションが豊かになったということも一役買っているのだろうが、人間がその香り豊かな食材を口に含むとき、レトロネーザル経路を通じて嗅覚受容体が刺激される。つまり口から入った食材が揮発性化合物として喉の後ろをたどって口蓋を通過し、嗅粘膜に到達する。この経路から匂いが伝わること、および経路それ自体をレトロネーザルと呼ぶのである。そして「このレトロネーザルこそが[...]人間を除く霊長類や他の哺乳動物とは一線を画する、より豊かな匂いのレパートリーをわれわれにもたらしているのではないか?」そのような仮説の論拠となるようなファクターがここに出そろっている、とそのようにシェパード教授は述べているのである。
人間を含む動物の嗅覚は、危険を検知することに優れている。それによって迫りくるその危機に対峙し、身を守ることができるのである。ある程度のメカニズムは生得的なものであるが、すべての哺乳類においては経験もまた重要なものとなってくる。例えば人間は火の匂いに対し本能的な反応を示すが、一方でガス漏れや腐敗の匂いを認めて警戒する、といったことは経験によって学習するものである。
ロラン・サレスは前掲書において、人間の嗅覚は「妊娠の最後の3ヶ月にはすでに機能している」と述べている。胎児は匂いをかぎ、記憶することができるのである。したがって出産直後からすでに赤ちゃんは母親の匂いを認識し、母乳を吸うためにその匂いのほうへ向かっていくのである。この母親の匂いは「真新しいものに対するストレス、あるいははなればなれになってしまったことへのストレスから来る不快感に対処するために」探し求められる匂いであると、ディジョン所在のフランス国立科学センター(CNRS)味覚食品科学研究センター所長、ブノア・シャアルは補足する。なおシャアルは子の両親についても言及し、彼らもまた自らの子どもの匂いに対し「特に愛着的つながりが形成される期間においては」非常に注意深くなることを指摘している。 トゥールにあるフランス国立農業研究所によれば、初産の羊もこれと同様の行動を示すという。羊は産んだ子どもの匂いをお産から6時間以内に記憶することで、それによって自分の子と他の子をきちんと見分け、もし授乳の時間に他の子羊が近づいてきた場合にはこれを拒絶することができるのである。
しかしいくら自分が愛している人の匂いと言えど、他人の体から匂ってくるものとして感知されるその匂いが必ずしも許容できるものとは限らない。ましてや自分がパートナーに選んだわけではない赤の他人から悪臭が漂ってくるとしたら、しかもその悪臭が他を圧倒するほどのものであるとしたら、その匂いによってたちまちのうちに恐慌をきたしてしまうことだろう。ストラスブール大学で社会学と人類学の教佃を取り、フランス大学学院の一員でもあるダヴィッド・ルブルトン教授はこの種の反応がいかに強いものであるかを論集『香りを感じること、強く感じること 調香師、匂い、感情について』(Nez出版、2019年3月刊)のなかで解説している。「誰かの匂いをかぐということとはすなわち、その行為がその者の肉体を感じ生理学上の秘密を暴き出すものであるという意味において、その者の内に秘められた動物的な部分を感じ取るということなのだ」。
そしてその他人の匂いというものは、それをかいだ人の態度や振る舞いをも変えてしまうという意味ではかりしれないところがある。CNR・リヨン神経科学センター主任研究員のカミーユ・フェルデンズィ=ルメートルは同書のなかで「汗は感情がどのような状態にあるかを知らせる情報源である」こと、そしてこの汗という情報は発信する側も受け取る側も嗅覚だけで完結するメッセージであることを強調しながら、以下のように続けている。「恐怖や喜びといった強い感情を抱いている人の匂いに接するとき、われわれの認知的、生理的反応、そして脳の反応に対し、大きな修正が加えられる」。

人間の嗅覚が脳内における感情や長期的記憶を司る中枢と深く結びついている以上、まさにこの嗅覚こそが私たちをより感受性の高い存在たらしめているのではないか。

種の繁栄のために

動物の場合と同じく人間にとっても、体臭は対人関係において重要な役割を果たす。それが唯一の要因とまではならぬものの、例えば人は体臭によって性的パートナーを選んだり、反対にパートナーになる可能性を潜在的に秘めている人を避けたりしている。各人には固有の嗅覚的アイデンティティが備わっており、それは「遺伝子型(すなわち個人における遺伝子の総体)、そしてとりわけ主要組織適合性複合体という遺伝子群によって規定されている」という旨をロラン・サレスは述べている。これらの遺伝子は個としての生体を守っているばかりではなく、1970年代にモネル研究センターのチームが明らかにしたように、「近親交配を防止することによって種の繁栄を保証するのである。この近親交配が容認されてしまうとさまざまな病理の原因となるばかりか、世代を経るごとに可能な遺伝子のバリエーションが縮減されていくため、それによって子孫たちの適応能力が落ちていくといった可能性も考えられるのだ」と、サレスはこの点においても注意をうながしている。
さてここまで見てきた研究を考慮すれば、たとえ私たちの嗅覚の容積が他の哺乳類より小さかったとしても、嗅覚というシステムのパフォーマンスそれ自体に関しては非常に優れているように思える。人間の脳の柔軟な適応力、そして新しい匂いを記憶し、その匂いに関連づけられたメッセージを読み解くことに優れた私たちの脳の力がお分かりいただけたのではないだろうか。匂いは年月がたつにつれ深く私たちの記憶のなかに定着していくもので、それによって私たちがふとその匂いを感覚的に感じたとき、あるいは社会環境のなかでその匂いと出会ったとき、その匂いに対し私たちが引きつけられる注意もいや増していく。
また、匂いはあらゆる感情と非常に強い力で結びつけられている。これについては、「嗅覚によって得られた知覚は、曖昧でぼんやりとした、半分しか理解されていないようなそんな不確かな感覚を呼び覚ますことがあるが、そのような感覚はとても強い感情をともなって感じられる」と、オランダの科学者ヘンドリック・ズワードメイカーが1898年に早くも指摘していた通りである。嗅覚への刺激は無意識のうちに知覚されることが多いが、それによって起こる生理的反応は強く、本能的で直感的なものである。そのことについてアニク・ルゲレーが以下のような巧みな表現を見せている。すなわち人間は、「嗅覚によって失われ取りこぼされたものを、想像の力によって、より鮮明な形で取り戻そうするのである」と。

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