「チョコレートの香りを脇に塗る。そんな商品がもし15年前に出されていたとしたら、世間からはきっと鼻で笑われていたことでしょうね!」。ロルフ・ガスパリアンはマン社で高級香水とボディケア商品の開発に従事して30年になる。上記のコメントは2013年に発売されたデオドラント商品「アックス・ダーク・テンプテーション」について言及されたものだ。その冗談めかしたトーンとは裏腹に、同商品は発売されるやいなや爆発的な売上げを記録した。この背景を説明するにはまず、30年前に発売された「エンジェル」がグルマン系香水の系譜の礎を築いたことを強調しておかなければならないだろう。それ以来、先進国における2型糖尿病の増加曲線に呼応するかのように、香水の「血糖値」は見事に右肩上がりを続けている。あたかも香水業界における成功の秘訣は糖分だ、とでも言わんばかりに。
このような傾向はパンデミック下のロックダウンによってますます強まり、家のなかでパティシエ気分を楽しむ人々が急増した。マスクをつけることが推奨され呼吸をすることすら危険とされた世界においては、人々は香水に対し装飾品としてのきらびやかなファッション性よりも、持っていると安心するお守りのような役割を求めていた。だが当然のことながら、ひとたび糖分によって満たされてしまった消費者たちは鼻が肥え、ベリーやプラリネといった典型的な甘さでは物足りず、何かもっと変わったグルマンノートがあるはずだということを明敏に察知し、次第にそれを探し求めるようになったのである。そのような「クラシックな」グルマン香水からの脱却を図ることができるような、かつそれまでの中毒性の基準を満たすような香水など果たして存在するのだろうか?「食欲をそそる香りであることはもちろんのこと、それは消費者にとってなじみのある香りでなければなりません。それが消費者たちに安心感を与えるのです」とそう言いきるのはマン社の調香師でクリエーション・ディレクターを務めるヴェロニク・ニベルグだ。大手香料会社の多くは香水製造のかたわら食品香料(アロマ)の開発も手がけている(このトピックに関してはサラ・ブアースによる記事にも詳しい)。そしてその食品香料が近年では、香水用の新たな味覚的ノートの開発研究に広く応用されているのだ。
インスピレーションを求めて調香師たちは街をさまよい歩きます、とロルフ・ガスパリアン。例えばスターバックスなど。また近年注目を集める「健康こそが新たなるセクシー(Healty is the new sexy)」という発想のもと運営されるパリのヴィーガンカフェのチェーン「ワイルド・アンド・ザ・ムーン」も参考になる。シムライズの調香師、アレクサンドラ・カルランが同カフェで提供されている「ゴールデン・ラテ」のアコード(アーモンドミルク、ターメリック、シナモン、胡椒)から着想を得て、アフィネッセンスの香水「キュイール・キュルキューマ(ターメリック・レザー)」を完成させたからだ。またカルランはテレビ番組「トップシェフ」からも新たなアコードのアイディアを得ることが多いという。
このクロスオーバーの最たる例は、何と言っても調香師リン・ハリスの新たなブランド、パフューマーHだろう。彼女は同ブランドから「ピアー(洋梨)」「キューカンバー(キュウリ)」「ソルト(塩)」という食材の名だけを冠した香水を複数リリースしているが、これらは有名シェフのオリヴィエ・ローランジェとのコラボレーションとして、同シェフがブレンドを担当したスパイスセットにマッチするものとして制作されたのであった(訳者注:コラボレーションの背景として、ハリス自身がロックダウン中に同シェフのブランドから発売されている塩を使って料理をしていたというエピソードもあるようだ)。まるで遺伝子改変された酵母が砂糖を消化してサンダルウッドやパチョリの香りを作る分子を生成するのと同じように、調香師たちの鼻から消化吸収された食欲をそそるノートの数々が、新たな香水として私たちの目の前に次々と吐き出されているかのようである。
エディプス的香り?
そもそものところ、なぜ嗅覚と味覚はこれほどまでに混じり合うようになったのだろうか? その質問を誰に投げかけるかによってその答えは変わってくる気がする。歴史家ならきっとこう回答することだろう。香水と食料品はもともと同じルーツを持つのだから、たとえその成分がアランビック(蒸留器)と料理鍋のあいだを行き来したとしてもそう不思議なことではあるまい、と。けれど皮肉屋ならきっとこう答えるにちがいない。ベストセラー香水のリストにちょいとばかり目を、いや鼻を走らせれば、胃袋に訴える香水が売れるのだということは一鼻瞭然ではないか、と。
だがそれはあくまでも結果であって原因ではない。その他の高級品とは、香水はまったく異なるものだからだ。腕時計やハンドバッグとちがって、まず香水とは基本的に制御不可能なものである。奔放で手がつけられない、と言い換えてもいいかもしれない。方々へと拡散し、吸収され、人々の持つ衝動や欲望、無意識といったものにまで訴えかける。なかでも砂糖を連想させる甘い香りは特に強い影響力を持つ。甘さとは人間、特に幼な子にとっての原初的かつ不変の愛着の対象であるからだ。バニリンと(キャラメルや綿菓子のフレーバーに使われる分子である)エチルマルトールの組み合わせは、業界では「スマイリング・エージェント(心理的な安心感や、笑顔、幸福感を生み出すもの)」の通称で知られています、とロルフ・ガスパリアンは説明する。 したがって、フレーバーとしてのバニラはもはや味覚的デフォルト(初期設定)とでも呼ぶべきスタンダードなものであると言えよう。英語で「プレーン・バニラ」という言い方が存在すること自体がすでにそれを証明している。なおこの表現は金融商品から性産業までさまざまな消費対象に対して使われる言葉で、最も無難で追加オプションなども含まないベーシックなプランを指すものだ。セミオロジスト(記号学者)のマリーナ・カヴァシラスはパリのセミオポリス社(その名の通り記号論のメソッドを市場分析の方法として採用しているマーケティング会社)でディレクターを務め、ジボダンからの依頼で味覚系の香りが引き起こす非言語的反応を調査する研究を行った。同氏によれば、バニラの持つまろやかな甘い香りには、人間の内に眠るエディプス的次元に訴える力が秘められているのだという。これはどういうことかと言うと、バニラの優しい甘さには母乳のそれを想起させるところがあり、その連想的イメージによって本能が刺激され、まだ母親と一体だったころの原初的記憶へと人を回帰させるのだという。「母とともにあったその時代は、まさに私たちの人生において最も理想的な時間だったと言えましょう」と同氏は述べる。「そしてその原初的瞬間を、私たちはこの先ずっと追い求め続けることになるのです。それこそ人生を通して、永遠に。そしてその欲望は私たちの生活のありとあらゆるシーンに現れています。消費、性愛、愛情表現、食生活、アルコール、タバコ……。私たちはこの、母との絶対的融合の瞬間へと立ち返ることを望み続ける、まさに永遠に終わることのないノスタルジーのただなかにいるのです」。それこそ刷りこみ効果に近いものだろう。また母乳は口を通しての喜びを初めて教えてくれたものでもある。それゆえ私たちはこの甘さという匂いに無条件に魅力を感じてしまうのであろう。
口が感じる愛
しかしながら、ローズやサンダルウッドの香りを再現することが高級香水における正統的なテーマとなり得ることは理解できるとしても、キャラメルバーやコカコーラ、チューインガムといったものが香りのピラミッドの頂点に君臨するとはどうも想像しがたい。それもそのはずで、これらの食品香料派生のアコードが使われるのはたいていトップノートとしてだけなのだ。トップノートはすぐに揮発してしまう分、その場をさっと通り過ぎようとしている消費者たちのファーストインプレッションをつかむ役割を担います、とジボダンの調香師、オリヴィエ・ペシューが解説してくれる。「この場合、香りとしての持続力が求められているわけではありません。そうではなく、ここで問われているのは、真に迫ったリアルな何かを感じさせてくれるか、ということなのです。言うなれば、『フック』のようなものでしょうか。そのフックを人々の興味関心に引っかけて取っかかりを作り、この後にはどんな香りが続くのだろう、と気になるように仕向け、それを知りたいという欲望を抱かせるためのもの。誘惑の流し目。お、その気になりましたね! さあ、あとはどうぞお好きに。といった具合に」。この場合、リアルなノートであればあるほど潜在意識に訴えるチャンスは高まり、誘惑の可能も高くなる。そして現実それ自体よりも本物らしリアリティに訴える、まさにそうしたハイパーリアリズムこそが、これら新世代の味覚系アコードを(例えばバニラ、シナモン、ココナッツといった)単なる食品香料成分とは一線を画するものにしているのである。ここで求められているのは食品そのものの香りの、まさに文字通りの再現に他なりません、とジボダンの調香師アルノー・ブスケは述べる。なお同氏はアロマティシャンも兼務している。香料コレクション「ディライト」の開発者のひとりとして知られ、同コレクションにはもとは食品香料用に開発されたノートがフレグランス用として改良されたものが収められている。「このコレクションを開発した経緯としては、香水には新たな感情の源泉を見つけ出す必要があると常々感じていたからです。そして感情のなかでは、喜びに勝る感情はありません。そしてその喜びのなかでは、味覚の喜び、すなわち口を使った喜びに勝るものはないのです。実際、そうではありませんか?」。一方、マリーナ・カヴァシラスはより細かなニュアンスを伝えてくれる。
「私たちが日々生活を送るなかで瞬間ごとに抱く感情も異なります。そしてその感情ごとに、呼応し結びつく香りのタイプも異なるわけです。例えばある香りは愛や優しさ、母のぬくもりといった感情を思い出させます。またある香りはエネルギーを与え、生きる喜びをもたらし、抗うつ剤のような作用を果たします。そしてまた別の香り、例えば刺激的な香りなどは、女性たちに強い自分、活発な自分を思い描くよううながします。そして性的な香りといったものもやはり存在します。それこそ、『ああ、私が結婚していなかったら……』と思わずにはいられないような」。
ここに見てきたような、食べることや味わうことを通した喜びと、キスをする喜びとを隔てるものは、それこそ必要となる唇の表皮がひとつでよいかそれともふたつ必要か、というちがいでしかない。つまりそれだけどちらの体験も親密さと官能性をもたらすということであるが、先の発言の末尾でマリーナ・カヴァシラスが言わんとしていたこととはすなわち、ある特定の匂いの組み合わせが「焼けつくようなめくるめく性愛の場面へと人を向かわせる」ということなのだ。
「そう、まさに女性用のバイアグラのように!」。だが果たせるかな、機密保持条項に引っかかりでもするのだろうか、映画「フィフティ・シェイズ・オブ・グレイ」のような官能的体験の実現を期待させてくれる、その魔法の成分の名が彼女の口から明かされることは残念ながらなかっ
た。しかし「ディライト」の色々な香りを試しているとき、そのヒントが私の耳にささやかれた。どうやらその香りはチョコレートでもなく、かといってバニラのような万人受けする香りでもなく、むしろ何か、豚肉のベーコンのような……そんな肉々しい、ある意味では体臭に近い挑発的な香りだということだ。
新たなる食材探しに夢中になるあまり、調香師たちはついに野菜畑にまで進出し始めたようである。
識別は堪能の条件ではない
問題となる香りがバニラであろうがベーコンであろうが、それをかいだ人が必ずしもその匂いが何の匂いであるかを同定する必要はない。「それが何であるかを意識的に気づくためには、自分が感じたものを言葉に移し換える必要が生じてきます。ですが実際日常生活においては私たちの行動の実に99%が、この合理化のプロセスを経ないままただ単に、流れ過ぎ去っていってしまうのです」とマリーナ・カヴァシラスもそう強調する。指をしゃぶる、唇を舐める、胎児のような姿勢で体を丸める、大声で笑う、目をしばたたかせる、自分の喉を撫でる、あるいは快楽を感じた瞬間のように目を閉じる……。これらはジボダンの「ディライト」プロジェクトのためにテストされたさまざまな香りに対し参加者たちが無意識的に、だがごく自然な様子で示してみせた身体的反応である。「参加者の女性たちは自分がどんな反応をしているか気づいていないようでした。彼女たちは香りをかいでいるだけなのに、まるで本当に口のなかにキャンディがあるかのような、本当にソーダを飲んでいる最中であるかのような印象を受けました」。
以下はオリヴィエ・ペシューによる説明である。すなわちなじみ深い香り、無意識下で認識されている香りは、それがオリジナルに近ければ近いほど、脳は記憶のなかに眠っていた、その匂いに関連づけられた感覚の全体を「活性化」させるのである。「まさにこの無意識に働きかけるメッセージが、ポジティブな先入観を生み出しているのです」。「そしてそしてその香りがリアルであればあるほど、その効果も強まるのです」と同氏は続ける。「例えば、洋梨を口に含んだときのあのざらついた感じを香りで表現したいと考えた場合も、リアルな洋梨の匂いを再現するよう心がけるとよいでしょう。つまりその香りがオリジナルに対し近ければ近いほど、幼少期に初めてそのフルーツを口にしたときに形成された神経回路を、脳が再び活性化するようになるからです」。ジボダンではテストの結果、「ディライト」シリーズを使って作られた香水は、それが使われていない香水よりも、常に好まれるということが確認された。アルノー・ブスケはここで確認された現象を、味覚を増強する食品香料の効果に例えている。「『ディライト』は感情の強度を高めます」とマリーナ・カヴァシラスもまた同様の分析をしている。「『これは好き』や『まあまあ好き』という感情を、『ひと目惚れ』レベルの強度にまで引き上げるのです」。
「二人三脚の食材研究」
調香師とアロマティシャンはそれぞれの香料パレットの50%を共有しながら、食欲をそそる食材の風味を味覚系のフレグランスへと変換するべく、緊密に連携を取り合っている。その方法としてはまず、食品の持つ匂いを分子レベルまで詳細に解析する。そして得られた結果をもとにその匂いを香水用の原料を使って再現する。場合によっては、それらの分子を最先端技術を用いて個別に採集することもある。このようなプロセスを踏む理由としては、レトロネーザル(口腔内に存在する嗅覚経路。ベアトリス・ボワスリーによる記事も参照されたい)で味わうことを想定して設計された食品香料が、必ずしも肌につけるための香水としてそのまま応用できるとは限らないからだ。それに、食品香料に使われる(例えば脂肪や酸など)一部の成分は高級香水に使用される成分とは相性が悪いものもあるし、そのまま使用すると有害なものもある、といったことも理由として挙げられる。両者の最も大きなちがいは、香水には拡散性と持続性が要求されるのに対し、食品香料に対してはすぐに消え去ることが求められることだろう。これは非常に分かりやすい点である。だって朝飲んだアクチメル(ヨーグルト)のイチゴ味が、ディナーでポーチド・サーモンを食べるときまで残っていたとしたら、誰だって困るでしょう。
新たなるバニラを求めて
「味覚的な香りにはある種の中毒性がともないます。そして香水はそのような中毒性があればあるほど、成功する可能性は高まるのです。ですが誤解しがちなのですが、味覚的であるということは必ずしもグルマン(甘い)を意味するわけではありません」。シムライズの調香師、アリエノール・マスネはまさにその点に注意をうながしている。その言葉を自身で証明するかのように、同氏は最近、ルバーブとカボチャ、そしてミモザとワサビという驚くべきアコードの開発に成功したところだった(このふたつのアコードはそれぞれ、パコ・ラバンヌ「ファビュラス・ミー」、「クレイジー・ミー」のために使用された)。「食べ物は多くのインスピレーションを私たちに与えてくれます。ですがさすがにもう、プラリネのような王道的な甘い香りには免疫がついてしまったのではないでしょうか。例えばフルーツほどは評価を受けてはおりませんが、野菜に目を向けてみることもできるでしょう。近年料理でもよく使われている抹茶のノートも注目を集めています。タイプとしては、大変珍しいものと言えるでしょう。ほうれん草に似たフレッシュさを感じさせる素晴らしい香りで、ジャスミンやチュベローズともよく合いますし、男性用の香水にもぴったりでしょう」。ジボダン副社長・調香師のドミニク・アザエル=マシューも、この新たなノート分類「ヘルシー」へと寄せられる関心の高まりを認めている。「今日食品業界で求められているものは健康的で再生可能なもの、環境に優しいエコなもの、出どころの明白なトレーサビリティです。香水業界も例外ではなく、われわれもそのトレンドに追随しています」。
このような背景から、香料会社各社はプラリネに代わる新たな選択肢、すなわち鼻にとってのステビア(キク科の多年草。低糖質ながら強い甘味があるとされる)となるような素材を求め奔走し始めたのだった。そしてそれはほどなくして見つかった。クリーミーで、リッチな口触り、さらには安心感さえ与えるその名は、「『ラテ』です。まさにそれこそが新たなるバニラなのです」と、そう断言するのはカトリーヌ・ドリジーだ。同氏はシムライズで高級香水部門のマーケティング・ディレクターを務める。「乳製品のノートには残り香としても力強いものがあります。古典的なバニラ・エチルマルトールの組み合わせよりもだいぶ現代的と言えるでしょう」とヴェロニク・ニベルグも太鼓判を押す。「ココナッツミルク、アーモンドミルク、穀物ミルクなどの香りは、特にこのコロナ禍にあっては、透明感・清潔感を感じさせる香りや、包みこむような温かさのある香り、健康的なものを求める私たちの需要に呼応し、なおのこと強いトレンドを生み出しています」。その一方で、例えばカンタン・ビッシュ「ピュア・XS・フォー・ハー」(パコ・ラバンヌより、2018年)におけるポップコーンや、マチルド・ビジャウイ「ポピー・アンド・バーリー」(ジョー・マローンより、2018年)における大麦などに始まり、種子、ナッツ、穀物といった、ローストしたようにこうばしく、ほんのりとした甘みのあるファセットを持つ食材の香りも注目を集めつつある。
さらにはデルフィーヌ・ルボーが2020年にIFF(インターナショナル・フレーバーズ・アンド・フレグランシズ)からリリースされたフレグランスセット「スロウ・スメリング」に収めたひとつとして、日本の「餅」(柔らかなペースト状の生地を丸めて和菓子によく使用される)に着想を得た香りを作っていることからも分かるように、米(ライス)のノートもまた調香師たちのレパートリーのなかに加わりつつある。この素材についてドミニク・アザエル=マシューは「まるでバニラが別の形をまとったかのような、美味で、優しく包みこむような柔らかさを持っています。パウダリーなバニラに対し、ライスはまろやかさや湿度、あるいは蒸気といったイメージを抱かせます」と熱っぽく語る。「包容力にあふれ、安心感を与えてくれるノートです。それでいて世界中のすべての人に語りかけるかのようなユニバーサルな中毒性もある。もっとも、実際世界で広く親しまれている食材ということもあるのでしょう」とさらに高い評価をつけるのはアレクサンドラ・カルランだ。同氏もまた「サンタル・バスマティ」(アフィネッセンスより、2015年)でこのノートを使用した。このように、砂糖に代わる新たな甘みを求めて各人が駆け回るなかで、カトリーヌ・ドリジーはスパイス専門店でもよく目にされる、デーツのキャラメル、フローラルな香りのパンダンリーフ、自然なままのチョコレートの香りを思わせるブラックサポテの実、フルーティなファセットのルビーチョコレートなど、そのようなエキゾチックな甘味をフレグランスに取り入れることを提案している。
大地の匂いをかごう!
新たなる食材探しに夢中になるあまり、調香師たちはついに野菜畑にまで進出し始めたようである。早くも2016年にはアニク・メナルドがビーツに目をつけていた。土っぽい甘味のあるこのノートを、同氏は「ポー・ダイユール」(スターク・パリより)のなかで個性的なシプレの香りに合わせてみせた。最近の例ではシムライズが「ガーデン・ラボ」と名づけられた新たなコレクションを開発したが、同コレクションにはアーティチョークやアスパラガス、キュウリ、ポワローネギ、ガーリック、トマト、オニオンなどの野菜を冷間圧搾にかけて抽出したオイルをベースとした香料シリーズであり、これが同社の調香パレットにも加わることとなった。なかでもアーティチョークのグリーン、フローラル、パウダリーなノートはローズとの組み合わせにおいてまさに相性がぴったりだ、とアリエノール・マスネも絶賛する。また同氏はポワローネギに関しても幅広い用途が見こめるとし、例えばマリンノートを表現する際の海藻の代わりとなるものとして、さらにはシプレ系の香りを作る際のオークモスの代替素材としても期待を集める。だがそれらすべてを、果たして本当にそこまで鵜呑みにしてしまってよいものだろうか? 念のため、塩をひとつまみ、そこへ加えておいたほうがいいのではないだろうか(訳者注:「塩をひとつぶ加える」=「疑ってかかる、用心する」を意味するフランス語の慣用表現)。だがその塩はすでにちゃんと入っているので、どうか安心してほしい。ドミニク・ロピオン、アンヌ・フリポ、オリヴィエ・ポルジュとともに「インヴィクタス」(パコ・ラバンヌより、2013年)を作ったヴェロニク・ニベルグによれば、同香水のなかに隠し味として仕こまれていたのがまさにその「黒オリーブ、タプナード(オリーブオイル、バジル、ガーリック、アンチョビなどから作られる、ほどよい塩味と酸味を特徴とする南仏のソース)といった、男性特有の塩っぽい汗のような匂いを連想させるアロマ」だったのだから。またドミニク・アザエル=マシューは次のようにも提言している。「これら食材系のノートに関しては、もはや実験的な一要素や変わり種にとどまるものではありません。今やそれ自体が新たなエッセンシャルオイルのひとつとして、あるいは独立した別個の成分として扱われるべきなのです」と。
さて、結論としては、香水はまだすべての食材を食べ尽くしたわけではない。だが差し当たっては、まだまだ体型を気にするほどではなさそうだ。
「シャワールーム、あるいは可能性の部屋」
食品香料(アロマ)由来のアコードが高級香水に応用されても、そのアロマの存在にはそもそもあまり気づかれることはない。その一方で、機能性フレグランスに関してはより大っぴらに、明らかにそうと分かるほどその使用が強調されている。例えばシャワージェル「ドップ」の「幼き日の甘い思い出(Douceurs d'enfance)」シリーズでは、クッキーや、イチゴ味のタガダ(マシュマロキャンディー)、あるいはキャラメルバー、さらにはプルーストを意識したかのような「オーセンティック・マドレーヌ」といった香りのなかに泡とともに包まれ戯れることができる。とはいえこうした商品はあくまでも子ども向けのもので、キラキラしたピンク色のキックスクーターに乗るような年齢になってもこのような香りに包まれ喜んでいるとは、いささか考えづらい。香料会社のマン社の調香師であるとともに、多くのシャワージェルを手がけてきたロルフ・ガスパリアンは次のように説明する。「高級香水が可能にするものは、言わばパーソナリティの拡張です。では『ドップ』のようなシャワージェルは? それは自身の経験の拡張を可能にするものなのです。経験とはあくまで私的な領域に関するものなので、そこに他者が媒介することもありませんし、その瞬間を楽しむというが優先されるため嗅覚的な許容度・自由度も高くなります。つまりシャワールームという空間のなかでは何でも試すことができますし、どんな行き過ぎたことでも思いきり楽しみ、自分を甘やかすことができるのです」。
一方で保湿クリームやシャンプーの場合は少しばかり事情は異なる。ドミニク・アザエル=マシューによれば「その製品に期待されている効果と香りとのあいだにきちんとした整合性が取れていることが基本条件のひとつとなってきます。例えば、デトックス効果を謳ったボディソープでしたら、ユズが適しているでしょう。清潔感があり、弾けるような香りです。そして保湿や再生効果のある製品にはみずみずしいグリーンなノートのキュウリを、といったように」。このような話を聞いてしまうと、もしシャワールームでキュウリとキャラメルバーの香りが衝突してしまったら……とそう思わず想像してしまう。けれどまあ、少なくとも清潔な状態にはなれるのだろう。

