上:ピエール=シモン・フルニエによる「印刷字体モデル」パリ、1742年 下:ジョルジュ・ペニョー・エ・フィスによる「十八世紀宮廷式字体模様改良型」パリ、1914年
洗練された十八世紀
ラグジュアリー産業のすべてがそうであるように、香水業界もまた伝統ある歴史をさりげなくアピールすることで自社の格式と威厳に満ちたイメージを戦略的に演出しようとする。ブランド名を示すロゴの下にまるで決まり文句のように「…年からの香水ブランド」「…年創業のメゾン」といった表現が添えられる例が多く確認されることからもそのことが分かる。こうしたフレーズの効果は、意図的に古めかしい言い回しや格式ばった表現が用いられることでよりいっそう強調されることになる(そしてその文句とともに組み合わせられる図像や装飾的モチーフ、表記やグラフィックのスタイルなどにもこのような懐古趣味がうかがえる)。最もよく見られるのは十八世紀の「ロカイユ様式」、あるいは「ロココ様式」とも呼ばれるスタイルだ。そして多くのブランドにこの様式が好まれたということには確固とした理由があったのであった。実際、この十八世紀という時代は、官能性、洒脱さ、社交的洗練といったものに価値を置いた大衆文化が花開いた時代であった。このような価値は香水が目指し消費者に対し約束するものとも一致していたため、まさにこの時代の文化的風土との親和性は高かったということになる。なのである有名香水ブランドが十八世紀の画家ジャン=オノレ・フラゴナール(1732-1806)の名から屋号を取ったとしても、何ら不思議なことではなかったということなのだ。そのフラゴナールの描いた多くの絵画の主題や作風に認められる、洗練されながらもどこかチャーミングな雰囲気はその時代を象徴するスタイルとしてその地位を確固としたものとしたのであった。オルレアン公フィリップの摂政時代(1715-1723)に生まれたこのスタイルはその後数十年のあいだにフランスだけでなくヨーロッパ全域に広がり、数々の画家たちに模倣されるようになった。フラゴナールが香水の都グラースの生まれであったということも象徴的に大きな意味を持っていたことだろう。十八世紀は現代香水業界の基礎が築かれた時代でもあった。南仏プロヴァンスのグラースだけではなくイタリアやケルンでも香水産業が発展し、特にこのケルンでは1709年にジョバンニ・マリア・ファリーナ(1685-1766)がすでにイタリアで流行していた「アクア・ミラビリス(奇跡の水)」を売り出し、これが「ケルンの水」すなわち「オーデコロン」の由来となったことはよく知られている。こうした背景のなかで、今日の香水ブランドは当時の絵画やグラフィックアート、装飾美術に直接由来する意匠を用いることで歴史へのオマージュを表現しているのである。ディプティックのラベルデザインに採用されているカルトゥーシュ(長円形の囲み飾り)やグッチ「アルケミスト・ガーデン」シリーズのボトルを彩る華々しいガーランド装飾は、十八世紀の装飾美の精神を現代によみがえらせた見事な実例と言えるだろう。なかでもグッチの同シリーズを代表する「1921」のボトルデザインでは、ロマン主義風の装飾字体にナポレオン帝政様式において権威と格式を表す色とされた緑と金という配色が実に効果的に組み合わされている。こうした装飾デザイン、特にそのタイポグラフィに関しては当時活躍していた植字工・書体理論家のピエール=シモン・フルニエ《ル・ジューヌ(ジュニア)》(1712-1768)による仕事や、版画家シャルル=ニコラ・コシャン親子(父:1688-1754)(息子:1715-1790)が自身の銅版画を飾る額装に施した装飾字体にその源流を見ることができる。特にコシャンの名は「コシャン・フォント」としてこの現代においてもなお生きながらえ、実際この活字体は今も広く使われている。またセルジュ・ルタンスがブランド名でもある自身の名を印字する字体として複数の作品にこれを採用していることでも知られ、やはりその影響力にははかり知れないものがある。そしてこの「コシャン・フォント」を商品として販売し始めたのがパリの鋳造所ジョルジュ・ペニョー・エ・フィスであった。こうして1912年のパリで初めて商業化されたこの書体は、十八世紀の銅板画家たちが作品の完成にあたって慣習的に施した、タイトル、献辞、詩的キャプションなどを構成する文字を模倣・再現したものとなっていた。まず目を引く特徴は、極端に細く、そして過度に強調されたそのヒゲ飾り(セリフ)であろう。大きく表現された大文字、「b」や「l」など上部に突出する線(アセンダー)を持つ字はアンバランスに思えるほど長く引き伸ばされている。そして何よりも、極端に小さな小文字。これらの特徴が相まってやや気取った優雅さが生み出されている。この優雅さはまさにロココ様式から受け継がれた遺産の最たるものであった。この1912年のオリジナル(ニコラ・コシャン版)の後には多くの改訂版や復刻版が登場することになったが(なかでも知られているのはマシュー・カーターが1977年に考案したライノタイプ・コシャン版だ)、これらは現代へといたる一世紀以上にわたってあらゆるラグジュアリー産業関係者たちを魅了し続けたのであった。
だがこうした言わば「コシャン・トレンド」とでも呼ぶべき現象が意味するところは、決して見かけ通りのものではない。確かにこれを、すでに見てきたように、香水業界がその歴史的初期に開花した優れた創造的・商業的意匠を再び用いることで格式ある伝統へと回帰しようとする、あの一般的な流れの一環と見ることもできるだろう。だがこれにはまた別の重要なメカニズムも関わっていたのであった。そしてそのメカニズムとは、香水業界に先んじてファッションブランドで成功を見た視覚的コードが、その後香水製品のなかでも再利用されるということだった。これは香水業界とファッション業界とが互いに深い類縁性を持っているからこそ成立するメカニズムであろうが、この「コシャン・トレンド」のケースに即して考えてみるとすれば、この書体がファッション業界ばかりでなく香水業界でも広く普及するようになったきっかけとして、1940年代終わりごろからクリスチャン・ディオールのブランドタイポグラフィとして使用されるようになったことを挙げることができるだろう(そして実際、1947年にフェルナン・ゲリー=コラがデザインした「ミス・ディオール」にもこの字体が目立った形で使用されているのを確認することができる)。そしてこの例はディオールにとどまるものではなく、他の多くのブランドでも同様のことが起こったのであった。
グラフィックの支配力
この現象が特別珍しいというわけでもなかったということは、市場に流通する香水の多くが(オートクチュールであるかプレタポルテであるかにかかわらず)ファッションブランドから出されたものであるということからも類推できるであろう。こうした流れは二十世紀始めのポール・ポワレとココ・シャネルの時代からすでに始まっていた。クチュールメゾンから発売された香水がその生みの親であるメゾンと同一の視覚的シンボルをまとうことは、確かにごく自然なこととして映るであろう。だがこれらのブランドの持つ影響力は決して同一ブランド内にとどまることなくどこまでも広くおよび、まさにわれわれこそが新たなる模範なのだと、そう信じこまさせんばかりの威厳を生み出したのであった。そしてその結果として、その力の強さにあてられた本来ファッションブランドとは何の関係もない香水ブランドまでもがその新たなる基準にならい始める、という現象が起こったのであった。たとえその意匠がすでにどれほど使い古され陳腐化しているということが分かっていたとしても、大手ブランドの放つその威光の強さゆえに、これらのブランドは変わらずそれを模倣し続けざるを得なかったのである。
さてタイポグラフィの分野においては、上の図に挙げたふたつの伝統のあいだで見事に二極化されることになった。そのひとつが「ディド」や「ボドニ」といったネオクラシカルな美学の系譜を受け継いだフォントスタイルだ。このスタイルは1930年代に偉大なアートディレクター、アレクセイ・ブロドヴィッチ(1898-1971)が『ハーパース・バザー』誌で多用したことから広く知られるようになった。ブランドでは、ヴァレンティノ、ジョルジュ・レッシュ、アルマーニ、ラルフ・ローレン、ギ・ラロッシュなどがこのフォントスタイルを採用している。またエイブリーやル・クヴォンのブランドロゴとしても知られるとともに、ボン・パフューマーの香水ラベルに大きく印字された3桁の識別番号にもこの系統の書体が用いられている。これらとは対照的なもうひとつのスタイルは、飾りヒゲを持たず(サンセリフ)文字の太さも一定で、全体的にシンプルでさっぱりとした印象を与えている。このような過度な装飾性を排したスタイルはシャネルが創業当初から採用して好評を博し、これを見たサン・ローラン、バーバリー、バルマンといった老舗ブランドがそれまでの路線から急遽方向転換しこれに続いて以来、そのフォロワーは今日でもなお増え続けている。アイコニックなシャネル「No.5」のラベルに印字されたあの力強くも抑制の効いたタイポグラフィは、マーク・ジェイコブス、ルイ・ヴィトン、トム・フォード、メゾン・マルジェラ、ジバンシーといったファッションブランドばかりでなく、テオ・カバネル、バイレード、マリー・ジャンヌなどの香水専門ブランドからも多く模倣された。シャネルから始まったこの系統のグラフィックデザインにおいては、真っ白な下地をバックに黒の大文字がその背景の中央に無造作に配置されるという構図となっている。このようなややドライな印象さえ与えるグラフィック上の簡素さは、商品の制作過程における正確さと、制作環境下の清潔さ、あるいは技術的な精度といった、まさにこれらのブランドが標榜するイメージを無言のうちに誇示しているかのようだ。そしてこのイメージは、ナンバリングされた試験管がずらりと並ぶ化学ラボの美学に基づきボトルデザインをする、ル・ラボが広告的なアイデンティティとして掲げてきたコンセプトとも見事に一致するものだった。
このような両極端が存在するなかで、例えばイソップやリナーリなどは中庸な道を歩んできたブランドであると言えるだろう。これらのブランドのタイポグラフィにおいては、字体はサンセリフで構造上のシンプルさを保ちつつ、古典派の特徴でもある大文字と小文字のコントラストは強調されている。つまりここでは両者の持つ特性が組み合わされているのだ。こうした中庸的なスタイルは実は1961年にはグラフィックデザイナーのカッサンドル(1901-1968)によってすでに試みられていた。イヴ・サン・ローランのブランドロゴとモノグラムに使われている3つのイニシャルが組み合わされたあの有名なデザインも彼の手によるものだが、この字体を見てみるとやはり先の2つの特徴が有機的に折衷されている様が確認される。またこのカッサンドルは有名なデザインフォント「ペニョー」(1937)の作者としても知れらている。ただしこちらに関してはアールデコ風な影響がより色濃く現れたものとなっており、ビュルダンのグラフィックデザインに使われている他、均整の取れた美女が琴を奏でているパッケージデザインが印象的な、パルファン・ゴーデのボトルの上にも可愛らしい丸みをおびたこの字体の特徴を認めることができる。またデザイナー・イラストレーターのポール・イリブ(1883-1935)が、まだジャンヌ・ランバンだった時代にエンブレムをデザインした「アルページュ」に採用されたフォントとしてもよく知られていることだろう。
ここまで見てきたことからも明らかなように、こうした視覚的コードの創出には常にファッション業界がその主導権を握ってきたため、香水業界に固有のグラフィックデザインや独自の視覚的言語を獲得することに難儀しているという印象は否めない。ボトルデザインに関してはその造形や素材の両面において常に独創的なものが登場し続けている一方で、そのボトルに付随するタイポグラフィやグラフィックデザインにおいてはすでに確立されたごく少数のモデルにいまだ依存し続けているというのが現状であろう。
こうした視覚的コードの創出には常にファッション業界が主導権を握ってきたため、香水業界に固有のグラフィックデザインや独自の視覚的言語を獲得することに難儀しているという印象は否めない。
内容と形式
こうした現状はもはや決して避けられない運命のごときものなのだろうか?それとも香水のグラフィックデザインは既存のスタイルに従わずとも成立し得るのだろうか?だがそのようなことが可能だとして、それを試みることによって消費者たちはかえって混乱してしまうのではないか? それにそんな彼らの目からすれば、このごにおよんで今更独自性を打ち出そうなどとは、歴史あるブランドがここまで築きあげてきた威信に対する背信あるいは裏切りとも映りかねないではないか? いやそれを言ったらそもそものところ本当は、香水にはグラフィックデザイン的要素なんて必要ないのではないか?
などといった疑問がふつふつとわきあがってくるが、この最後の疑問に関しては複数の関係者たちが、そのようなことは決してない、と答えている。そのひとりがフレデリック・マルだ。ニューヨークのアートディレクター、パトリック・リーとのコラボレーションを通じてその仕事を高く評価したフレデリック・マルは2011年、同氏にブランドロゴの刷新を一任した。だがそうして一新されたはずの同ブランドのパッケージデザインはひと目見ても明らかなように、イタリアの巨匠的デザイナー、マッシモ・ヴィネッリ(1931-2014)による前衛的なモダニズム美学の影響が強く認められるものに仕上がっていた。すなわち、黒、白、そして鮮やかな赤色という激しい3色のコントラストが効果的に誇張され、字体には一貫してサンセリフ体が採用されている。こうしたヴィネッリの特徴こそ踏襲されてはいるものの、タイポグラフィの処理のしかたに関してはいささか問題があると言わざるを得ず、これをヴィネッリ本人が目にしていたとしたらきっと眉をひそめていたことであろう。まずラベルの中央には香水の名前が印字されているのだが(「ゼラニウム・プール・ムッシュー」「アン・パッサン」など)、こちらが「ヘルベチカ」で組まれているのに対し、その上部に配されている調香師名(ドミニク・ロピオン、オリヴィア・ジャコベッティなど)のほうには「エイリアル」が使われている。この書体は「ヘルベチカ」の代用書体として開発されたもので、1990年代始めにマイクロソフト社のソフトウェアに採用されたことで世界じゅうに広まった、言わば質の低い模造品にすぎない。いずれにせよこれらのタイポグラフィの使い分けには首尾一貫した統一性が見られるわけでもなく、かといって対照的なコントラストが認められるわけでもなく、どっちつかずの中途半端な印象を与えてしまっている。くわえて堂々とオフィス用フォントが使われているなど、仮に一般ユーザーがオフィス用ソフトでデザインしているならいざ知らず、このような名声あるブランドのグラフィックデザインにこうした細部への処理の甘さが見られようとは、いささか驚きを禁じ得ない。何よりも、このフレデリック・マルというブランドの独自の立ち位置やそのこだわりの姿勢は、市場に流通している香水だけではなくその香水と同じくらい完璧に作りこまれたビジュアル表現によっても反映されるべきなのである、ということはもう少し配慮されてもよかったのではないか。
残念なことに、こうした現象は香水業界において(というよりかはラグジュアリー産業全体で見ても)さほど珍しいものではない。金属加工が施された外箱やレイドペーパー(凹凸のある縞模様が施された紙)の使用、あるいはエンボス加工やハンマー仕上げ、マット加工、ツヤあり加工などなど、そのような人目を引く真新しい素材や高価な仕上げ技術の導入があたかも外観の品質と洗練さを保証するものであるかのように盛んに誇示されているのを確認することができるなかで、それらは人目を引くという点では確かに即効性は見こめるかもしれないが、その効果はと言えばあくまでも一時的で表層的なものにすぎぬであろう。そうした皮相浅薄にかまけているばかりで、グラフィックデザイン(エンブレム、モノグラム、タイポグラフィの構成など)という、本来より基本的かつ本質的な部分への投資がおろそかになってしまっているというのが現状ではあるまいか。何せよあのセルジュ・ルタンスでさえ、(「アラビ」「フルール・ドランジェ」などといった)香水ラベルのタイポグラフィを組むのに本物のイタリック体フォントを使わずに、なぜか本来ローマン体しか存在しない「カスロン・オープン・フェイス」書体を無理矢理右に傾けてイタリック体風にしているという理解しがたい奇行におよんでいる始末なのだから。
だがそのような手に負えない状況においても、エルメスの「H24」でヨルゴ・トルーパスが見せたデザインや、スウェーデンのブランド、バイレードのキービジュアルなど、秀でた例は存在する。なかでも同ブランドの「エム/エムインク(M/Mink)」は創業者のベン・ゴーラムと、後にブランドのアートディレクターを務めることにもなるフランスのグラフィックアートユニット「エム/エム(パリス)」とのコラボレーションから生まれた作品となっている。今挙げたふたつの例においては、そこで使用されている記号デザインとブランドや商品が伝えようとしている価値観とのあいだにあるはずの関連性が少し一筋縄では理解できないような部分こそ認められるものの(つまり、このグラフィックでなければならなかった必然性はどこにあるのだろうか?他のデザインではいけなかったのか?ということに関して、そこにはいささか疑問の余地が残されているようにも感じられるのだ)、デザインのクオリティそれ自体は紛うことなき本物であることにちがいはなく、それだけでも高く評価されるに値するであろう。
今後の展望やいかに
さてここまで駆け足で見てきたわけだが、ここまでの内容から香水とグラフィックデザインとの関係性についていくつかの結論を導き出すとともに、その関係性が今後どのように変わっていくのか、あるいはどのように変わっていくべきなのか、ということに関してもいくつかの仮説を立てることができると思う。本稿の流れを振り返りながら以下にまとめてみよう。
まず第一に、今一度強調しておきたいのだが、香りというものが直接目には見えぬものである以上、香水という形式を消費者にとって触知可能で理解しやすいものとするために、そしてそうすることで彼らのうちに香水への興味と好奇心とを惹起するために、そのインターフェイスとしてグラフィックデザインというツールおよびその方法論に助力を請うということは完全に理にかなったものであるということだ(したがって必然的に、そこには不可視から可視への「翻訳」という問題が関わってくることになる)。香水以外のラグジュアリー産業においても例外なく言えることであろうが、商品やブランドのビジュアルイメージを可能な限り緻密に推敲し、それをしっかりとした形で構築しなければ(ボトルのなかに閉じこめられたわずか数十ミリリットルの香りつきの液体という)商品それ自体の価値を超えていくような大きな付加価値は望めないだろう。そしてこれもすでに見たように、このデザインという試みにおいては「同一性」(すなわち、私は香水です、という言明)および「独自性」(私は他とはちがう香水です、という差別化)、そして「ステータス」(私は特別な商品なのです、というアピール)といった要素を同時的に展開しかつこれらを有機的に統合することが求められるということだった。
これらのうち、まずは「同一性(アイデンティティ)」についてだが、こちらも先述の通り、多くの香水ブランドが十八世紀の様式美から受け継がれた意匠をブランドアイデンティティとして採用している背景には実は確たる理由があったということ、すなわちそれらは単なる偶然的でいたずらな模倣というわけでは決してなく、香水産業の基礎が築かれたこの十八世紀という時代のなかに、現代のブランドが歴史的なつながりと象徴としての可能性を見出していたということが関係していた。このような論理的かつ有機的な関連性が認められるからこそ、例えばアントワネット・ポワソンのようなもとはロココ様式的なインテリア装飾を専業に出発したメゾンが、その確かな美的・物語的センスをもって後に香水のデザインにも乗り出し事業の幅を広げるようになったという経緯が決して不自然な流れではなかったのだということも、難なく説明できるというものだろう。
いっぽうで「独自性」の問題に関しては、競争の激しいこの香水産業という業界にあってはより複雑で変化しやすい要素となっている。香水のラベルやブランドロゴのデザインにはファッション業界に由来するグラフィックデザインおよびタイポグラフィ表現が非常に強力な影響の影を落としており、そのあまりに影響力の強さのあまり多くのブランドは互いに似通ったビジュアルデザインになってしまい、結果的にそのことが真に差別化されたデザインがこの業界に誕生することを阻害する要因となってしまったのだった。こうした状況下にあっては、造形的創造力に優れたグラフィックデザイナーたちがいくら知的戦略を練ろうとも、それらが存分な形で発揮されることはないであろう。各香水ブランドはそのブランドに固有のビジョンを明確な形で打ち出すべきであろう。かつそのビジョンは独自の視覚デザインによって表現されるべきであろう。にもかかわらず、今をもってしてもなお画一的で模倣的なデザインばかりが散見されるのが現状である。そしてそれらの多くを手がけている高級ブランド専門の「ブランディング」エージェンシーによる仕事ぶりときたら、ただただ決まりきった手法を繰り返しているだけにすぎないのである。
そもそものところ本来デザインというものは特定のコミュニケーション上の課題や個別的な状況に介入し解決するための、言わばオーダーメイドな回答を導き出すためのプロセスであるはずであって、その点「すでに実績のあるフォーマット」ばかりに頼りきりになることは、まさにこのデザインの美学と本質に反するものなのではあるまいか。
最後となるが、他のあらゆるラグジュアリー商品と同様に、香水もまた今後ますます世間に対しアピールし訴えかける求心力としてのグラフィック表現をなおざりにするわけにはいかなくなるだろう。調香に際し発揮される細やかな気配りと創意は、その香水がパッケージングされるビジュアル表現にも適用されてしかるべきだろう。そしてその役目を引き受け実現できるのは、まさにこの「器とその中身」という二分法のあいだを理性的に、かつ自在に行き来できるグラフィックデザイナーたちだけなのである。どの香水ブランドも威信と名声を渇望していることであろうが、それを手に入れられるか否かは彼らが自身のブランディングとイメージ戦略に注ぐことのできる熱量次第だと言っても過言ではあるまい。それに見合う努力と犠牲を払うことによって初めて、彼ら自身が誇ってやまない厳格さと品質は、私たちの目にもはっきりと見える形に立ち現れるのだから。