プロダクトデザイナーのイオナ・ヴォートランは2010年より活動を開始し、フランス国鉄(SNCF)、モノプリ、フォスカリーニ・デザインといった企業とのコラボレーションを通じて視覚と触覚を通じた作品を発表している。独立系調香師のアントワーヌ・リーはエタ・リーブル・ドランジェの「セクレション・マニフィック」「リアン」、エリ・パルファンの「グリーンスペル」を手がけたことで知られている。最近では自身のブランド、アントワーヌ・リー・オルファクティブ・エクスペリエンス(ALOE)を立ち上げ、自らが情熱を傾けることのできるプロジェクトだけに専心している。ギョーム・ユレーは音楽デザイナーである。エージェンシーのリジョイスを設立し、空間を音楽で演出したり顧客が伝えたいメッセージをサウンドに変換して表現することを得意とする。この3人のクリエイターは五感のなかでも自らが専門領域とする感覚に依拠して活動しているわけだが、作品に対するアプローチや創作をめぐる問題意識に関しては共有しているものも多くある。
――「デザイン」や「デザイナー」といった言葉は今では当たり前のように使われていますが、それがどのような意味ではあるのかという明確な定義に関してはこれまであまり口にされることがなかったように思います。実際これらは何を指し、どのような意味を持っているのでしょうか?
(ギョーム・ユレー)「デザイン」という言葉が何を指すのかを10人に質問すれば、きっとその10人からはまったくちがった答えが返ってくることでしょう。それぐらい流動的な意味を持つ言葉だと私は考えます。一方「デザイナー」ですが、もちろんそれは創造者であったり設計者といったものを指す言葉でもあるわけですが、私の辞書には「思考することを極めしもの」といった意味もあります。というのも何かを作り出すということは、例えばクライアントから課される制約を考慮するなど、とにかくそうしたさまざまなことを思考し考え抜いたうえで実現されることのはずですよね。つまり私にとってデザイナーとは、自分が作るよう求められているのはどのようなものなのか、そしてその使用用途はいかなるものなのか、あるいは、自分の作り出したその作品と世界とはいったいどのような関係を結び得るのか、そのようなことを思考し、理解し、熟知している人のことを指す言葉であるわけです。
(イオナ・ヴォートラン)確かに、「デザイン」という言葉は広く使われすぎているように思います。濫用されている、とさえ言っていいでしょう。私にとってデザイナーとは、職業や肩書きである前に、ひとつの方法、あるいは手段を意味しています。世界を見つめ、社会、環境、政治、美、そのようなさまざまな問題を見つめるために必要なまなざし。そしてこれらの問題に対しいくつかの可能な解決策を提示するために、私はこの方法を用いるのです。確かにこの定義は少し幅が広すぎるかもしれません。ですがこのデザインという分野に調香師やイラストレーター、プログラマー、あるいは駅の雑踏を観察し人々の動きを分析する人など、そのような非常に多くの人々が関わっているという事実は、この意味の幅広さが理にかなっているということを証明してくれていると思います。その範囲はとにかく広く、大きなものです。このデザイナーという仕事に課された使命は、私たちの人生をより美しくすること、生活をより暮らしやすくすることだと思っています。そして何よりも、ともすれば平凡で色あせたものとなりがちな日常生活に何かしらの意味を与えてあげることなのではないでしょうか。
(アントワーヌ・リー)今でこそ私は自分を「嗅覚のデザイナー」であると自負しておりますが、以前の私はと言えば、とてもじゃありませんがそうとは言えませんでした。大量生産され大手チェーンで販売される香水は、むろん高度な専門技術に基づき作られるものですが、当然ながらそれらは芸術というよりかは職人的な領域に属するものでした。そうした世界でキャリアを積みながら、あるとき私はこのようなアプローチでは自分の可能性が狭まってしまうとそう理解したのでした。例えば芸術作品や写真でよく使われる表現として、あるいは場所や、何かちょっとした物やオブジェなど、あるものに光を当て「明るみに出す、白日のもとにさらけ出す」という言い回しがありますが、私はこれを香りでも言い換え可能だと思っています。すなわちそれらに香りを与えることで「明るみに出す」ことが可能なのだと。香水は男性や女性に対しある価値を付加するだけではありません。それは何かもっとこう、現実に対し別の次元の要素を与えるものなのです。だからこそそれを行う自分には、芸術家という呼称が必要なのです。
ご自身の実践されている分野とは異なる芸術的アプローチやデザイン方法に対し、何か似通ったところや共通する点を見出されることもあるのでしょうか。
(ギョーム・ユレー)この場に会した私たちの仕事に共通しているのは、あるべき「形」を問い直すということではないでしょうか。つまりその理想の「形」を作り上げる手段として、私たちは対象となる物を装飾したり、あるいは何かで覆ったり、包みこんだり、といった方法を取るわけです。私の場合で言うと、当然それは音になります。映像や、商業的メッセージ、感情といったものを、私は音で装飾するのです。この装飾というものにはもちろん嗅覚が介入することもありますし、より物質的なもの、手で触れられるものもあるでしょう。ところで私は思うのですが、音楽と香水の語彙に共通のものが多いというのは果たして単なる偶然として片づけられるでしょうか? 無数の香料ボトルがまるでパイプオルガンのように机いっぱいに配置された「オルグ・ア・パルファン」と呼ばれる調香師の作業台がありますよね? この「オルグ」はまさに私どもにとっては「オルガン」を意味する言葉ですし、香水で言う「ノート」は音楽用語で「音符」を表す語です。そしてもちろん「アコード」は「和音」となるわけです。
(アントワーヌ・リー)なるほど、それは非常に興味深い共通点ですね。ですが香水と音楽の類似性ということに関しては、限定的かつ部分的なものであると言わざるを得ないかもしれません。というのもこのふたつが時間の経過によって被る変化はまったく別様のものだからです。あまりぴんとこないかもしれませんが、私は香りを彫刻に例えることがよくあります。その最たる共通点は、どちらも三次元において把握されるということです。香りは空間を満たしますが、そのときその香りの形は可変的で、三次元に広がりながら、そして常に形を変えながら動いています。このように香りが不変的な形を持たないということは翻ってみれば、それはどのようなタイプのデザインにも対応可能であるということです。過去、幸運にも私はコムデギャルソンでクリスチャン・アストゥグヴィエイユといっしょに働く機会を得たわけですが、そこで私たちはこれまでとはちがったアプローチを色々と、実験的に試してみたのでした。例えば香りそのものを単体で扱うのではなくひとつの装飾として、何か別のオブジェクトや作品を飾り、彩りを添えるために利用するということ。このような手法を用いることでよりニュアンス豊かな感情が表現できるのだと、そう私は彼との仕事を通して学んだように思えます。空間にその場を占め存在している物は、目で見ることもできますし手で触ることもできます。ですがその空間には音も満ちています。そしてもちろん、匂いも。ここで最も軽視され見過ごされやすいのはやはり嗅覚であることは否めませんが、私はその感覚の意味を探るためにこうして仕事をしているのです。
(イオナ・ヴォートラン)私たちの活動はまさに異業種や他分野とつながり、接続することでより真価を発揮していきます。以前、香水業界との共同案件があったのですが、そのときコーディネイトを担当してくれたマーケティング部門のかたがたは、私が直接調香師と会ったり香りをかいだりすることは想定していなかったらしく、そこで私はちょっともやっとしてしまいました。香水業界に限らずどの業界でもこのマーケティング部門というのは幅をきかせていて、ときには肝心のデザインそのものにまでうるさく口を挟んできて、その可能性を狭めてしまうといったことも少なくはありません。彼らは市場分析や統計学といった理論的に構築された言説を持ちこんでくるため、デザイナーや調香師たちとしては、これに従わざるを得ないのです。このように実地的な経験からではなく人工的・機械的に構築された言説がむやみに振りかざされることによって、ボトルデザインと、その中身である香り、そして商品全体に通底するストーリー、などといった各プロジェクト・各段階の要素が統一性を失いばらばらに分断されてしまう、ということが起こってしまうのです。私たちの専門領域が五感のどの感覚であったとしても、立ちはだかる課題は尽きることはありません。デザインというものはどの時代においても、私たちが生きていくなかで生じるさまざまな疑問に答えるために、また異なるさまざまな人々をつなぐために存在してきたものだと私は考えます。創造にはさまざまな制約や限界がつきまとうものですが、デザインにはそれを乗り越えていく力があるのです。
香りは空間を満たしますが、そのときその香りの形は可変的で、三次元に広がりながら、そして常に形を変えながら動いています。つまりどのようなタイプのデザインにも対応可能であるということです。(アントワーヌ・リー)
個人の表現や創造性ということに関しては、やはり顧客からの要望とは対立してしまうことだってあるわけですよね?
(アントワーヌ・リー)過去に私が作ってきたものは、どうひいきめに見ても、理性によって感情がおさえられコントロールされていることが分かってしまうような、そんな作品ばかりでした。というのも当時は何よりも自分の香水を評価してくれる人々に作品を売りこむ必要がありましたし、私が本当はどのようなものを作りたいと願っているかを理解してもらうためにもそれは重要なことでした。これが大手の香料会社での仕事になると、いったい誰がどのようにしてその香りをかいでいるのかまったく分からないといったこともしょっちゅうで、いったいどこで誰が書いているのか、とにかくコメントは返ってきますがまるで伝言ゲームのような状態で、さすがにこれにはちょっと閉口してしまいました。それからははっきりとした具体性のある仕事を優先するようになりました。何かにつけてすぐムードボードを持ち出してくる、そんな当を得ない視野狭窄なプロジェクトではなるべく断るようにしています。今の私には多少なりとも築きあげてきたものがあります。ですがそのような象牙の塔に閉じこもってばかりはいられません。私は今もさまざまなアーティストたちといっしょに仕事をしていますが、私と彼らとのコミュニケーションのあいだに外部からの干渉が入りこむことはいっさい許容しておりません。
(ギョーム・ユレー)音響デザインの案件で依頼が入る際には、クライアントはすでに具体的な目的があって呼んでいるはずですので、そこに私たちの個性や創造性が入りこむ余地は最初からあまり残されておりません。例えばフランスの全国民が青信号をイメージするようなサウンドを依頼されたとしましょう。そこには多くの人々が直感的に納得できるだけの公共性とシンプルな明快さが求められるわけですから、このような強力な制約の前にはやはり私たち個人の創造的自由が入りこむ余地などほとんどないわけです。思うに、他の創造領域と比べても、私たちの分野に許容された自由度は特に低いのではないでしょうか。もちろん、とにかく独創的なオリジナル音源を作るよう言われた場合などには話は変わってくるかと思いますが、やはりその場合にもイメージやメッセージを音に翻訳するという、私どもに課された至上命題はどこまでもついて回るわけですので、そのぶん芸術的な部分は大きく削がれてしまうということになります。
(イオナ・ヴォートラン)ここのところ私が感じているジレンマは、価値観の相違に関するものです。私は常に何か新しい、かつポピュラーなデザインを提案したいという一心で活動してきました。ですがそのような私の思いとは裏腹に、ブランド各社はと言えば何か新しいことに挑戦することに対して年々および腰になってきているようなのです。彼らはとにかく市場の期待に応えることばかりに躍起になっていますが、その実、その市場が本当は何を期待しているのかを理解していないのではないかと思わせるようなところがあります。毎年これだけ無数の商品が世に出て、私たちの世界は物に満ちあふれているというのに、そこで何か新しいものを導入することにブレーキをかけるというのは果たして本当に理にかなっていると言えるのでしょうか? そもそものところ、いったい私たちは何のためにデザインしているのでしょうか? 自分のエゴを満たすため? それとも市場のためでしょうか? もちろんちがいます。私は思うのですが、それは社会から寄せられる本物の質問に、本当の意味で回答するためなのではないでしょうか。今後はますます自分のことばかりにかまけてはいられなくなるでしょう。これからは社会との調和も意識しなければなりません。その社会も無限に物を生産できるわけではなく、そしてその物にかつて宿っていた意味も、今日においては次第に失われていっているのですから。
皆さんのお話を聞いていて問題点がよく分かってきました。つまりクライアントからの要望に応えることが、最終的な利用者のためになるわけではないということですね?
(ギョーム・ユレー)私の仕事の悩ましいところは、95%のクライアントが自分の要望を言葉で説明できないことです。彼らがよこしてくれるのは本当にざっくりとしたイメージや曖昧な例えだけで、そのためまずは彼らが具体的にはどんなことを望んでいるのかを詳しくヒアリングし、そこに明確な言葉を与えるところから私の仕事は始まるのです。ですがその私のヒアリング相手は、例えばロックやラップなど、彼らの知っている乏しい語彙しか話のなかで使ってくれません。なので必然的に、彼らの話す要望と実際の要望とのあいだに大きな乖離が生まれ、ひいてはユーザーからの期待ともかけ離れたものになってしまうのです。ですがそうなってしまうのは当然と言えば当然というか、考えてみればいたしかたのないことなのです。だからこそ私たちの仕事があるのであって、私たちは担当するプロジェクトをあらゆる側面から理解しようと努めます。ときには生徒に接する教師のように寛容で忍耐強くある必要も生じてくるでしょう。ですがそうすることによってちぐはぐだった内容を再構築し、本当の求めに応じることができるのです。
(イオナ・ヴォートラン)私のプロダクトデザインは視覚的な斬新さを重視しておりますが、いっぽうで機能性もおろそかにはしておりません。以前TGV(高速鉄道)に設置するランプを作ったとき、コンセプトの中心として考えていたのはもちろん乗客たちのことでした。空間を照らすと同時に、どこか家庭的な温かさを感じさせるものとして私はこれを設計しました。ベッドサイドの間接照明やデスクランプといったイメージも私のなかにありました。ですがこのランプには乗客とはまた別に、ユーザーとして念頭に置いている存在があったのです。それは車内清掃を担当する人々やそのランプのメンテナンスや修理をする人たちのことでした。それゆえランプは簡単に取り外しと分解ができる、手入れがしやすい仕組みになっています。つまり、すべてがエンドユーザー優位ではないということなのです! このようにどのようなプロジェクトにも表の面とその後ろに隠された面とが存在します。手間と時間が最もかかるのはこの表面には出てこない部分であるわけですが、かといってその裏の面がそのプロダクトに備わる利点や魅力を損ねてしまうわけではありません。
(アントワーヌ・リー)私の作る香水が人々の気に入るか気に入らないかということにはあまり関心がありません。私にとってはその香水を作ったときのクライアントとの親密な関係のほうがはるかに重要なのです。彼らそれぞれが私に向けて語りたいと思っている物語を持っています。私はそれを聞き、自分のなかで咀嚼し、香りという形式に翻訳します。人々からの評価よりもそうしたプロセスのほうが私にとってははるかに大きな意味を持っています。クライアントからの要望と私の創造性とのバランスがうまい具合に取れたとき、「これだ」と思う瞬間があります。作品に美が宿るのはまさにそのような瞬間です。制作中の香水には、それをともに作りあげた人々の何かが必ず残っているものです。というのも彼らとの対話の結果がその作品それ自体に他ならないからです。確かに、私は具体的な形を持った物を作る仕事をしていて、かつそれを遂行するための技術を持っているわけですが、それよりも私が気に入っているのは自分がひとりの翻訳者であるという考えです。とはいえ私が翻訳者として振る舞うことが私の仕事における芸術的な部分と両立不可能なわけではありません。そのようにクライアントからの声を直接聞くことはむしろ、私にとって創造的かつ革新的であるためには不可欠なことなのです。私が注力しようと努めているのは、そんな彼らがアイデアや作品を通して明らかにしようとしているもの、そして公けに示したいと願っているもののなかから何か真にせまったものを拾い上げ、それに形を与えることなのです。
ご自身のアプローチの根拠とされているものは、やはりテクニカルな専門性なのでしょうか?
(ギョーム・ユレー)私の仕事のなかで、コンテンツとしての音楽制作は実はプロセスのいちばん最後に取り組む段階にすぎません。何か新しいプロジェクトが立ち上がると、私はいつも技術的なパラメータを確認するところから始めます。例えば、配信方法はどのようなものなのか? いつ、どこで、どんな手段で行われるのか? などなど。テクノロジーの最新情報を常にチェックしておく必要がありますし、近い未来を予測し、先取りすることも求められます。何と言ってもCDからMP3、そしてストリーミングへと、私どもの業界では目まぐるしい進化を経験してきたわけですので、そのような技術的な変数を常に考慮に入れておく必要があるのです。そうした手続きを踏むことによって、実際に音響環境を設計する際に細やかで精密なコントロールを行うことが可能になるわけです。
(イオナ・ヴォートラン)私が好きな仕事の始めかたは、まずは自分の手を使って色々試しながら作ってみることです。段ボールで模型を作ってみたり、スケッチを描いてみたりといったことが多いです。そのような試作を3Dツールにかけてモデリングするというのが次の段階です。それによって初めてプロジェクトが具体化するわけですが、同時に、3Dで映し出されたそのプロポーションが現物として表現可能なのか? という技術的な制約が提示される段階でもあります。例えば、以前私は小型のラジオを作ったことがあるのですが、当然ながらそのラジオのなかには電池もスピーカーも入れなければなりません。各部品がしかるべく収まることのできる最終的なデザインに着地させるためには、やはりこの3Dツールが有効で、各要素の寸法を素早く弾き出し、しかるべく調整してくれるのでした。こんな風にプロダクトに対し見事に建築的構造を与えてくれるこのツールは、ある意味では彫刻家が素材に対して振るう彫刻刀に似ているようにも思えます。
(アントワーヌ・リー)会社勤めを辞め独立した今では、素材に対しじっくりと向き合う時間を何よりも大切にしています。専門性や技術云々ではなく、このような時間こそが香水を作っているのだとそう私は本気で考えています。私がこの世界に入ったのは1984年のことでしたが、この年に発売された香水は私が確認した限り17とかそこらでした。実際、当時香水というのはそれくらい時間をかけて作られていたのです。ですが今では確か、世界中で年間2,000あまりの香水が発売されているとか……。私の願いはかつてのように、香水が丹念に作られていた時代に立ち返ることなのです。実現のためにはそれに見合う労苦と革新が必要となることでしょう。その一環として、アトリエ・フランセ・デ・マティエールと提携して天然原料の新たな抽出プロセスの開発に取り組んでいます。超音波抽出などがその例ですが、こうした手法はエネルギー面でも非常に効率が高く、その生産効率は蒸留法の4から5倍におよぶとされています。そして取得される成分に関しても、通常よりはるかに自然に近いものが得られるのです。
音楽と香水の語彙に共通のものが多いというのは果たして単なる偶然として片づけられるでしょうか? 「オルグ・ア・パルファン」と呼ばれる調香師の作業台がありますよね? この「オルグ」はまさに私どもにとっては「オルガン」を意味する言葉ですし、香水で言う「ノート」は音楽用語で「音符」を表す語です。そしてもちろん「アコード」は「和音」となるわけです。(ギョーム・ユレー)
皆さんの発言からは環境問題への言及も見受けられますが、分野はどうあれ、地球を守ることと魅力的なプロダクトを作ることとは両立可能なのでしょうか?
(イオナ・ヴォートラン)大量生産への問題視が高まるこの社会にあって、私自身、自分の実践について考え直す機会が増えてきました。「グリーンウォッシング」(巧みな表現を用いて消費者にその商品・サービスが環境に配慮していると信じこませるビジネス戦略)が横行しているのも嘆かわしいことです。コスメブランドからの依頼もよくあるのですが、殊勝にも「エコロジカル」を前面に押し出した商品開発を推進する立場を見せながらも、そうしたブランドに限ってアルミニウムのようなリサイクルが難しい材質を容器に使っているものですから、たちまちのうちに矛盾が浮き彫りになってしまうのです。過去には、生産工場が中国にあるブランドとも仕事をしたことがありました。発売日前日になってようやく輸送コンテナで到着した新作コレクションがばたばたと店舗に運びこまれ、そのくせ店頭に並ぶのはたった2週間だけなのです! 今では地域に密着したローカルな仕事を優先するようにしています。プロジェクトが立ち上がったその土地にちなんだ素材や手法を活かすことで商品が世界中をたらい回しにされることを避けることができますし、現地で慎ましく仕事をしている職人を雇用することにもつながります。
(ギョーム・ユレー)現在私が最も注力している課題のひとつが、騒音問題です。現代社会において最も憂慮されている公害のひとつと言ってよいでしょう。フランスでは実に2人に1人がこの問題に悩まされていると言われています。ノイズキャンセリング・ヘッドフォンの売り上げが伸び続けているのもそれを証明しておりますし、フランス環境エネルギー管理庁(ADEME)はこの騒音問題による社会的コストが年間1,560億ユーロにのぼると推定しています。音響デザイナーとしての私の使命はエージェンシーや建築家たちと協力関係を結び、こうした事態を打開するべく努めることだと考えています。社会にはさまざまな場所が存在していますが、そのなかには静寂であらねばならない場所というものがあります。私たちの仕事はただただ無根拠に音楽を垂れ流すことではありません。私たちが仕事をするなかで何よりも配慮せねばならないのは、聴き手の気持ちを尊重しない、そのような不適切でうるさすぎる音、存在感が強すぎる音でその場にいる人を嫌な気分にさせないように努めることなのです。
(アントワーヌ・リー)香水業界でも「グリーン」のスローガンを掲げた取り組みがこぞって宣伝されています。ですが実際には、香水それ自体は天然アルコールに数ミリリットルの原液を混ぜたものにすぎません。なので努力すべきはボトル、キャップ、インク、ポンプといった、リサイクルできないパッケージングの部分でしょう。あらゆる大量生産がこの惑星にとっては害となります。私自身、過剰に生産することは避け、素材抽出の際にも環境への責任を意識した方法を取るよう心がけるとともに、季節のリズムを尊重するよう努めています。エッセンスの年間供給量は限られておりますし、自然がすべてを出し尽くした後にそれ以上を無理強いすることはあってはならないことです。これはワインについて言われていることと同じことですよね。
デザインというのは常に明快であるべきだと思っています。なぜならそれは、人々と対話をするための手段だからです。その対話は決して相手に対し高圧的にならず、見下すことなく進めなければなりません。(イオナ・ヴォートラン)
昨今、各分野でAIがまるで魔法の言葉のように喧伝されていますが、皆さんの専門領域ではこのAIはどのように位置づけられているのでしょうか?
(ギョーム・ユレー)私の分野では、もはやAIは避けては通れない存在です。とはいえクリエイティブな面では、さほど興味を引くものではありません。もちろんメロディを作ったり完璧なタッチで楽譜を再現したりすることはできるのですが、そこには魅力というものが決定的に欠けているのです。一方リサーチ面では優れたパフォーマンスを発揮し、私自身たいへん重宝しています。Spotifyのようなプラットフォームでは革新的なアルゴリズムによって各ユーザーの好みを分析したおすすめの曲が瞬時に提示され、これによって曲探しの時間を大幅に短縮することができますし、自分好みの新たな曲と出会える可能性も高まります。
(アントワーヌ・リー)AIが的確な香水の処方を作ることができるのは確かです。くわえて、今日の香水業界では機械化が進んでおります。現在のトレンドを学習したAIは生身の調香師よりも安価で、かつより多くの試行回数を重ねることができます。ルールや規則がしっかりと定められた分野では、その分野そのものを自動化することができるものです。その点、調香師たちは自身の仕事をするなかでそうと気づかないうちにAIのデータベースを豊富にし、アルゴリズムを強化することに加担してしまっているのです。もちろんアルゴリズムに創造性を求めることはできません。そもそものところ、それはAIの役割ではないのですから。失敗から学んで成長したり新しいことを追い求めたりすることを、当然ながらAIは知りません。彼らが得意とするのはただただ同じことを繰り返し続けることだけです。そんな彼らによって香水が作られ発売されたとしても、きっと10年後には完全に忘れ去られてしまうことでしょう。ですがたとえそうだとしても、業界にとってはどうでもいいことなのです。業界が望んでいるのはただより多く、より速く生産し売り出すことだけなのですから。AIの登場によって望まれる変化があるとしたらそれくらいなものでしょう。ですがそれが生むのは悪循環だけです。私はその流れに逆らって、香水を真の創造的作品として位置づけ直す試みを行なっているのです。
(イオナ・ヴォートラン)私にとってはAIというのは、魔法の言葉というよりかは悲劇そのもののように聞こえます! 私は現実的で、地に足の着いた人間です。デザインするプロダクトも高度なテクノロジーは搭載していない素朴なものばかりでした。なので自分がAIを使って仕事するというのは、ちょっと考えにくいことなのです。私が興味をかきたてられるのはあくまでも事物に宿る、しっかりとした具体性を備えた血肉の通った次元なのであって、ぼんやりとした概念ではありません。デザインというのは常に明快であるべきだと思っています。なぜならそれは、人々と対話をするための手段だからです。その対話は決して相手に対し高圧的にならず、見下すことなく進めなければなりません。

