THE ANIMAL SENSE

By Lionel Paillès

アンバーグリス、海から来た灰色の黄金

リオネル・パイエス

自然のきまぐれから生まれたアンバーグリスは、香水愛好家たちの夢をかきたてる。しかしこの異質な素材は今やほぼ香水瓶のなかから消え去ってしまった。その原因はこのアンバーグリスの希少性と法外な価格、そして動物由来成分の使用に対する世論からの批判を恐れるあまり、ブランド各社がすっかりおよび腰になってしまったことにある。

子どものころシンドバッドの冒険譚を読んだことはなかっただろうか。シンドバッドとその仲間たちがある島に上陸すると、そこでは泉からアンバーグリスがとめどなくあふれ出ている。それが海へと流れ出て、深海の生物たちの口のなかへと飲みこまれるのだ。そうした感動的な場面があったのを覚えている。この話に限らず、アンバーグリスは比類なき神話的イメージの源泉となっている。原材料供給業者のステファヌ・ピカールもそのことはじゅうぶん心得ていて、幾星霜もの時代を超えてやって来るこの異質な成分を香水業界で再び再燃させることを夢見て奮闘している。「動物性素材はもはやほとんど存在していないに等しいでしょう。香りをしっかりと肌の上に定着させ、そこに詩的なオーラをまとわせることができるのはまさにその動物素材だけだというのに」とピカールは嘆く。

「アンバー(ambre)」という語が近代の香水業界に初めて登場したのは、フランソワ・コティが自身の作品を「アンバー・アンティーク(Ambre antique)」(1905年発売)と名づけたときだった。アラブ語の« anbar »から由来したこの語は魔法のごとき魅力的な響きを持っているが、それと同じくらい混乱をもたらす言葉でもある。この言葉を見るときほぼ不可避的に、同じつづり字と発音を持つもうひとつの「アンバー」、すなわち黄色い装飾品で匂いを持たない「琥珀(ambre)」を連想させるからである。数百万年前の針葉樹が分泌したオレオレジンが化石化したもので、『ジュラシックパーク』に登場したあの有名な蚊のように、そこを通りかかった虫たちがなかへ閉じこめられたりすることもある。しかしこの語はまったく別のものを指すことにも使われるのである。『ジュラシックパーク』からは少し離れて、ハーマン・メルヴィル『白鯨』のなかの最も美しい場面のひとつを引いてみよう。「アンバーグリスは柔らかく何にでも加工できる。蝋のようでもあり、非常に香りが強いため香水に使われる。それ以外にも燻して使う錠剤、高級な蝋燭、ヘアパウダー、ポマードといったものにも材料として用いられる。トルコ人たちはスパイスとして料理のなかにそれを入れ、ついでメッカへと持っていく。香がローマにおはす聖ペトロのもとへと運ばれていくのと同じ理由から」。

もうずいぶん前から、ニューカレドニアのパン島の女性たちは『白鯨』のなかに描かれた、この香り高い小石を探してビーチをそぞろ歩くことをやめてしまっている。かつてはそれを売ることを生業にすれば家族ひとつを養って余りあるほどの財をなすことができたという。この不思議な物質が地平線の彼方から、クジラの体内から排出されてやって来るものだということを果たして彼女たちは知っているのだろうか。アンバーグリスが作られるのはまさにマッコウクジラ(学名:フィセテル・マクロセファルス)の腸内なのだ。これはイカの軟骨質のくちばしによって引き起こされた消化不良という、そのような病理学的要因から発生した結石の一種で、体外に排出された結石が波に揺られながら太陽に焼かれた後、海岸に打ち上げられる。アンバーグリスがかくも希少で高価なものであるのは「生息が確認されている35万頭のマッコウクジラのうち、たった1%だけがこれを生産するからである」と、生物学者ロバート・クラークは2006年『南米海洋哺乳類ジャーナル』のなかにそう記している。

失敗しないためのコツ

ステファヌ・ピカールが香料会社にアンバーグリスを納品し始めたのは2007年からだった(「その年々で異なりますが、だいたい1kgから10kgといったところです」)。ビオランデス、ロベルテ、フィルメニッヒ、ディフュージョン・アロマティックといった企業が彼の取引先だ。思いがけない出会いが彼に仕事のきっかけを与えていた。「ある日アイルランド人の3人組がやって来て、コネマラ海岸で拾ったという石くれの価値を鑑定してくれと言ってきたんです。その後、彼らはラブラドール犬を訓練し、その犬をアンバーグリスを狩るための『ハンター』に仕上げました。犬は鼻を風上に向けて歩き出し、怪しいと思う場所に来るとおもむろに地面を引っかき始め、その場に座りこみます」。ジャン=ピエール・プチディディエは1980年代にハスラウアー社に卸していたアンバーグリスの専門家だが、彼と同じようにステファヌ・ピカールもまた独自の方法で専門知識に磨きをかけてきた。「多くの人々は無邪気にも、海に浮遊している脂肪を見つけ、アンバーグリスだ! と勘違いして一生懸命になってこれを集めてしまうのです」。ピカールが実践するしくじらないためのコツとは、物体のなかに黒く輝くイカのくちばしが埋めこまれているかをしっかりと確認することである。

選別する際のこだわりはまさに人それぞれである。「私が最優先しているのは小ぶりな塊です。大きいものだと内部にプラスチックごみが混入している場合があるからです」と、そうコメントするのはゲランの専属調香師、ティエリー・ワッサーだ。「黒と灰色がまだら模様になったアンバーグリスですが、私は動物的な匂いの濃いこの黒く濁った部分と、より海を思わせるファセットを持つ、白みがかった灰色の部分とを混合し、組み合わせながら使っています」。ゲラン5代目調香師としてティエリー・ワッサーは「アンサン・ミィティック・ドリアン」にアンバーグリスを使っている。この香水は廃盤となってしまったが、同じゲランから出ている「ミツコ」のオードトワレとエクストレのなかにもこのアンバーグリスを感じることができる。

ヨードと「ライ麦パン」

ある意味では、アンバーグリスは自然の気まぐれによる産物である。奇跡、と言い換えても過言ではなかろう。神話、幸運、冒険、神秘、といったものがこの物質のなかに凝縮されているのである。アンバーグリスがかくも人を夢中にさせるのは、それが自然から人間へともたらされるものだからであろう。その逆ではない、とういうところがポイントだ。液状の排泄物とともにクジラの体外へと放出され、風に揺られて、波の流れによって磨かれ、そして岸辺へと漂着する。「始めは黒く柔らかい。なかから粘性のある液体が垂れてきて、それがもう本当に、地獄のような匂いなんだ! それがだんだん固くなり、色も次第に黒から灰色へ、そして白に近い色へと変化する。腐った魚のような匂いがなくなり、鼻にとっての財宝へと変貌する」、そう語りながら思わずうっとりとしているのはモーリス・ルーセルだ。1995年にエルメス「ヴァンキャトル・フォーブル」のエクストレにおいて、アンバーグリスを使用した最後の調香師として知られている。

それぞれの塊ごとに異なる香りの特徴を持っている。だいたいはヨードや「ライ麦パン」のような匂いがするものだが、その程度は個体ごとに異なり、そのサイズ、あるいは海をさまよっていた時間によっても変わってくる。アンバーグリスの主要成分がアンブレイン(25%から45%)とエピコプロステロール(30%から40%)という名の化合物であることは長いあいだ謎に包まれたままであったが、こらら2つに関してはそれ自体は無臭である。そこへ海水が加わり、さらに太陽に照りつけられ風にさらされると、このアンブレインが分解され化学反応が起こる。このときアンブレインはアルファ・アンブリノールや、アンブロックスと呼ばれる分子に分解されるのだが、まさにこれらがアンバーグリスのあの特徴的な香りを生み出しているのである(このアンブロックスに関しては本誌p.18からp.19にも記載がある)。

ほぼ同一の手順に従い、塊は砕かれ粉末状にされる。この粉末が1ℓあたり40gの割合で96%のアルコール溶液のなかに混ぜ合わされる。こうして得られた5%のアンバー溶液は振動板の上に設置されたガラス瓶に注がれ(ここで振動板は「シェイカー」の役割を果たし、これによって材料が均一に合わさるようになる)、25℃から30℃になるまで加熱される。そしてこの奇妙な物質がその香りの豊かさを十全に発揮するためにはそこからさらに5ヶ月から6ヶ月のあいだ寝かせる必要があるとされる。「この昔ながらの工程に加え超音波が取り入れられることで、粉末がより均一に分散し、それによって加熱温度も低くなり、処理期間が数ヶ月短縮できるようになりました」と、そうつけ加えるのは元ジボダンで、ラトリエ・フランセ・デ・マティエール創設者のレミ・プルヴェライユだ。「アンバーのノートが増すにつれ、魚が腐ったような匂いも次第に立ち消えていくことになります」とティエリー・ワッサーも認めている。

「始めは黒く柔らかい。なかから粘性のある液体が垂れてきて、それがもう本当に、地獄のような匂いなんだ!」モーリス・ルーセルはそのように言い表す。

決して禁止されてはいない


アンバーグリスを5%も含むという、アントワーヌ・リー作「アンバー・ストーン」は香水業界に彗星のごとく現れた(原注:パリのジュエリーブランド、マッド・ローズが独占的に販売した)。パルファン・ド・エンパイアのマルク=アントワーヌ・コルティシアートもまた「アンバー・リュス」、そして(少量ではあるものの)「アクア・ディ・スコンドラ」のなかにこの物質を注入している。このように確かにアンバーグリスは多くのクリエイターたちの好奇心をくすぐってきたわけだが、しかしその裏側では、シャネルを始めとした一部のブランドが活動家団体からの敵対的キャンペーンを恐れてアンバーグリスの使用をアピールしなくなったなど、そうした数多くの風説や誤解の原因となったことも忘れてはならないだろう。

まことしやかにささやかれ続けていることのひとつとして、アンバーグリスの使用はクジラの生存をおびやかすのではないか、というものがある。もちろんこれは必ずしも真実ではなく、実際ワシントン条約(CITES:絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)によって絶滅危惧種にあたる動植物の取引は規制されているものの、アンバーグリス自体はまったく禁止されてはいないのである。混乱の理由は、日本、アイスランド、ノルウェーといった国々が、禁止されているにもかかわらず依然として捕鯨を続けていることにある。殺したクジラの腹から取り出したばかりの「新鮮な」アンバーグリスは真のアンバーグリスに非ず、その悪臭ときたら香水に使うなどもってのほかで、長いあいだ海を漂流し、水のなかでの「熟成」と経た後の繊細な香りには遠くおよばない。そのことをブランドは消費者たちへの教育的配慮として、きちんと説明し伝えるべきなのではないだろうか。

アンバーグリスの使用は国際香粧品香料協会(IFRA: Intternational Fragrance Association)においてもこれといった制限の対象とはなっていない。「私たちが採択した方針は、生産するにあたって動物に対し残酷な行為を必要とする製品を対象に規制を勧告する、というものでしたが、それがただ海岸で拾われるものにすぎないという以上、アンバーグリスはどう考えてもこのケースには当てはまりません」と、自主規制機関にあたるこの協会の広報担当責任者、デイヴィッド・オレアリーもそう明言する。このようにアンバーグリスは決して禁止されたものではないものの、その禁忌的なニュアンスは依然としてこの素材の周囲にまとわりついている。

1990年代には供給量の激減にともない価格が急騰した。「普段はキロあたり2万ユーロの小さな『ボール』ほどの大きさのものを買いつけています。ひとつ10kgを超える塊は特別なものとなり、キロ換算するとなんと5万ユーロにものぼります」と、動物由来成分の供給を専業としてからもう長くになるカディマ・パテ社の創業者、ベルナール・パテは述べる。高騰の原因はマッコウクジラの数が減少したことと(彼らはPCBを始めとした有機汚染物質の被害者だ)、ヴィーガン運動に影響を受け、動物性原料自体がだんだんと姿を消していったことによる。「今では年間2kg売るのもやっとという感じですが、1980年代始めごろには何百kgと売れていました。香水業界においてはアンバーグリスはもはや完全に終わった成分です」とベルナール・パテは嘆く。一方フィルメニッヒのイノベーションディレクター、グザヴィエ・ブロシェは「弊社で最後に購入したのはもう10年前のことでしょうか。そのときは1kg購入し、そこから20ℓの抽出液を作りました。それ以来購入していません」と証言する。

アンバーグリスの愛好家たちはまだ夢を諦めていないようであるが、しかし数字とは残酷なものである。「香水製品に5%以上のアンバーグリスが使われることはもうありません」とベルナール・パテ。今や最もよく使われているのは民間療法や料理といった分野である。ホテル・ザ・ペニンシュラ・パリの料理長、クリストフ・ラウーはマリー・アントワネット王妃の時代のレシピを参照した「ショコラ・ショー、海のアンバー風」をメニュー表に追加した。ジャン=クロード・エレナがパスカル・モラビトからの依頼を受け「オール・ブラック(黒い黄金)」の制作にあたったとき、そこへ10%ものアンバーグリスを入れることができた時代は今や遠い昔である。

今では、主な市場は中東へと移っている。現地のフレグランスブランド(アブドゥル・サマド・アル・クラシ、ハインド・アル・ウードなど)の商品にもアンバーグリスは広く使われているが、そればかりでなく、財産を投げ打つことをいとわない富裕な族長たちが自宅のリビングに5kg級の塊を、あたかもマイヨールの名画でも飾るかのように展示している。ドバイやサウジアラビアでもこの「海の黄金」は人々を魅了してやまないが、それ以上にウードが人気を博している。レミ・プルヴェライユはどこか夢から覚めたような表情を浮かべながらこう語る。「おそらく、西洋の香水業界はもはや天然のアンバーグリスに用はないのでしょう。目下のところ研究され求められているのは、言わば標準的使用に適した香りなのです。といいますのもアンバーグリスは塊ごとの香りのプロファイルがあまりにも異なりばらつきが大きすぎるため、組みこむ対象としては実は『オーダーメイド』の香水くらいにしか適していないのです。そのような意味ではそうしたオーダーメイド香水は、こうして失われつつある香りが忘却されてしまわないようにするためのもの、あるいは、次第に標準化されつつある香水の退屈さをまぎらわせるためのもの、と言えるのかもしれません」。

翻訳:藤原寛明

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