例えば風邪を引いたときに食べ物の味がよく分からなくなることなどは、きっと誰もが経験したことがあるのではないか。鼻が詰まると味覚も失われてしまうのはいったいなぜなのだろうか。「答えは簡単です。一般的に『味』と呼ばれるものは、実はその80%が嗅覚から来ているものなのです」、そう答えるのはロラン・サレスだ。同氏はフランス国立農学研究所(通称INRA)に勤めていた元農学技師である(なお同研究所は2018年、国立環境・農業科学技術研究所と合併し、INRAEと改称した)。「そこで感じられる感覚こそが、私たちが口にする食べ物に深みと繊細さを与えているのです。嘘だと思うなら試しに鼻をつまんで料理を味わってみてごらんなさい!」。
上記においてサレス自身も「一般的に呼ばれるところの」と留保をつけているように、ここで用いられている「味」という言葉の用法は、厳密に言えば実は誤用である。つまり一般的な用法においてはこのフランス語「goût」の持つ本来の意味から逸脱し、より広い意味で使われてしまっているのだ。プチ・ロベール辞典はこの語を、甘さ、塩気、苦味、酸味、旨味など、食物に備わるそのようなさまざまな風味を人間が知覚するための感覚、という定義のしかたをしている(なお今や国際語として認知されているこの「ウマミ」に関しては、コラム「結局何種類? 新たな味の発見」も参照されたい)。つまり「味覚」だ。しかしより日常的な用法としてはこの語を、(例えばイチゴの『味』などといった言いかたをするように)それら風味そのものを指すことにも使われているというのが現状だ。「人間における嗅覚的記憶は、そのほとんどが食物を味わったときの風味の記憶によって構成されています」とロラン・サレスは説明する。「これらを複数形で『味« goûts »』と名指しているという事実がある以上、われわれはそれが嗅覚由来のものであるということに気づいていないのです。なぜそのようになってしまうのかというと、その理由は人間の脳が『匂い』と『味』の脳内イメージを、それぞれ異なる神経ネットワークに保存しているからに他なりません」。
情報を正しいネットワークに分類するために、三叉神経にとってまず必要となることは嗅上皮へと向かっている空気の流れがどこから入ってきたのかを特定することだ。つまりこれが鼻腔から入ってきたものである場合は脳の解釈は「匂い」になるし、咽頭からの場合は(したがってこの場合、空気の流れは喉から鼻へと抜け嗅覚受容体へといたる、いわゆる「レトロネーザル経路」を通じて把握されることになる)これを脳は「味」として理解するというわけだ。しかしながら眼、鼻、咽頭からのニューロンで構成されるこの脳神経系が、単に情報を種類分けするだけのガイド役に徹しているわけではもちろんない。というのもこの三叉神経は口のなかに入った食材のひりひりとした辛さや弾ける発泡感、あるいはひんやりとした清涼感といったものを知覚する役割も担っているからだ。三叉神経が感じ取るそのような感覚は味覚というよりかはむしろ触覚に属するものであり、これらは口腔粘膜によって知覚される。味わう、という行為は味覚と嗅覚の専売特許と思われていたところに、かくして触覚という第3の役者が現れたことになる。なお、これら味覚・嗅覚・触覚の3種が総合されたときに知覚される全体的な感覚を指す言葉として、フランス語には« flaveur »(香味・フレーバー)という語が存在する(訳者注:この語は古フランス語で「匂い」を意味する« flaor »から派生した言葉である。英語の« flavor »においても同様だが、この語源からも分かるように単に「味」というよりかはここで力点が置かれているのはむしろ「匂い」のほうであり、本文の文脈の通りそのような風味や香りを含めた総合的な味わいを指しているのがポイントだ)。
鍵と鍵穴
食べる喜びが始まるのは、料理を前にしたときに鼻が感じる「匂い」からだ。皿の上から立ちのぼる、香りという名の揮発性分子が私たちの食欲を大いにかき立てる。ひとたび口に含み咀嚼が始まれば、嗅覚が口のなかの香りをレトロネーザルによってとらえるため、わざわざ匂いをかぐ必要はなくなる。嗅覚は揮発性の匂い分子に反応し、味覚は唾液のなかに溶けた風味分子に対して反応を示す。そのような意味において、人間の感覚のなかでただ嗅覚と味覚だけが生化学的なものだと言えよう。視覚・聴覚のように光子や振動が脳に作用するのではない。嗅覚あるいは味覚が刺激されると、匂い分子に対しては嗅覚受容体が、そして風味分子に対しては味覚受容体が、というようにそれぞれの組み合わせが鍵と鍵穴のシステムとして立ち上がり、対応する伴穴のなかに正しい形状を持ったキーが差しこまれると、さながら扉が開いたかのごとく化学反応と電気信号が次々に脳神経をたどりながら連鎖し、こうして一連の生化学的メッセージを検知した脳が警戒態勢に入るのである。
鼻はおよそ1兆種類もの匂いを検知できると言われている。人間の持つ遺伝子のおよそ2%が匂いの認識に割り当てられており、例えば色を見分ける遺伝子は4つしか存在しないのに対し、嗅覚受容体遺伝子はおよそ400種類もある。なおその嗅覚受容体の発見という業績に対しては、2004年にノーベル賞が授与された。一方口のなかでは50万個以上の味覚細胞が舌の上面を覆っているわけだが、それらは味蕾と呼ばれる袋状の微小な器官のなかに包まれており、さらに乳頭と呼ばれるつぶつぶの突起が、(1㎠あたりおよそ200あるとされる)その味蕾を保護する役割を担っている。味蕾を覆っている膜が味覚受容体を備えているとともに、味蕾ひとつひとつの内部にも100前後の味覚細胞が含まれている。
脳に唾を垂らさせる
とはいえ人が物を食べるとき口のなかで起こっているのはこれら味蕾や乳頭による作用だけではなく、嗅覚、味覚、三叉神経から発される3つの異なるメッセージが組み合わされた、より複雑かつ複合的な感覚がそこには生じているのである。この鼻と口腔というペアは人体における感覚器官のなかでは特異な存在として異彩を放っているが、かと言って他の感覚器官から切り離され孤立しているわけではない。「『味』とは、複数の感覚が連関しながら知覚される、言わばマルチセンサリーなものなのです」とロラン・サレスは強調する。口、舌、口蓋、そして歯までもが連動して、料理の持つ柔らかさや弾力、温度を感じ取る。そこへさらに聴覚も加わる。英オックスフォード大心理学部教授、チャールズ・スペンスの研究によれば、チップスのパッケージを開ける際のバリッという乾いた音を聞いたとき、そのチップスのカリカリ感は最大15%増しに感じられるという。むろん視覚も重要な役割を果たすのだが、料理を味わうということにかけては視覚はさながら王者のごとく君臨する。なぜかって、食べるときはまず目から入るとよく言われるではないか? バリエーション豊かな料理の数々、そして真っ白なナプキンやカラフルなお皿を目にすることによって脳は食欲を刺激されよだれを垂らすのだ。その視覚がとらえた情報によって脳が錯誤に陥ってしまうことさえあるほどで、例えば2001年に行われたとある研究は、ワインの専門家たちが本物の赤ワインと、白ワインに赤色が着色された偽赤ワインとを区別するのにいかに手こずったかを紹介している。後者の赤ワインらしい色合いに引っ張られて、専門家たちは本来赤ワインに使う用語を用いてそのワインの香りを描写し始めたという。むろん実際の香りはそれらの用語とはかけ離れたものであった。
これらのことから、食べるということは人間の五感を総動員させる行為であることが分かるだろう。五感それぞれが互いに影響し合うなかで中枢である脳が常にその指揮を取っており、各感覚のもたらす知覚情報を統合し見事に再構築してみせる(このように「味わい」がいかに味覚以外の感覚にも依っているかについては、併録のコラム「類は友を呼ぶ? 料理食材における相性の妙」も参照されたい)。「例えばですが、モノイはなぜあれほどまで強力に浜辺をイメージさせるのでしょうか? おそらくそれは、原料となるティアレの花の香りが初めてかがれて記憶されたのが、まさに浜辺という場所だったからなのでしょう」、そう分析するのはマルレーヌ・シュタイガーだ。ブルゴーニュ出身のはつらつとした印象の彼女は料理をすることも大好きだ。ベルサイユの香水学校イジプカ(香水・化粧品・食品香料国際高等学院)で食品香料の知識を身につけた後、デヴィッド・エドワーズの開発による香りを伝達するデバイス「オーフォン」のプロジェクトに調香師クリストフ・ロダミエルとともに参加。その後、特定の食品や飲料の香りを煙のようにもくもくと空間に噴霧する「風味の雲(nuages de saveurs)」関連の仕事にも携わり、そこではジャン・ポール・ゴルチエの香水「ポパイ」のアコードをアレンジした「雲」を開発した。その他にも飲料ブランド向けにステビア(低カロリーだが、砂糖に比べかなり甘い味を持つ甘味料として知られる)の味をマスキングする仕事なども請け負い、「味覚のデザイナー」として高い評価を得た現在は、パリで随一のバーでミクソロジーのアドバイザーを務めている。「香水の調香師と食品香料(アロマ)の専門家のあいだでは、実は共有されている分子が50%もあるんです。これはかなり高い数字だと思います!」と彼女は両者の親近性を指摘する。
飲料を含む液体というものに、いつだって魅了されてきた彼女だ。その液体を調合するに際してマルレーヌ・シュタイガーの取る方法は、自由な創造性と変えるべきではない厳密さとをバランスよく組み合わせ調和させることである。Hテオリアというブランドで、彼女はまるで香水のように豊かに香るリキュールを開発していた。飲んでも、香りをかぐだけでも(そしてもちろん両方同時でも)等しく楽しめるリキュールというわけだ。彼女にとってそのような液体を調合すること(formuler)というのはすなわち、「何よりも衝撃を与えるものを見つけ出すことです。もう少し具体的に言うとすれば鼻のなかにはフレーバーとしての力を持った強い香りを構築しつつ、香水よりも揮発しにくく長く持続する、存在感を持った香りを口のなかにとどめておけるような、そのようなものを作り出すことを意味しています」。つまり彼女は「鼻と口とのあいだに起こるひとつの衝突」を創出しようとしているのだ。そのことは言い換えれば、味覚と嗅覚のあいだの微妙なバランスを追求することでもある。そしてそのような方法論の実践を通してこそ、彼女は甘味、酸味、苦味といった普通の調香師では取り扱うことのない異質な次元で優れたパフォーマンスを発揮することができるのである。そして彼女の駆使する今ひとつの異質な要素は、口当たり、である。特徴的な舌触りは嗅覚に直結し、豊かさと明確なイメージをもたらす。それぞれのノートを表現するとき、彼女は「明るい」「怒りっぽい」「青味を帯びた」「ノスタルジックな」などといった言葉を用いる。あるいは「例えばケッパーや、何か甘酸っぱいもの、それとウマミなどは私にとってはどこか影があり、真面目な風味を持ったものとして感じられるんです」などといったように。このような発言からも分かるように、独自の美学を持つ彼女は、味わうことやテイスティングをゲームのようなものにしたり教育に結びつけたりすることを望んでいない。アルコールに関しても「感覚と想像力を自由にさまよわせ遊ばせるための」手段として、あくまで節度をもって楽しまれるべきだと考えている。
「口から火が出るような……」
胡椒の粒、ひとかけの生姜、唐辛子の実、あるいはわずかなワサビ。それらを口に含んだとたん鼻先がつーんとして、思わず叫びたくなるくらい燃えるように熱くなる。どこからか虫が飛んできて針でちくりとひと突きしたかのようなこの感覚はいったい何ゆえであろうか? 食品の持つそのような辛味は、そこにカプサイシンという分子が含まれているからである。カプサイシンは三叉神経を直接刺激し、それにより涙が流れ鼻水が垂れたり、あるいは喉がひりつき汗や唾液が過剰に分泌されるといった反応が引き起こされるのである。マスタードを口にしたとき鼻につんとくるのも同じ理由からなのだろうか? 三叉神経が関わってくる点では同じだが、としたうえで、素材物理化学者のラファエル・オーモンは次のように解説する。マスタードの種が噛み砕かれるとアリルイソチオシアネートという物質が放出され、それが三叉神経の感覚細胞を刺激しカプサイシンの場合と同様の反応を引き起こすのである、と。このような仕打ちにもかかわらずわれわれがその辛さを懲りることなくリピートしたがるのは、ある種のマゾヒズムゆえなのだろうか? もちろんそんなことはない。われわれの脳が火を吹くような辛さにやられのたうちまわっているとき、同時にエンドルフィンが分泌され、その惨状を慰めるべく駆けつける。こんな風にアメとムチが絶妙なバランスで与えられることによってその味がすっかり病みつきとなってしまうのである。
ロックフォール・チーズ、ブロッコリー、エンダイブ
人間の味覚の形成はそれこそ人生の最初期にまでさかのぼる。「人間の五感のパーソナリティは胎内にいるときからすでに始まっています」とロラン・サレスは述べる。赤子の脳は本能的に甘さに惹かれるようにできている。一方塩味には無関心で、苦味に対してははっきりとした嫌悪感を示す。苦味に対するこのような敵対心はおそらく、例えばドクニンジンなど苦味のある植物に毒性のものが多いことから、種の生存本能が人間の遺伝子に対し組みこんだプログラムなのであろう。
それ以外の味覚的嗜好はすべて後天的に形成されるものであるが、それも物心つくころにはほぼ完成していると言ってよい。ディジョンにある味覚栄養学研究センターによる調査によると、7歳の子どもの味の好みは、その子が1歳の時点で食べたことのある(あるいは食べることを拒んだ)食材のバリエーションに完全に依存しているという。実際、その幼さにもかかわらずこの時期の子どもがロックフォール・チーズ、ブロッコリー、エンダイブなど、癖の強さゆえ小さな子には「難しい」とされている多くの食材に対し食欲を示すことだって、大いにあり得ることなのである。その味に親しめるようになるためには、段階的に慣らしていき、ときに楽しく、何よりも繰り返し触れる必要のある食材である。辛抱強く時間をかけることが推奨されるが、ある意味ではスピードも重要だ。子どもが18ヶ月過ぎると手遅れになる可能性が出てくるからである。子どもはこの時期から知らない食べ物を無条件で拒絶するようになり、ときに以前好きだったものさえ拒むようになるのである。「そう、まるで口にするかしないか自ら選べるようになった年齢に達すると、未知のものに対する警戒心を強めるようプログラムされてでもいるかのように」とロラン・サレスはそのように例えてみせる。
同氏は「ネ・アネルブ(Nez en herbe)」という子どもへの嗅覚教育を行う団体の代表を務めている。この「嗅覚の芽生え」を意味する名を冠した同団体は、味覚教育に関しても数多くのプロジェクトを主催しており、独自の感覚教育プログラムを推進する保育園「キャップ・アンファン(Cap Enfants)」の子どもたちや幼稚園の園児たちを対象に、茶葉用の小さなボウルにスパイスを入れたものを見せてその香りをかいでもらったり、(例えば綿菓子の匂いとサーカス、という組み合わせのように)特定の空間と匂いの組み合わせを紹介したり、あるいはバニラとマダガスカル、フィッシュアンドチップスとイギリス、カマンベールとノルマンディーといったように、特定の地域と食品との結びつきを紹介するとともに、他にも音楽、動物、植物、などといったさまざまな要素との連想を通してその地域を発見してもらったりなどと、そうした多彩で種類豊富な体験を子どもたちに向けて提供している。こうした教育の目的とは何か、同氏にうかがった。
「まだ小さな子どもたちに、自分には嗅覚というものがあるのだということに気づいてもらうためです。そしてそれが日常生活で活用できる重要な感覚なのだということを知ってもらいたいと、そうわれわれは願っています」と同氏。年長の子どもたちが嫌うような匂いや香りを、2歳未満の子どもは無条件には拒否しない傾向がある、ということも大きい。「その傾向もだいたい4歳から5歳ごろになってくると変わってきます」。
味覚の教育を進め、さらには完璧さを求めるにあたって「重要になってくるのは、まさに好奇心に他なりません」とマルレーヌ・シュタイガーは強調する。「バジルの香りをかいでみたり、オレンジの果汁の味を見て、その風味をゼストの香りと比較してみたり、異なるさまざまなスパイスを試してみたり……。何でも果敢に香りをかぎ、味わってみること、それが味覚の訓練の基本となります。食の経験が増えていくにつれ味覚の記憶もより多層的なものになっていきます。実践を重ねれば重ねるほど、味覚はより深く根づいていくものです」。あるいは世界各地のさまざまな料理を知っていく過程で、食材や料理に対し感じられる喜びが実は家族の物語や文化の歴史といったものと深く結びついたものであるということを理解できるかもしれない。「誰かに好まれる匂いというのは総じて親密さのなかに、すなわち私的なものの中心にこそ息づいているものである」と、そう哲学者のガストン・バシュラールも書いている。つまり食品から香るアロマと同様、好きな香りというのはあくまでも各人の感性に、感情に、家族の歴史や文化に、あるいは生理学的なメカニズムに結びついたものであり、したがって普遍的に好まれる風味というものは存在せず幻想以上のものではないのである。だが言いかたを変えればそれは、世界には未知の料理が無数に存在し、その数だけ発見の喜びも約束されているということでもある。
「類は友を呼ぶ? 料理食材における相性の妙」
スイーツにおいてローズ、フランボワーズ、ライチの相性が良いとされているのはなぜなのだろうか? ではイチゴとパイナップル、あるいはマンゴーとパッションフルーツは? これらの組み合わせがマッチするのはそれぞれの食材に共通の分子が多数含まれていることによる。それによって口のなかでハーモニーが生まれ、むろんその効果は脳に対しても伝達されるというわけだ。
まさに「完全なる調和」と言えよう。心身ともに満足させるには、そこにゼリーやなめらかなソースを加え口当たりに変化を持たせるとよいだろう。固形のフルーツそのものよりも「レトロネーザル経路で食材の香りが迅速に伝わるからです」と強調する、素材物理化学者ラファエル・オーモンからの提案だ。同氏はフランス料理イノベーションセンター(Centre français d'innovation culinaire)の共同設立者として、そして『化学者の料理書』(デュノー社、2017年刊)の著者として知られている。
昔から、料理人たちは意識せずとも化学者としての仕事を実践してきたのであった。クローブ、ローリエ、クミンはラグーの風味を引き立てるアクセントとして重宝されてきたわけだが、この3つのスパイスに共通してテレピネンが含まれていることからもそのことがうかがえる。 だがそこへ分子ガストロノミーが現れ、ついで「フードペアリング」(化学的分析に基づき食材の組み合わせを決定する手法)も登場したことで、味の組み合わせの幅はさらなる広がりを見せたのであった。風味の実に80%を香りが決定している以上、嗅覚的アプローチも重要な役割を果たしていた。
この化学という普遍的手法を足がかりとして、ソムリエ、調香師、そして食品香料の分野においても通じる共通言語を構築することに向け、一歩前進したと言えるだろう、とラファエル・オーモンは述べる。味覚に錯覚を起こさせ脳に心地良い揺さぶりをかける、そのような完全なる調和を生み出すことにかけて、分子構造への理解はこれ以上ないほどの強い武器となる。食品の味わいはほんの小さな分子ひとつで左右されるからだ。まさにその分子ひとつによっていとも簡単に、味覚の抱く感覚的イメージはローズからライチへ、さらにはイワシからパルメザンチーズにさえ、その姿を変えるのである。
しかしシェフたちが私たちの舌を優しく撫でるだけで満足するはずはない。ときに彼らは私たちの五感や脳に適度な揺さぶりをかけるのである。例えば甘辛という組み合わせは脳を困惑させ、甘さと辛さどちらの味に注意すればよいのか分からなくさせてしまうのだ。 味覚に教育を施すということはときに、脳に対し別の何かを忘れさせることでもある。パスツール研究所の神経生物学者でエコール・デュ・ネ(鼻の学校)の共同創設者としても知られるガブリエル・ルプゼが「儀礼的な味」と呼んだところのものもそのことを証明している。この言葉はその名の通り、その風味を理解するために時間や訓練が必要な癖の強い味のことを指すわけだが、つまりじょじょに味覚を慣らすことで、その癖の強さへの抵抗を解除・忘却させる必要があるというわけだ。その慣らしのためにも、エンダイブ、ブロッコリー、キャベツといった食材は他の食材と上手に組み合わせることでその魅力を引き立たせるべきだろう。また食感に変化をつけることも効果的だ。ロックフォール・チーズのクリーミーさとクルミのカリカリ感を、エンダイブのサラダに合わせることで、エンダイブ特有の苦味を和らげることができるだろう。砂糖の持つ甘さに頼ってみるのもいいかもしれない。日本では抹茶とともに供されるのがアズキ(和菓子に使用されるアンコの材料として知られる、赤い色の豆だ)を使ったスイーツであるように。また仕上げにレモンをさっとひと絞りするように、酸味のある香りが料理に清涼感をもたらしてくれることも付け加えておこう。
「結局何種類? 新たな味の発見」
味の分類に関して、歴史的には「なめらかな」「酸っぱい」「渋い」「乾いた」「湿った」などといったものがリストに加えられていた時代もあったが、やがて基本的風味は次の4つに絞られるようになった。「(塩化ナトリウムによる)塩味」「(ショ糖による)甘味」「苦味」「酸味」である。
ところが1980年代になるとそこへ第5の味が加わる。日本の化学者によって1908年に提唱された「ウマミ」である(日本語で「美味な風味」を意味する言葉だ)。この旨味はL-グルタミン酸とアスパラギン酸という2つのアミノ酸によってもたらされるとされている。(醤油、味噌、海藻、緑茶など)日本の料理には多く含まれている成分だが、それ以外にもパルメザンチーズ、イワシ、マッシュルーム、トマト、生ハムなど、多くの食材のなかに含まれている。 さらに2005年にフランスで行われた研究によって第6の基本味が提唱され、この研究は2015年にアメリカの研究者たちによって検証された。(炭素数4~10または12の)短鎖脂肪酸による「脂肪味」(オレオガスタス)である。
温度受容体が発見されたことを受け、「冷たさ」や「温かさ」といったものまでも味として定義しようとする科学的研究も登場し始めた。近年議論が盛んな食感と風味をミックスさせるという発想は、例えばミントやキュウリを組み合わせることで青リンゴの持つフレッシュさを引き立たせるなど、美食の世界に新たなアイデアをもたらすことだろう。
翻訳:藤原寛明

