NATURAL VS. SYNTHETIC

By Denyse Beaulieu

崇拝される天然原料

ドニーズ・ボリウ

まさに洗練された、高貴なる品位にふさわしきこのたたずまい。比類なき高品質をも兼ね備えたるもの。名高き生産地より生まれ出て。グラースに咲くバラから最新技術の生み出すパチュリまで。そのような天然成分こそが、今や購買の大きな促進材料となっているのである。この「物質主義」は果たして何かの前触れなのだろうか。

「そのとき私は次のごとき直観を得た。すなわち言葉を持たないとき、人は迷う。そうだ、本当に迷い子のように迷ってしまうのだ! いらだちを覚えて、テーブルの上に香水を置き、ただムイエット(試験紙)を通過させるにまかせながら、私は何も言わなかった。そんなことがあった。皆は互いに顔を見合わせながら、いったい何が起こったのかとささやき合った。そして何を言うべきかが分からなくなった彼らは、原料について語り始めたのだ」。セルジュ・ルタンスはそうと知っていてわざとこんな風にヴィトゲンシュタインめいた言いかたをしたのであろうか。語り得ぬものについては人は沈黙せねばならない、という有名な言葉を1921年に残したオーストリアの哲学者であるが、そのヴィトゲンシュタインもきっと、広報担当者という役職があるなどとは思いもよらなかったであろう。香水というこの形のない商品をプレゼンテーションする場において、沈黙はさすがに論外であろうが、一方で、今日の業界のイメージを支配する「物質主義」の隆盛に首をかしげたくなるのもうなずける。まさに自然とは真逆の方向へ行くことによって香水の近代化は成ったはずだからだ。モダニズム美学の頂点に立つシャネル「No.5」は、一点もののオブジェのようでいて、各原料の上に目立つごつごつとした荒削りな部分を研磨してならし、なめらかにしているようなところがある。そのような「一着のドレスのように人工的な、言ってしまえば作り物のような」面については、そうガブリエル・シャネル自身もすすんで強調している通りである。その点についてはフランス的贅沢を体現するもうひとつの至宝、高級料理(オート・キュイジーヌ)と比較できるかもしれない。「皿の上の料理を、純粋なるひとつの抽象的記号に変化させること。自然的産物をわがものとして支配するひとつの試みとして表現すること。工場やアトリエで作られるものに可能な限り近づけ似せること。それこそが同じである、ということに取り憑かれたブルジョワ的想像力にくみするための大原則なのである。食材にソースを塗ること、つやをつけること、コーティングを施すこと、といった作業は工業製品に対して言う『仕上げ』に対応するものである」と、ニコラ・ブーリオーは『料理の書、その技法と工程』(パリ美術出版局、2013年刊)において記している。原料の上に形を与え表現する近代の香水も、そしてこのようなブルジョア的料理も、西洋思想における基本原則を例証していると言えるのではないか。その原則とはすなわち、自然に対する文化の優位である。

化学という禁忌

ベル・エポック(十九世紀末から第一次大戦ごろまで)から始まり「栄光の三十年間」(1945年から75年まで)へといたる香水の黄金時代は、上記のごとくただ原料の物質性のみを前面に押し出すことに対し拒否が突きつけられた時代であったわけだが、くわえて、調香師と化学というふたつの圧力によって板ばさみにあっていた時代でもあった。そのどちらもが生産の現実に深く関わってくるぶんこれは二重に厄介であった。「ゲランでもシャネルでも、手段はたくさんあったはずだが、そのすべてが自然、もしくは自然的な性質を有するものの上にその基礎を置いていた。確かに自然原料があり、皆がそれについて話していた。一方で合成について口にすることはタブーだった」、調香師モーリス・ルーセル(現在シムライズ付)はそう回想する。1973年には化学者としてシャネルの開発に参加していた。ピエール・ブールドンやアルベルト・モリヤスらといった豪華なメンバーとともにに、共著『香りをめぐる諸問題』(コープマン出版、1988年刊)を上梓。このなかで複数の執筆者たちがこのタブーについて皮肉をこめて書いている。「バニラは人に夢を見させるが、バニリンは[...]その夢を悪夢に変えてしまう。毒草のことや地震のことなどとうに忘れて、人々は自然を単に『良きもの』だと考え、『本当の』香りを実現するのに役立つただひとつの匂いの供給源だと思いこんでいる」。またもや逆説的なのは、香水が誘惑のためのツールとして売り出されているということだ。というのも誘惑とはある意味欺瞞によって人をだますことであり、ここでは商品をめぐっての欺瞞が起こる。すなわちそれが人工的なものであるという。「その後、ここ20年ほどのあいだに調香師たちが表舞台に立ち始めた」とモーリス・ルーセルは見ている。「彼らは自分たちの調香について自ら語り始め、香水が決して天然成分だけからできているわけではないということを伝えようとした。それによって彼らは香水の持つ美的価値を説明しようとしたのである」。

原料優位への回帰

こうして「沈黙の掟(オメルタ)」が破られ始めたのと時を同じくして、具体的自然原料をまったく新しい形で表現するニッチフレグランスのブランド各社が頭角を現し始めた。ニッチフレグランスは、香水の黄金時代に立ち帰ろうというノスタルジックな思想にその根を持っていた。中世のポマンダー(オレンジのまわりにクロブを敷き詰めたイギリスの魔除け)を連想させるスパイシーな香りが特徴であるディプティックの「ロー」(1968年発売)を皮切りに、レミニセンスからは「アンブル」「ムスク」「パチュリ」の三部作(1970年発売)、調香師ユーリ・グツァッツ創設によるル・ジャルダン・ホトルヴェからは単一の花の香りを表現したソリフロールが(1975年)、そしてジャン=フランソワ・ラポルト率いるラルチザン・パフューム(ラルチザン「職人」という語が含まれるそのブランド名は産業革命以前の時代を想起させる)もまたソリフロール創作した(1976年発売)。こうした花や植物の香りを主役とした作品が次々と登場するなかで、ニッチフレグランスというムーブメントはこの時代における自然を重んじる感覚を見事に体現していたと言ってよいだろう。そして同じ時代に同じような感覚を体現していたのが、あの革命的な「ヌーヴェル・キュイジーヌ」だった。「ヌーヴェル・キュイジーヌ」では原料そのものが持つ品質と価値が最もクローズアップされる。「原料そのものを提示するかのような具象的な料理」、そうベルナール・ロワゾーシェフは表現している。同じようにセルジュ・ルタンスは、冒頭にも見られたようなマーケティングの現場で繰り広げられる「混沌とした、しかし空虚で無駄な議論」への反発として、単一の植物の香りに焦点を当てた「ソリノート」の創作を試みた。このように原料の具象性への回帰を志向することこそがこれら例外的香水において最も共通した特徴であると言えようが、とはいえそれは単に自然とつながりたいという願望だけを意味しているわけではない。あらかじめ想定されたイメージを提供するファッションブランドとは対照的に、ニッチフレグランスはそのイメージを通して(しかもそれを言葉で表現しなければならない)主眼たる香りを根づかせなければならない。すなわちかぐわしい植物の香りを。なお、一般の人々にとって良い香りとは自然の香りであると刷りこまれているため、表現しようとするもの(アコード、ベース、ノート)から実際の成分への落としこみは、そこまで難易度は高くはならない。

グラースとフレンチタッチ

人々がさながらオーシャン・スーパーマーケットでポロネギを買うかのような気軽さでセルフで美容用品を買うようになったこの時代に、ラグジュアリーブランドはいくつものエクスクルーシブコレクションを発表することでこれに対抗している。多くの場合は原料だのみで、最高品質の成分が要求される。釣り上がり続ける値段を正当化するためだ。「成分を重視するというこうした配慮の影響を受けて、IFF(インターナショナル・フレイバー・アンド・フレグランス)、フィルメニッヒ、シムライズといった香料のサプライヤー各社は、混沌としたもの(『スープ』)を売らない質の高い原材料を提供する生産者たちに目を向け始めました」とノーズ・アバウト社の開発研修コンサルタント、エリザベス・カールは説明する。特にモニク・レミー研究所(1983年設立、後2000年IFFにより買収)は高品質な天然成分の製造に特化し、調香師からの要望に応じてそれらの分子を特別に再加工することも多かった(p.91コラム「天然原料の最前線とは」を参照のこと)。そして何世紀にもわたるノウハウを蓄積する、ロベルテ、マーヌ、アルベール・ヴィエイユ
といったグラース所在の香料メーカーの存在も忘れてはなるまい。このグラースにおいて土地代と人件費の高騰のため長らく放棄されたままとなっていた香料作物の栽培が、シャネルの後援を受ける形で再開された。そして1987年以降、ムル家一族による収穫物をシャネルが購入するという形が取られている。グラース出身のフランソワ・ドマシー(ディオール)とジャック・キャバリエ・ベルトルド(ルイ・ヴイトン)の主導によってグラースの中心部、300年の歴史を持つ城館「フォンテーヌ・パルフュメ(香りの泉)」内に、LVMHは自社の開発研究センターを創設した。かくしてラグジュアリー界の巨人はシンボルという、このグローバル化の時代にあって自らのコンセプトを語るための必須条件となった資本を手に入れたのだった。特にフランスで発展したこの文化と商業の共生は、社会学者のリュック・ボルタンスキーおよびアルノー・エスケールによって「アンリシスマン(豊かにすること)の経済」という用語で名指された。すなわち「時の流れとともに蓄積された固有の鉱脈の採掘に基づいた[...]富を創出する独自の形態のことを指し、その物語性によって特権的な価値の形態が生み出される」(『アンリシスマン、商品についての省察』ガリマール社、2017年2月出版)。その文化的鉱脈の採掘、とい
うことに関してだが、グラース地方はそのノウハウを人類の無形文化遺産としてユネスコに申請している。配合のなかに土地産のバラやジャスミンを使用することによって現実感は増幅する。こうした成分はごく限られた量しか生産されず厳しい基準が多数設けられているが、調香師たちは皆それらの成分が独自の香りの特性を持っているとそう断言してはばからない。とはいえ普通の鼻にはそれをかぎ分けるのは難しい。だがそのことがかえってその香りに、ワインと同様、テロワール(風土)の威光を与えるのである。

マグノリアのパラドクス

したがって、天然成分は複数の点において価値が見出されていると言えよう。まずは「自然=良い」「化学=毒」という二項対立の構図において、ポジティブなほうの極を占めていることだ。そして目に見えない製品に物語的根拠を与えていること、特に、最も美しい成分を求めて世界中を飛び回り鼻でかいで回る調香師のイメージを通してそれを実現していることだ。さらにその物語には、環境問題への責任、持続可能な開発、公正な取引き、といったエシカルな付加価値も加わる。天然成分とは往々にして高価なものである。一度対価を払ったブランドがそれを公言しない道理はあるまい。しかしながらベチバー、オスマンサス、ミルラといったものが一般にはほとんど知られていない以上、果たしてその表記が意味を持つのかどうかは大いに疑問の余地がある。それに抽出物がその植物それ自体の匂いを持つことは稀である。これを、マグノリアのパラドクスとでも呼んでおこうか。モニク・レミーが中国の小さな生産者のもとに見出した後モーリス・ルーセルに紹介し、1990年代より調香師の香りのパレットのなかに現れ始めたのがこのマグノリアであった。モーリス・ルーセルは「勢いをつけるために」この成分を「じょじょに」加えていった。まずはロシャス「トカードゥ」(1994年発売)に。ついで少し多く、エルメス「24 フォーブル」(1995年発売)に。そしてさらに多くの量をグッチ「エンヴィ」(1997年発売)に。しかしたとえマグノリアが使われていると言われたところで、必ずしもその香りのなかにこの春に咲く白い花の存在を感じることができるとは限らないのである。抽出物が同じ植物から引き出されるわけではないことを考えればなおさらのことである。モーリス・ルーセルを特に魅了したのはマグノリアの持つ技術的特性だった。「マグノリアはトップノートで働き、フレッシュさと開放感をもたらす。さながらレーザー光線が一閃したかのような」。したがってマグノリアが値の張る天然成分だからといってそれを言いたてるのはさほど効果的なことではないだろう。業界内で神話的なものとなっているランコムの「ポエム」に調合された、あのヒラマヤの青いケシのような幻想的成分をあげつらったところで、誰もそれが何であるのか理解しようとはしないのと同様に。

嗅覚のピラミッドは唾棄すべきものなのか

稀少な成分にかかるコストが高額な香水の価格を正当化するための理由として、果たしていつまで通用するだろうか。最高級原料の使用をアピールすることが今や当たり前のようになっているが、むしろそのことがその本来の目的であったはずの香水の流通を妨げてしまっている。「美容アドバイザー研修のなかではこの問題が議論の中心となっています」とエリザベス・カールは強調する。「彼女たちはこの問題が制御不能なまでに拡大していくのに対処できず苦心しています。今日のブランド各社の広告、宣伝文においては、もはや偉大な調香師たちは存在せず、ただ偉大な成分こそが美しい香水を作っているのだとでも言わんばかりの印象があります」。
香水の価値を支えるものとしてただ嗅覚のピラミッドだけが重視されているような節があるが、果たしてそれが本当に役に立っているのかどうか自問すべきなのかもしれない。「まったく役に立ってはいない」、そうばっさりとモーリス・ルーセルは切って捨てる。「そもそも割合が明示されていないので、どんな香りがするのか見当もつかないという体たらくだ」。エリザベス・カールはもう少し濁している。「ある意味でピラミッドはナンセンスかもしれませんが、しかし皆にとっては有益でしょう。それは時間の流れのなかで製品がどのように変わっていくかを示してくれます。図式的なものにすぎませんが、メニューを開くときのように、これから何が出てくるのかを教えてくれるようなところがあります」。こうして消費者に対する香水の説明が増えたことで、配合を明確にすることに加え、透明性やトレーサビリティといったものまでをも示そうと目指しているように思える。そのリストはほとんど神秘的なまでの語彙によって彩られ、そのことが文全体に高尚さと美しさを与え、はるかなる高みへと押し上げているかのように見えるが、しかし現実にはその神秘性こそが、その描写の対象がどのような香りを有しているかということを覆い隠してしまうという傾向にある。フレデリック・マルが調香師という存在を日影から引きずり出した最初のひとりであるとともに、「ダン・テ・ブラ」にカシュメランを、そして「ロー・ディべール」にはヘドニンを用いるなど、合成原料を駆使した先駆者にひとりであったことはおそらく偶然ではなかったはずだ。2005年ごろより台頭し始めたインターネット文化によって香水批評の新たな基礎が築かれると、ブランドは透明性を高める必要に迫られた。世界を非現実化するためのツールを通じて、一部の公衆は逆説的にも香水産業の現実に興味を抱き始め、香水を構成している原料がどのような原料なのか、その特異性、物理化学によって把握されるその存在に対する関心が高まったのである。こうしてタブーが破られるが早いか、エセントリック・モレキュールズ、エーテル、ノーメンクレイチャーといったブランドが合成をキーコンセプトとして打ち出し始めた。なかでも巧妙だったのはコムデギャルソンで、スプライト缶にアスプロを注入したかのようなシュワシュワ感のある近作「アンディ・ウォーホールズ・ユア・イン」や、産業的な匂いの具現化である「シリーズ6・シンセティック」(2004年発売)、あるいは味覚の擬似的再現としての「ハリッサ」(2001年発売)、同じく「スティッキー・ケーキ」(2005年発売)など、空想的であると同時に非自然的な香りの数々を提供したのであった。

見出された庭から分子ガストロノミーへ

「ラ・プティット・ローブ・ノワール」(ゲラン)におけるローズマカロン、あるいは「エンジェル・ミューズ」(ティエリー・ミュグレ)におけるヌテラ、そして「ブラック・オピウム」(イヴサンローラン)におけるカフェグルマン(エスプレッソコーヒーに小菓子をつけたセット)。このように香水がいまだ具象性のメソッドを捨てきれないのはそれがなければZ世代に訴求できないからであるわけだが、味覚の再現としての香水がこうして根強い流行を見せるなかで、ついにそのモデルに変革が起こったのだった。すなわちジボダンでは調香師と開発者が協力し、イチゴやベーコン、カスタードクリームなどの匂いを再現するための香料ベース「ディライト」シリーズを作り上げる一方で、フィルメニッヒではサトウキビの酵素反応から抽出したパチュリのノート「クリアウッド」が開発されるとともに、さらにはIFFからはオレンジの花のアブソリュートとアーモンド
のエッセンスの共蒸留により抽出される、100%作りものだが100%天然である「オルモンドの花」が発表され、これらのラボで作り出された変異的な天然成分を前面に押し出すことを、ブランド各社がためらわなくなったのであった。花弁や棘がないバラに関しては、もうまもなく実現することだろう。微生物デザインに特化したボストンの企業、ギンコ・バイオワークスでは、植物の香りを生成する成分をごくありふれたパン酵母のなかに注入することでバラのエッセンスを抽出する研究が入念に進められている。食材の匂いのするものから変異させられた花々の香りまで、このような分子ガストロノミー的な流行は結局のところ、香水というものはどこまでもハイブリッドなものなのだと、そうしたすでに確認されていた事実を再び追認するものでしかなかったのだ。さまざまな境界、すなわち自然と文化の、現実と人工の、身体と環境の、そうした境界を、このハイブリッド性はどこまでもかく乱し続けるのである。



翻訳:藤原寛明

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