MIND&BODY

By Delphine de Swardt

清らかな魂と汚れた肉体

デルフィーヌ・ド・スワール

 香りとは、神に捧げることにより聖なるものとの交信を行うための手段であるとともに、陶酔の源泉であり、ときに進むべき道を指し示す象徴としての役割をも担うものであった。 さまざまな宗教がこの香りに対し重要な地位を与えているということが、聖典における記述や儀式の実践のなかに見て取ることができる。

香りと神との共通点は、どちらも目には見えないことだ。実体を持った触知可能な物質ではないものの、奇妙な存在感があり、そして強い説得力があるのだ。聖典や礼拝においては香りには重要な地位が与えられている。そしてその地位が正当なものであるということは単に比喩的な次元にとどまるものではないのである。肉体とは腐敗するものであり、そしてひとたび腐敗が始まればそのまま腐敗し続けるが、その腐敗する肉体と関連づけられるものでありながら、香り自体は変質することはない。そしてその匂いによって香りは聖なる魂と悪しき魂とを峻別するのである。

旧約聖書によれば、創造されたばかりの天と地は闇のなかに沈んでいたという。そこでは神の存在は空気を通して感知され(「神は風となり水の上に吹いていた」)、やがてその空気は吐息となる。すなわち神は地面の土くれから人の形を作り、それに命を与えるために、同じく『創世記』から引くが「神はその鼻孔に生命の息吹きを吹きこみ、そのときから人は生ける者となった」のである。そう考えると、ミシェル・トゥルニエが『夜ふかしのコント』(ガリマール・ジュネス社、1989年出版)のなかで最初の人アダムを「本質的に嗅覚的な存在」と形容したというのも、さほど突飛な例えではなかったのかもしれない。とはいえエデンの園から追放されたこの原初の人間は決して良い匂いを発してはいなかっただろうが。

ギリシャ神話における犠牲の儀式

このような「人間起源論」の伴となるものとして香りをとらえていたのは主にギリシャであった。ブリジット・ムニエが近著『西欧における香りと匂い、天使を作るものは獣をも作る』(フェラン社、2017年出版)のなかでそのことを指摘している。「プロメテウスの犠牲の神話は人間の生活様式を創造したものであるとともに、ギリシャにおいて香料および香りの担う役割を明確に定めたものであった」とそうムニエは記しているが、上記に加え、この神話は西欧文明全体に影響を与えていると言えるだろう。神々と人間に食物を分配する任を負っていたプロメテウスは、人間用の肉を牛の胃のなかに入れて神々の目から隠し、一方でそのオリュンポスの神々に対しては牛の骨を美味しそうな脂肪で覆いこれを与えた。「この神話こそがギリシャにおける犠牲の儀式を決定づけたと言えよう。すなわち人間は祭壇の上で、かぐわしい香りに覆われた動物を屠殺し、ついで火にかけ焼く。その香りが煙となって天に向かって立ちのぼり、それを神々が食すのである。人間は肉食ゆえ自らが殺したものを食し、その死した血肉を食した後はそれを消化する必要がある。[...]それに対し神々が食するのは腐敗しない物質、すなわち香りのついた煙であるわけなので、彼らは老化や死といったものとは無縁であり、生理学上の生命に運命づけられた劣化という現象からは保護されている。香りと悪臭とが神々と人間とを分け隔てているのである」。

 ブリジット・ムニエはさらに続ける。「香りとは、どこまでも非物質的なものである。その重さを測ることは不可能で、かつ神々が食るすものであるという意味において。何よりもそれは神々と人間とのあいだの存在論的区別を示す道具であり、そして後にそれは社会的区分を示すものとしても立ち現れることになる。人間が臭う存在として定義されるものだとすれば、反対に神からは良い匂いがするのだろう。先の神話的エピソードにおいては牛の内臓が象徴していたように、あらゆるものが消化のプロセスを中心に回っている。人間は何か物を食べるたびに消化、発酵、腐敗というプロセスを体内で繰り返すわけで、それなしには身体は存続し得ないという意味においてこのプロセス自体が身体を支配下に置き従属させていると言え、そしてその反復が繰り返されるたびに身体の有限性が際立つことになる。われわれが何か物を食べるとき、さらに言えば何か傷みやすいものを食べるときに、われわれの不完全さは立ちどころに露見することになるだろう。人間は神を、自分たちに欠けているものを備えた全能なるものとして案出する必要があったのである」。ここで描かれたギリシャ的モデルは、実体を持ち腐敗しやすものとしての身体と、実体を持たない香りとの二分法を長きにわたって定着させた。

神の汗

このような二分法はそれより昔、古代エジプトから早くも存在していた。神々への供物は夜明けとともに祭壇で燃やされ、香りは死者が不滅なる存在へと移行するための儀式に深く関わってくるものだった。防腐処理を施された死者は「香り高き者」となり、神々と並ぶ品位を持つものと見なされた。葬儀における祈りでは、死者が腐敗に抗う手段としての香りを求める文言が、何度も繰り返し口にされる。すなわち、「我にミルラを捧げよ。我のために香を焚き続けよ。[...]我は永遠に我が身を保ち続けることだろう。なぜなら死してもなお我は腐らなかった。朽ち果てなかった。虫に変ずることもなかった。[...]そうだ、我が身は永遠なり。決して滅びることはないだろう」。これは古代エジプトにおける『死者の書』をポール・バルゲが翻訳したものであるが、ムニエの著作にも同じ箇所が引用されている。さらにムニエは次のように記す。「肉体的にも道徳的にも腐敗から解放され、そして気の遠くなるほど何度も嫌な思いをした排泄物からも解放されたオシリス・N[ミイラ化された死者を指し、Nには故人の名前が入る]はしかるべく芳香をまとい、香り高き神々の前へと昇っていく。ほっと息をつくまもなく、魂そのものが香りとなり、かくして裁きを受ける準備は整うのである」。

奇跡とは往々にして、香りとの接触が契機となって起こるものである。なぜなら香りは腐敗しない成分で構成されているばかりではなく、神としての性質を持っているからである。その意味において、あらゆる香りは神々の身体から由来していると言える。「乳香や香油といったあらゆる芳香物は、『神の汗』として名指すことができる」とアニク・ルゲレーは『香り、その起源から現代まで』(オディール・ジャコブ社、2005年刊)のなかに記している。したがって神々を再現した彫像に塗油をするという儀式には、神々から出てきたものをその出所のもとへとお返しする、という意味がこめられているのである。これに関してルゲレー自身も、「ミルラと香がハトホル神とホルス神に捧げれる。それらは元は、彼らの四肢から来たとされる」と記している。 同じような比喩的な置き換えはイスラムの伝統のなかにも見出すことができる。ムハンマドの汗はバラの香りがしたとされ、さらにはその汗からバラの花が生まれたと伝えられている。十九世紀初頭、地理学者コンラッド・マルテ=ブランは収集した信者の言葉を引用し次のように記した、「我が身が天へと昇っていくとき、とそう預言者は言ったのだ。我が汗が地面にしたたり落ちるのを見た。するとそこからバラの花が生えてきたのである。しかるに我が痕跡を知らんと望む者は、その花の香りをかぐがよい」。自身の肉体ばかりでなく周囲の環境をも包みこむ、何とも美しい香りの衣がここでは賛美されている。預言者ムハンマドはメッカで生まれたわけであるが、そのメッカは香料の貿易の中心地として栄え、ムハンマド自身も早くから香りに親しんでいたと考えられる。そのためムハンマドと香りをめぐるこのような逸話はイスラム教のなかでも特によく知られたものとなっている。

教えを説く力

さて次はキリスト教に関してだが、キリストの象徴から香りが排除されることはなかったものの、キリスト教において何よりも香りは、謎めいた神秘性を体現するものであった。乳香の香りは聖人たちの身体の匂いにそっくり対応し、「禁欲と断食に身を奉じた聖人たちの肉体は腐敗しない体となり、すべてにおいて律されたその匂いは殉死者キリストと同じ匂いであったとされた」とアニク・ルゲレーは強調している。また次のようなキリスト教の語彙自体に香りに関するものが多く見られるということにも注目すべきであろう。「『メシア(Messie)』とはヘブライ語で『油を注がれた者(oint)』を意味する語である。こうした意味を考慮に入れれば、ギリシャ語でキリストを意味する『クリストス(Christos)』と、同じくギリシャ語の『クリスマ(Chrisma)』とのあいだにある意味上のつながりもより明確になってくる。すなわち『クリストス』は『塗料を塗られた者』あるいは『油を注がれた者』という意味であり、一方で『クリスマ』は『油を塗ることに奉仕するもの全般』を指す」と、ブリジット・ムニエはまた別の著作『時代を超えた香り、オリュンポスの神々からサイバー・パルファムまで』(フェラン社、2003年刊)のなかで述べている。

キリストの身体から立ちのぼる香りはひとつの比喩的イメージとして、キリスト自身が述べた言葉、すなわちキリストの教え、福音となぞらえられる。そしてその様子はキリスト教文学のなかに描かれることになる。「キリストの体はバルサムの香りで満たされており、その様はまるでひとつの倉庫のようであった。キリストはその貯蔵庫の扉が開かれバルサムの香りが外へと流れ出ることを望んだ。その香りによって悪臭を放つ者が癒えるようにと」、中世イタリアの宗教学者・年代記作家のヤコブス・デ・ヴィラギネは『四旬節の金言集』のなかにそう記し、ルゲレーもまた同じ箇所を引いている。

このようなメタファーを確認しておくことで、香りとキリストの教えがその方法や順序に関して、構造的に類似しているということが明らかになる。すなわち、キリストのメッセージは良い香りが周囲に拡散するかのごとく広がり、伝播するのである。その香りは人という存在を満たし、その内部に浸透し、知性的に理解される前に感覚を、心を喜ばせるのである。ここでは教えを説く力は香りと同じレベルで作用していると言えよう。つまり両者は論理的な理性によってではなく、身体的、感覚的に感知され、把握されるのである。

こうした匂いにまつわる比喩を検討することは、善と悪、神聖と邪悪といった分離を明確にするうえでも役に立つ。このような二項対立の関係は地中海地域における清潔・不潔という嗅覚的区分の反映であるわけだが、ブリジット・ムニエが以下のようにまとめているように、一般的には、「それぞれの文明、すなわちギリシャ、ローマ、エジプト、ヘブライ、キリスト教、イスラム教文明においては、それが悪臭であるか良い香りであるかといった問題に対して示される感性は、いずれも同じようなものである。つまりそれが動物的なものか魂に関わるものかといったことで分けようとするのである。いくつかの文明においては香料の世俗的使用は断罪に値するものとされるが、他のいくつかの文明においては許容される。だがいずれにせよ、宗教的な献身に捧げられた香りが道徳的純粋さに結びついているということはすべての文明において変わりはない」。

例えばイスラム教においては、「良い匂いと悪い匂いは、『ハディース』やその他の厳格な聖典において宗教的なメタファーとして登場する。『姦淫は臭う』ものであるが、一方『断食をする者はアッラーの目にはムスクの香りよりも純粋なものとして見えており、したがってその者の息はムスクよりも純粋で香り高い」、そのようにフランソワーズ・オベール=サルナーヴは論文集『匂いと香り』(ダニエル・ミュッセ、クロディーヌ・ファーブル=ヴァサース監修、フランス歴史科学研究委員会出版局、1999年刊)のなかで紹介している。

キリスト教的道徳を説く教育的な書物のなかにも同じような例が見られる。なかでも顕著なのはカトリックが反宗教改革を行なっていた時期に書かれたものだ。ロベール・ムシュンブレの言によれば、当時「嗅覚は信者たちの前に示される2つの道の対立関係を強調するために引き合いに出された。すなわち一方では、良い香りは甘美なる楽園の一部をなすものとして生者に神の存在を告げ知らせ、また信仰に自らの生を捧げた聖人は死後『聖なる匂い』をその遺体から発するとされる。そして他方では、悪臭は悪魔と分かちがたく結びついている。すなわちあの瘴気に満ちた地獄の主。救いがたいほど鼻持ちならぬ、劫罰に処せられるべき者」(『匂いの文明化』レ・ベル・レットル社、2017年刊)。

上記のような条件においては、良い匂いは道徳的なものを検知するツールとして、あるいはそれが良き行いであると示す指標、善良な振る舞いの証拠として機能する。「聖ヨハネ・クリゾストモは悔悛と祈りの際に生じる甘き香りと、罪人の体から漂う『黒く嫌な匂いのする煙』とをはっきりと対比させていた。かくしてここに匂いの新たな象徴体系が打ち立てられたのである」とアニク・ルゲレーは『匂いの諸力』(オディール・ジャコブ社、2002年刊)のなかで分析している。地上においても匂いでカーストの階層が分断されたように、神の「鼻」によっても善きものと悪しきものとが峻別される。「悪魔からするのは、道徳的に見ても邪悪なものを連想させる硫黄の匂いである。それに対し聖テレザからはバラの香りがした」、そのようにしてこの二元論的パースペクティブを要約するのは『嗅覚の哲学』(フランス大学出版局、2010年刊)の著者、シャンタル・ジャケだ。

キリストのメッセージは良い香りが周囲に拡散するかのごとく、広がり、伝播するのである。その香りは人という存在を満たし、その内部に浸透し、知性的に理解される前に感覚を、心を喜ばせるのである。

聖なる匂い

キリストが水を葡萄酒に変えたという逸話はお決まりの奇跡として知られているが、自らのなした善行により後光を背にする聖人たちは、空気を香りに変える。そのとき聖人は目には見えない言語を話しているのであって、そのような言わば神の言語を操ることによって聖人は神との直接的な関係を保持するとともに、かぐわしい魂の香りをそこへ加えることで自らの存在感をいや増すのである。その例として、先ほども取り上げた『香り、その起源から現代まで』のなかでアニク・ルゲレーは『黄金伝説』に見られるものをいくつか紹介している。「聖クリサントが不潔な牢獄に投げこまれると、そこに充満していたむせかえるような悪臭がたちまちのうちに心地よい香りに変わってしまった。さらに聖アンブロジウスはその徳行から『神の琥珀(アンバー)』、そして『どのような場所にいてもイエス・キリストの良き香りのする者』と称された。こうした現象は往々にして死後もなお効果が引き続き、もしくは死後になってから発現し、遺体の腐敗に関する文脈のなかで語られた。聖ペテロの遺体は磔刑から1年以上たってから掘り起こされたが、『清潔で完全な状態で、悪臭ひとつしなかった』」。つまり死後もその良い香りが保たれていたということである。かつて身体であったもの、地上においてその身を包んでいた皮膜はまさに故人が汚れひとつない無垢な魂の持ち主であったがゆえ、腐敗やその前兆となる匂いによっていささかたりとも損なわれなかった。

一方生前においては、聖人は単にひとつの匂いといったものにとどまらない、それ以上のものを香らせていた。ここでひとつの匂い以上の、というのは、それが複数の香りを組み合わせて作られたものであり、まさに聖人の高い地位にふさわしい高度な洗練さを持ったものであったということだ。実際アニク・ルゲレーも、「聖人伝に関する文献を見てみると、聖なる匂いが単一の香りではなく異なる複数の香りから構成されていたものだったということが分かってくる」と『匂いの諸力』のなかに書いている。「スヒーダムの聖リドヴィナの匂いは7つの香りから構成されていた。すなわちシナモン、切り花、ショウガ、クロブ、ユリ、バラ、スミレ、である。それに対しピオ神父の香りは6つ、アビラの聖テレサのそれは4つ、聖トレヴェールは3つ、聖バシリッサは2つという香りの組み合わせによってそれぞれの聖なる匂いが表現された。これらの構成要素のひとつひとつは、世俗的な香水とまったく同じように本物のブーケを形成していた」。現世における快楽を徹底して拒否するなど厳格な規範に律された聖人の身体からは神のエキスが生成される。それは腐敗臭、獣臭といった動物的な匂いからはほど遠く、フローラルなそれと言ったほうが表現としては適切であろう。

そのような禁欲によって裏打ちされた自然なままの匂いが求められるなかで、化粧品として使われる香り、すなわち本性を覆い隠そうという虚栄心と自惚れによってつけられる香りは、不埒なもの、さらには背信の痕跡を示すものとして見なされた。カトリック教会における教会博士のひとり、アルフォンソ・デ・リゴリ司教は十八世紀、以下のように嗅覚的な苦行と抑制を強く奨励した。アニク・ルゲレーがその言を引用する。「琥珀であろうがその他の香の調合物であろうが、自身の周りを香で満たそうなどという虚栄心を持ってはならぬ。香りの水もこれと同様である。このようなものは世俗の衆にさえ勧められるべきものではない」。かくして見栄や気取りといったものは断罪される。そしてこの教えを守るためには悪臭に苦しむ人々とすすんでいっしょにいることすら求められる。

礼拝中、集まった者たちは充満する煙に圧倒されるあまりトランス状態一歩手前まで引きこまれ、そこから内なる高揚が始まる。

それぞれの儀式には固有の形がある

したがって香りは人に対してではなく儀式のなかで用いられるものとして制限されていたのである。しかしその儀式にさえ、香りの使用がためらわれる時代がキリスト教初期にはあったという。偶像崇拝と混同されることを恐れたためであろう、とアニク・ルゲレーは見ている。「乳香に関しては古くから典礼に使用されてはいたものの、オリーブオイル、ガアラド地域のモミの木から取れる樹脂、あるいはスティラックスの木から取れるバルサムのなどから作られる聖なる香油が聖別や塗油の儀式に取り入れられるようになったのは、ようやく五世紀、六世紀に入ってからにすぎなかったのである」。こうした実践の起源は旧約聖書に見られる。『出エジプト記』ではモーセが神から香のレシピを受け取る様子が描かれる。すなわち聖なる香油(ミルラ、クスノキ、葦、カッシア、オリーブオイル)、そして聖なる香(スティラックス、オニキス、芳香植物、純粋な乳香)の調合法が、私的な使用、身体への使用が禁じられたうえで指示される。次いで兄アロンに任された義務として、供物を焼くこととはまた別に、毎朝欠かさずに香を焚くという任が指示される。

祭祀に用いられる香料の種類は以下にブリジット・ムニエが詳述するように厳密に定められており、自由な裁量を効かせる幅はほとんどなかった。「福音書は香料の用途を神に捧げるためのものとして限定しているが、その香料の種類もまた定められており、イエスが誕生の際に東方の三博士から金とともに捧げられたオリバヌム、ミルラ、そしてそのイエスの死を予知していたベタニアのマリアによって最後の塗油として捧げられた同じくミルラ、アロエ、ナードといったものに限られている」。

とはいえそれぞれの宗教儀式により使われる香りの形が異なることもまた事実であった。これまで見てきたようにキリスト教の主な特徴は香にあると言えようが、宗派によってはその香のなかに独自のアレンジも加わった。ベニン共和国に創立されその後サハラ以南のアフリカに広まった天のキリスト教会では、浄化作用を持つものとしてオーデコロンが重用された。このことに関して「場所も人も浄化できる乳香は『神と天使を喜ばせ悪霊を追いはらう香りを持ち』、粉末の形で用いれば『水を神聖なものにする』こともできるとされた」とリュック・ペケは共著『香りの世界史』(マリー=クリスティーヌ・グラース監修、ソモジ社、2007年刊)のなかに記している。しかしその天のキリスト教会信者には「香のなかの香、モンサンミッシェルのオーデコロンが儀式に際して振りかけられる。それ自体が聖人の名であるモンサンミッシェルの文字の下には『偉大なる伝統』『永遠の爽やかさ』と書かれている」。「爽やかさ」というのはここでは神聖さと健やかさというふたつの価値もあわせ持つ。この三位一体が約束されているということは大きな重要性を持つ。

一方ムスリムの伝統においては乳香よりもムスクのほうに重きが置かれる。「ムスクは大変希少で高価な素材だが、ときにムスクのモルタルにも混ぜ合わせられている」とアニク・ルゲレーは紹介している。「そのため1日のなかで最も暑い時間帯になると壁から、信者たちに天国を垣間見させるような甘美なる匂いが漂ってくるのである」。すなわち物質までもが信仰の務めを果たすということだ。

目覚めへの道

煙として立ちのぼるかぐわしい香り、天に向かい上昇するその香気を注意深く追う必要がある。「キリスト教において香りの世俗的使用は非難されていたわけだが、聖なるものとしての香りの機能はそこでさらなる拡張を見たのだった」とブリジット・ムニエは述べる。「『香(encens)』という語はやがてすべての香りを包括する総称となっていった。そして立ちのぼる煙は信者たちの祈りが可視化したものとして感じられた」。事実「香」は、その語源であるラテン語の«incensum»が「神々に捧げられる薪」を意味するように、「燃やす(inendier)」ことのできる様々な物質を指す言葉である(コラム「香、あるいは神聖なる匂い」も参照のこと)。蒸気が空へと広がっていくと、その場に集まった全員が香りとなったこの存在、目には見えることのない神の本質を分かち合う。こうして信者たちは、シャンタル・ジャケの表現を借りれば「同じ感覚の共同体のなかに」浸り、「まるでひとつに融合するかのように共鳴する」よう誘われるのだった。この渦巻く香りを通じて、信者たちは自分たちと神とのあいだに橋をかけるのだ。今度はブリジット・ムニエによる表現にならうとすれば、それは両者のあいだに「ヤコブの梯子」をかけることであり、「凧」を飛ばすことである。燃やされる香の量は各チャペルによって異なる。ブリジット・ムニエがエリザベート・ド・フェイドー著『香り、その歴史・アンソロジー・辞典』(ロベール・ラフォン社、2011年刊)を引用しながら強調するところによれば、パリの正教会ではカトリック教会の2倍の量の香が使用されている。礼拝中、集まった者たちは充満する煙に圧倒されるあまりトランス状態一歩手前まで引きこまれ、そこから内なる高揚が始まる。モンテーニュは早くからそのことに気づいており、『エセー』のなかにも「香やその他の香りが教会で使われ始めた歴史は実に古く、またあらゆる民族や宗教に広まり、その点においてわれわれを喜ばせ、目覚めさせ、純化させ、そして瞑想するのに適した状態までわれわれを引き上げてくれる」。

むろんこのような目覚めへの道として香りが使われることは、主要な一神教の専売特許というわけではない。インドではサンダルウッドが多くの儀式で使用される。火葬時に燃やされたり、救済の塗油の際に用いられる。乳香やドゥーパ(dhupa:ヒンディー語で「燻すお香」の意)はすでにヴェーダの時代から祭祀のなかで重用されていた。サンダルウッドに関しては、今日でもなお重要な役割を担っている。「それが塗られた身体は[...]保護され、きれいにされ、浄化され、そして立ちのぼる甘い香りは信者と宇宙とをつなげる架け橋となり、香りが作り出すその雰囲気によって信者は空間と一体のものとなる」、『香りの世界史』のもうひとりの著者エリザベート・ノドゥはサンダルウッドをそのように定義する。ヒンドゥー教の実践者にとって、礼拝の前に身体を清めることは香油を多量に使用することを含意する。そしてその後は、「神との接触を開始するために、儀式の火のなかにいくつかの植物や根をくべるのである」。 仏教においても目覚めを促進するためのものとして、乳香やサンダルウッドといった香りの媒介に重要性が置かれている。腐敗しない香木に彫られた仏像やサンダルウッドを絶やすことなく焚き続ける香炉のように、香りは天上と地上の会話を、すなわち嗅覚を通じた贈与と返礼のやり取りを支えるものとなる。「いくつかの経典は香のなかに仏陀の言葉が刻まれていると教えている。[...]反対に、香を焚きながら願いをこめると、立ちのぼる煙が天まで届き、仏陀がその願いを聞き届けるという。呼吸とは聞くことであり、コミュニケーションのひとつの形なのである」とシャンタル・ジャケは結論する。

たどるべき道、あるいはコミュニケーションの手段、捧げ、贈られるもの、何かを示す指標や証拠、そして歓喜と恍惚の源泉。このように香りはその霊的、宗教的な用途において重要な役割を果たしていると言えよう。だが一方でそれは、悪い運命を払拭する魔除けとしても機能し、そういったものを寄せつけず、人を安心させる効果をも有しているのである。

タリスマン(護符)としての香り

確かに香りは身体の病気や災いに対する治療薬の役目を果たすが(ウジェニー・ブリオによるアニク・ルゲレーへのインタビューも参照されたい)、悪霊を退散させることに関しても効果てき面なのである。特にトゥアレグ族では、「ゴム樹脂ベデリウム(学名:バルサモデンドロン・アフリカヌス)や黒い香から出る煙は悪い気から守り、家族に繁栄をもたらすとされる。儀式の際にはテントの中央に配置された少量の香が焚かれる」、そう解説するのはこちらも『香りの世界史』の共著者のひとり、ドロテ・ギレームだ。

フランソワーズ・オーベル=サルヌーヴも認めているように、このような香の使用法はアラブ・イスラム文化圏ではごく一般的に見られるもののようである。「普段の日常生活にくわえ、誕生、割礼、婚礼、そうした人生の重要な瞬間に訪れるとされる悪しき影響から人を守る加護の効果を、香は強力に発揮する」。嫉妬や邪悪な精霊、あるいは悪意のまなざしといったものに対抗するために、それぞれの祭祀や儀式には香を振りまくという動作、塗油や香を燻すといった動作が組みこまれ、そしてその動作はそこで使われる芳香物が持つ「浄化し、加護する力」によってさらなる強化を得るのである。

西欧文明においてもこのように香を、悪霊または悪意ある考えから遮蔽するためのある種の防護膜として機能させるような用法は見られるものの、その使用はまだ人生における重要な転換点(思春期への以降や結婚など)に限られているようである。さてここまで見てきたことをまとめるとすれば、香りというものはさまざまな方向へ向かって作用しているものであると言えるだろう。すなわち天上の神との交信を通して垂直方向に、そして人間同士を結びつけ、ときに分離させる水平方向へと、香りはどこまでも果てしなく立ちのぼり漂い続ける。

「香、あるいは神聖なる匂い」

 宗教的な文脈においてひとつの物質がこれほどまで普遍的に、かつ3000年あまりにわたって絶えることなく使われ続けてきた例が他にあっただろうか。「香(encens: 字義的には「燃えるもの」を意味する)」と「香り(parfum: 煙となって漂うもの)」には多くの共通点がある。ほぼ同義語の関係にあると言える両者であるが、歴史的に見て「香り」のほうは燃やされる樹脂、焼かれる芳香植物を指している。「香り」という言葉がそうであるように「香」という語もまたごく一般的な意味を持つと同時にかなり限定された用途をあわせ持つものであるが、この「香」に関しては、英語で言うところの«frankincense»すなわち「真正なる香」と呼ばれる物質を含意している。換言すればこれは「オリバヌム」を指すものである(oliban:「乳香」あるいは「フランク香」とも訳される。オリバヌムの供給源である「ボスウェリア・カルテリイ」という木は「白い涙を流す」と表現され、実際その「白」を意味するセム語の«ibn»をこの語は語根として持っている)。

このオリバヌムあるいは乳香は、アラビア半島からアフリカの角にあたる地域、すなわちオマーン、ソマリア、エチオピア、エリトリアがその原産地となっている。収穫は12月から5月にかけて行われ、幹に切れ目を入れて涙のように流れ出る樹脂を集め、それを凝固させて(蒸留により)エッセンスを、または(アルコール抽出により)レジノイドを得るといった方法が取られる。そのエッセンスは胡椒のような、少し酸味のあるテルペン系の、マンダリンオレンジに近い香りであると言い表すことができる。一方レジノイドはよりバルサム的で鉱物的な香りの特徴を持つ。 またエッセンシャルオイルに関しては刺激性、抗真菌性、抗ウィルス性があるとされ、さらに抗炎症作用があると知られるエンセンソールとインセシル・アセテートを含有する。2008年にエルサレム大学の生物学研究チームがこのアセテートが感情の抑制に効力を発揮し、抗不安薬としての効能を持つことをマウス実験によって明らかにした。

しかし『古代の香り、考古学者から化学者まで』(シルヴァナ出版、2015年刊)の共著者のひとり、化学者のグザヴィエ・フェルナンデスによれば、香の使用が儀式のなかに浸透しているのは決して上記のような特性が理由というわけではなかった。すなわちフェルナンデスの認識では、「古代より薬品として用いられてきた香は、その乾き、熱を持つ特性ゆえ、冷たく、湿度を持つ病いをケアするために使われたのだった。そこには死も含まれたわけであるが、であるからこそ、香は防腐の儀式においても重用されたのであった」。

それにしても興味深いのは、香の原産地であるにもかかわらず、その地域で支配的な力を持つ宗教、すなわちイスラム教においてはあまり香が使われていないということだ。考古学者のストレン・ルマゲによれば『今から1000年以上前、ラクダが家畜化されて以来アラブ世界では香の取引きがかなりの発展を見せましたが、イスラム教は儀式からその香を排除し、キリスト教との差別化を図ったのでした。以来アラブ世界では、香は(アラブ語では「バフール」«bakhur»と言います。「燃やされるもの」の意味です)その浄化の効能から家庭内や魔術としての用途で、またはスーフィズムの儀式において用いられるようになったのです。なおその際は、オリバヌム、ムスク、ローズオイル、アガロウッド(ウードを指す多くの名前のなかのひとつです)の混合といった形で使われます」。

香そのものにも実にさまざまな形式、形態がある。純粋な樹脂を燃えさかる炭の上に乗せるものから、極東地域においては木粉や樹脂(オリバヌムやベンゾイン)、エッセンスで香りづけされた炭などから作られた、小さな棒状のスティックが。さらには小さな球状のものから円錐形のもの、スパイラルにいたるまで。それらは実生活で使われる目的から、商用のものとして発展したのだった。したがって香とは確かに神聖で象徴的な対象ではあるものの、同時に、国際市場において広く商取引される製品でもあると言えるだろう。


翻訳:藤原寛明

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