デザートに何を食べようか思案しているとき、嗅覚はその選択に影響を与え得るのだろうか? この疑問を検証するために、認知心理学博士のステファニー・シャンバロンが実験を行った。シャンバロンはディジョン所在の味覚・栄養学研究センター(CSGA:Centre des sciences du goût et de l'alimentation)の研究員である。実験では偽の口実を使って参加者たちを集め、一部の参加者には何もかがせず、残りの人々のもとにはフルーツやパンなどのちがった食品の香りを漂わせる。それもほとんど気づかれないくらい微量に。続いてビュッフェ会場に案内された参加者たちがランチプレートに何を盛りつけるかを観察するのだ。結果は明らかであった。どの匂いもかがなかった参加者たちに比べ「洋梨の匂いに触れた参加者たちは、低エネルギー密度のデザート(フルーツのコンポート)のほうへ」あたかも導かれるように自然な足取りで向かっていった、とステファニー・シャンバロンは報告している。一方でパン・オ・ショコラのこうばしい匂いをかいでいた参加者たちは高エネルギー密度のデザート(ワッフル)へと導かれる傾向を見せた。この結果を受けてシャンバロンは、ある特定の匂いがある特定の食品への欲求を「引き起こす」ことが可能であるとしたうえで、しかしその逆、すなわち「抑える」ことはできないということを強調している。そしてさらに「この嗅覚的な呼び水効果は肥満の人においてより顕著であった」と補足した。
肥満症。フランスではおよそ900万人がこの代謝疾患にかかっているとされる。身体のエネルギー管理の不調に原因があるとされ、過剰な脂肪組織の蓄積と、成人においては30kg/㎡超のボディマス指数(BMI)がその特徴とされる。この体格指数は体重(キログラム換算)を身長(メートル換算)の2乗で割ることで計算される。この表示を目にすると、あたかも私たちの身体が地面に広げられその面積の密度が求められているかのような錯覚にとらわれてしまう。
肥満症と嗅覚障害とのあいだに明確な相関関係があると容易には言いきることはできない。この問題について論じた科学的論文は10本ほど存在するが、そのそれぞれが互いに矛盾し合った結論を導き出している。ある研究はそのふたつに関連性は認められないとする一方で、別の研究は食べ物の匂いに対する過敏症を肥満へと結びつけている。後者は英ポーツマス大学、進化・比較心理学センターのロレンゾ・スタッフォードによる研究だが、それによるとBMIが30kg/㎡を超える人はそれ以下の人に比べチョコレートの匂いに対し敏感であり、その香りを心地良いものと感じるという。しかしながら上記10本のうち8本の論文が、肥満症患者においてはかなりの嗅覚能力の低下が見られるとしており、この説は高カロリー食によって太らされた齧歯類から得られた研究データとも一致していた。米ネブラスカ大学医学センター、ブリン・リチャードソンもまた本来鋭敏な嗅覚の能力が高BMIによって低下することを立証し、2018年にはニュージーランド、
オタゴ大学食品科学学部のメイ・ペンによってBMIが40kg/㎡を超える人々においては明らかな嗅覚能力の低下が見られると結論づけた。なおメイ・ペンは、この嗅覚能力の低下は減量手術を受け体重を減らした患者においては回復傾向が見られたと補足している。
嗅覚異常と満腹回路
では嗅覚に関する問題と肥満とのあいだに相関関係があるとすれば、それはいかなるものなのだろうか? 一部の研究者によれば、肥満は嗅覚の知覚不全の結果なのではないか、とのことであるが、「決してその逆ではないのです」とステファニー・シャンバロンは強調する。嗅覚が正常に機能していればその嗅覚を通じて、食事の質や望ましい摂取量を評価し判断するための情報が満腹回路や報酬回路へと供給される。そしてシャンバロンがメイ・ペンの別の研究を引用して言うには、嗅覚能力が通常より劣っている人においては標準体重および正常な嗅覚を有している人と比較して、同等の食事的満足感にいたるまでにより多くの量を消費する傾向があるということなのだ。
いまだ議論の分かれる仮説ではあるものの、この説は広く認知されるとともにボルドーの神経疾患研究所のセルジュ・アーメドを始めとした多くの研究者たちからの支持を得ている。関連機関のフランス国立研究センターでは研究主任の職位にあるアーメドによれば、肥満症の食行動には、甘い味や脂っこい食べ物が薬物とまったく同じように脳内における報酬と快楽をつかさどる回路、すなわちドーパミン系を刺激することとも関係している可能性があるという。これは例外なく言えることだが肥満になると脳に炎症が生じ、この炎症によって嗅粘膜や脳内の嗅覚系の神経細胞の働きが阻害される。そのプロセスとしてはまず体脂肪が増加すると体内に有害な炎症を引き起こす分子が脂肪組織から分泌され、その結果、関節、肝臓、腸、そして脳に炎症が生じる、といった具合である。また嗅覚能力の低下に関連するものとして、この炎症反応によって嗅粘膜や嗅球の再生をうながす神経新生の機能が弱まるのではないかという説もある。
レプチン、インスリン、グレリン
BMIグラフにおいて肥満症の人々が位置する反対側のゾーン(下限である14から17.5kg/㎡)には、拒食症にかかった人々がいる。過食症や過食性障害と同様、摂食障害の一種である。フランスではおよそ60万人、世界では約1から2%の人々がこの病理に悩まされているとされる。心理的な要因に帰されることが多いこの摂食障害の患者には(全体の8割と)女性が多く、慢性的な症状を抱える患者は3分の1にのぼるという。
独チュービンゲン大学病院心身医学・心理療法科のノーラ・ラップスらによる研究によれば、拒食症患者にも明らかな嗅覚感度の低下が認められたが、︎その明確な原因こそ特定されてはいないものの、拒食症患者にも明らかな嗅覚感度の低下が認められるという。この感度低下は肥満患者のケースとまったく同じように(しかし今度は「増える」という真逆の意味で)体重が戻ることによって回復する傾向があるようだ。また拒食症が発症してからどのくらいの時間が経っているかということも嗅覚能力に影響を与えるとされる。まだ発症初期の体重が落ち始めた段階においては一時的な嗅覚過敏が見られた後、急速に嗅覚鈍化に転じるという症例が確認されている。さらに同じ過食症でもBMIに大きな変化が見られない患者においてはこの種の問題が見られないとする見解は、何とも示唆に富んでいる。 だがこのようにBMIの変動が脳や嗅覚に影響をおよぼすのはなぜなのだろうか? 私たちの体重が増減するとき、その現象の背後には体内のエネルギー代謝を調整する役割を担うホルモンのメカニズムが隠されている。例えば血糖値などがその調整対象にあたるわけだが、生理的欲求の発生や食物の摂取に応じて行われるその調整が円滑に機能するためには、脳、肝臓、膵臓、脂肪組織、腸、筋肉とのあいだでの相互連携が不可欠となる。そしてこれらの組織を行き来する連絡役を担うのが、レプチン、インスリン、グレリンという3つのホルモンなのだ。空腹になるとグレリンが増加することで嗅覚が鋭くなり、食物の探知が容易になる。ひとたび腹が満たされると嗅覚は他の感覚とともにその満腹感を満腹中枢に伝える。その満腹中枢によってこれら3つのホルモンの合成が制御されており、このような流れのなかで3つのホルモンのバランスは刻々と変化していくのである。しかしBMIが病的な変動を被るとき、このシステムは完全に機能不全に陥ってしまうのだ。
例えば嗅球細胞には、これらレプチン、インスリン、グレリンの受容体が多く存在していると言われる。それゆえこれらどれかのホルモンが急激に濃くなったり薄くなったりして濃度に変化が生じると、摂食行動ばかりではなく(嗅覚ニューロンの感度や嗅球の機能など)嗅覚も連動して不調をきたしてしまうのである。このことからも、先に挙げたような拒食症患者に見られる異常な嗅覚感度の変化もまた、彼らの経験した上記のごときホルモンバランスの乱れにその原因を帰することもできるかもしれない。
私たちの体重が増減するとき、その現象の背後には体内のエネルギー代謝を調整する役割を担うホルモンのメカニズムが隠されている。
進行的認知制限
さらに言えば、彼らは日々外界から迫り来る刺激と戦っているのです。ここで戦いというのは比喩的な意味ではなく、文字通りの現実的な戦い、ということです。そう述べるのはリール・カトリック大学心理学部教授のヴァンサン・ドダンだ。拒食症患者たちはカロリーが高そうだと感じられる食品を徹底的に自らの食生活から排除しようとする。そればかりでなく、そうした食品の匂いのなかに身を置くことさえ避けるようになる。「拒食症患者において典型的なのは、許容できる匂いの範囲がじょじょに狭まっていくことです。その許容範囲は例えばリンゴや2、3種類の野菜しか受けつけないほどまでに限定されていき、残りは漸次的に嗅覚的記憶そのものから排除され、忘却されます」と同教授は説明する。「これは進行的認知制限と呼ばれる現象です」。
食欲をそそる匂いは体重増加のリスクをはらんでいるため、彼らにとっては最も警戒すべきものとなる。ゆえにこのような匂いが知覚されるとき、それらを避ける、遠ざける、といったような彼らの制限的行動はさらに強くなるのである。「そのような戦いが常態化しある種の慣れが生じることで、それが当たり前なんだという認知の歪みが生じます。そしてその歪んだ認識がさらに強まった結果、受けつけない匂いに対し情報処理のメカニズムが拒否反応を起こさせるのです」とヴァンサン・ドダンは詳述する。拒食症にかかった多くの人々は食べる喜びを感じることを自らに禁じるために、食品の持つ味や匂いを意図的に損ねてしまう、という行動を取ることがある。
食べる前に大量の塩やスパイス、尋常ではない量の胡椒、マスタード、ビネガーを料理に加える、さらにはわざと焼きすぎてしまう、など、「ほとんどマゾヒズム的なまでの非常に痛々しい行動と言えましょう」。いくらカロリーを摂取しないためとはいえ、病的としか言いようのないこの戦略が実行に移されるとき、嗅覚、味覚、そして三叉神経という、食物摂取に関わるこの3つの感覚器官の反応に異常が起こる。特に三叉神経は辛さを鋭敏に感じ取り(この辛さと三叉神経のメカニズムに関しては、ベアトリス・ボワスリーのによる記事内に併録されたコラム「口から火が出るような……」にも詳しい)、かくして嫌悪感は食物が口にされた瞬間からすでに引き起こされていることになる。そうして口にされた食物が咀嚼され何とか飲み下されたとしても嫌悪感は増すばかりで、ついには嘔吐を引き起こす。このようなプロセスを経て当該の食物を今後摂取しないように警告する信号が脳に発される。そして該当する食品は以後ほぼ無条件に拒絶されるようになるのである。
食欲をそそる匂いは体重増加のリスクをはらんでいるため、彼らにとっては最も警戒すべきものとなる。
感覚の目覚め
彼らが匂いに対し怯えているのは、その匂いが持つ「気体」としての性質ゆえだ。空気中に漂いながらどこへでも入りんで浸透し、さらにはその場に残存する性質さえ備えているがゆえになおのこと、彼らは匂いが自分の内に侵入してくるのではないかと恐れている。ジュディス・デュ・パスキエによるドキュメンタリー『拒食症よ、こんにちは』では、ニース大学附属病院の小児精神科医エマニュエル・ドル=ヌドンセルがある患者の女の子の症例を挙げている。その子は空気中に微量に浮遊する小麦粉のことを考えるだけで不安に駆られてしまう。もし自分がそれを吸いこんでしまったら、と考えるといてもたってもいられず、それによって体重が増えてしまうのではないかと恐れているのだ。そのような認知の歪みに苦しんでいる女の子たちは決して少なくはありません、と同医師は述べる。例えば「脂身の匂いをかいだだけでお腹がいっぱいになってしまったり、ひとかけらのバターの匂いをかいだだけで、あたかもそれを食べたかのような錯覚に陥ってしまうのです」。
一方で過食症や過食性障害においては対照的に「匂いはむしろ、衝動に対する引き金の役割を果たすのです」とヴァンサン・ドダンは指摘する。クロワッサンの香ばしい匂いがただようパン屋の前を通りかかることにより過食の発作が引き起こされるという現象がこれにあたる。 同医師が率いるリール大学のチームは、患者たちが食事という営みを再定義するためのワークショップを主催している。その名も「感覚の目覚め」である。このワークショップを通して最終的には正常なBMIへの復帰を目指す。ここで主眼となるのは「食物を口にする前にその匂いをよくかぎ吟味することで、匂いのレパートリーを広げることを学習し直すこと」である。ワークショップのなかで栄養士が数種類の食品の匂いを紹介し、そうしてセッションが繰り返されるなかで識別可能な匂いの範囲が広がり豊かになるにつれて、ある時期から部分的に失われじゅうぶんに機能していなかった嗅覚の働きがじょじょに取り戻されていく。つまりBMIのバランスが崩れる要因となった嗅覚の機能から立て直しを図ろうという試みだ。
ヴァンサン・ドダンが食餌療法の一環として匂いを取り入れているのは上記の通りであるが、同医師はこれをマインドフルネス瞑想のメソッドに近いものとして位置づけてもいる。地域における料理の先生やシェフたちによって担当されるセッションのなかで、拒食症の参加者たちは食品の持つ匂いに、口当たりに、そして味覚に対し、意識を集中するよううながされる。そしてそこで得られた感覚によって自らの内に引き起こされるネガティブないしポジティブな感情に注意をこらすよう求められるのだ。この取り組みは長期的な試みとして企画され、6週間のサイクルで週に1から3回のセッションが設けられている。
ワークショップを通じて、患者たちに「食べ物を口にする前に、匂いのレパートリーを広げることを学び直してもうらう」ことが主な目的だ。
感情封鎖
エマニュエル・ドル=ヌドンセルもまた、ニースにある施設でこれと同様のアプローチを試みている。そのワークショップは始めは味覚に関するものとして企画されたが、ほどなくして嗅覚に焦点を当てたものに切り替えることになった。やはり参加者の拒食症患者たちが食べ物を口に入れること自体に困難を感じていることが見て取れたからだ。「参加者たちの前には色々な食べ物が差し出されますが、それを食べない代わりに、よく鼻で匂いをかぐよう求められます」。セッションは6から7人の少女たちに2人の看護師がつく形で進められる。まず彼女たちの前には2つの香りが提示される。ひとつは食物、もうひとつは植物(木または花)のものだ。次に参加者たちはそれらの匂いに対し快か不快かどのように感じたかを自由に書いて表現してみるよううながされる。ここで書くという形式が取られるのは、他の参加者からの発言に影響されないようにするためでもあるし、個々の進捗を記録として残しておくためでもある。それゆえ彼女たちの手もとには白い用紙、鉛筆、マーカーなどさまざまな筆記用具が用意されている。
セッションの結果を分析する医療チームは何よりもまず、対象となった香りがどんな感情と結びつき得るのかを特定しようと試みる。しかし始めの何回かは何も感じなかった、という回答や白紙で提出する子たちも多い。エマニュエル・ドル=ヌドンセルはこれを「感情封鎖」という用語を用いて説明する。すなわち、冷めた表情を浮かべ身を固くする彼女たちは一見無関心なように見えはするものの、「ですがおそらくそれは、ある種の自己制御や自己抑制から来るものなのです。自身の内に渦巻く感情があまりにも強すぎるため、それに身をまかせるとコントロールできなくなるという恐れからそのような自己防衛本能が働くのかもしれません」。
精神科医たちの意見は次の点でおおむね一致している。すなわち嗅覚は感情と密接に結びついており、その感情への優れたアクセス経路としての嗅覚を活用することにより、摂食障害に苦しむ人々は自身の内に記憶の痕跡として眠る感情を再び呼び起こすことができるのではないか、と。それに関してはヴァンサン・ドダンも同意しており、彼らの治療を続けていくうえで嗅覚以上に効果的なアプローチはないであろうと確信している。「摂食障害に苦しむ多くの患者たちが過去にトラウマを経験していることが確認されています。そしてその記憶を思い出さなくても済むように自身の内にある種の防御システムを構築しているということも。実際、彼らの多くは過去の出来事をあまり正確に思い出すことができません。それだけ過去に、彼らにとっての恐れや不安が存在していたということなのでしょう」。また匂いは、「自伝的記憶」と呼ぶべきものと直接リンクするものでもある。それゆえ抑圧された苦い思い出、すなわち「自身が抑えきれないレベルの感情に圧倒されないように無意識的に封じこめた」記憶を再び浮上させ、それに言葉を与える手助けとなる可能性を匂いは秘めているのである。
では肥満に対してはどうだろうか?この病理に対しても匂いには効果的な活用法が見こめるのだろうか。WHOはフランスでは13%が、世界では17%の人々がこの肥満症にかかっているとし、この割合はもはや世界的な疫病の規模にあたるという見解を示した。現在検討されているのは、肥満症患者に対し嗅覚療法士をつけるという方法だ。これはさまざまな食物の発する匂いを個別にじっくりと感じ、味わうことを学ぶ(学び直す)ことを通して、肥満化にともない損なわれた感覚や認知的バランスを改善することを目指すものである。
嗅覚と肥満、あるいは嗅覚と摂食障害との関係を解明するための研究はまだまだ着手され始めたばかりである。いずれにせよ確かなのは、今回ここに挙げた人々を治療するための方法として、そして彼らが食の喜びを再び見出すための手助けをする方法として、今後嗅覚を用いた療法はさらにブラッシュアップされ改善を重ねていくだろうということだ。そしてそれらの治療法の助けを借りて、彼らはいつの日か健康的な体重バランスを取り戻し、ひいては自らの存在とあるべき身体性を再構築することができるのだろう。
翻訳:藤原寛明

