多くの傑作、そして定番となるような香り、独創的で、洗練され、比類のない、そして何よりも美しいフレグランスが数多く生み出された1985年から95年は奇跡の10年と呼べるだろう。そのリストは「ルール ブルー (ゲラン)」のフォーミュラのごとく長大だ。すなわち、「プワゾン(ディオール)」「サーブル(グタール)」「ベラミ(エルメス)」「ルル(キャシャレル)」「エタニティ(カルバン・クライン)」「ファーレンハイト(ディオール)」「エゴイスト(シャネル)」「トレゾァ(ランコム)」「ケンゾー・プールオム(ケンゾー)」「エンジェル(ティエリーミュグレー)」「ロードゥ イッセイ(イッセイ ミヤケ)」「オ・パフメ オーテヴェール(ブルガリ)」「フェミニテデュボワ(セルジュ・ルタンス)」「CKワン(カルバン・クライン)」「プレジャーズ(エスティ ローダー)」……。市場に氾濫するありがちな低温殺菌香水とは一線を画する、もはや古典と化したかくも偉大な香りがなぜこのような限定的な期間に花開いたのだろうか。(大手香料メーカーのフィルメニッヒと、世界最大の化粧品会社ロレアルが導入した)消費者テストがこの時期には存在せず、ベンチマークもそれほど厳しくなかったからだという意見もあるが、その本当の理由とは、マーケティング・ディレクター、クリエイティブ・ディレクター、あるいはCEOなどといった、香りへのこよなき愛と調香技術への強い関心を示すとともに、優れた技術的素養を持つ、そのようなアーティスティック・ディレクターたちによってそれらの作品がもたらされたからなのだ。具体的な名前を挙げるとすれば、シャンタル・ロス、ヴェラ・ストルビ、ヴェロニク・ゴーティエ、パメラ・ロバーツ、セルジュ・ルタンス、モーリス・ロジェ、クリスチャン・アストゥグヴィエイユらである。香水という超大作で主演を張っているのは確かに調香師である以上、往々にして忘れられがちだが、香りは決してモノローグ(一人芝居)ではない。創作はタンデムでなされるわけであって、プロジェクトの全体像を把握しているアーティスティック・ディレクターが二次的な役割に甘んじることは決してない。アーティスティック・ディレクターと調香師とのあいだで交わされる対話、あるいは駆け引きの質によって、そしてやり取りの深度と強度によって、最も忘れがたい作品が生み出されることになるのである。
喜びの対象
「偉大な香りには魂が宿ります。そしてその魂を香りに対し与えることができるのは、ただアーティスティック・ディレクターと名づけられた、香りの依頼者にして創作者のみなのです」、クエスト・インターナショナル(2006年ジボダンにより吸収合併)元CEO、「エンジェル」制作キーマンとして知られるイヴ・ド・シリスはそう証言する。アーティスティック・ディレクターの役目とは、作るべき香りの輪郭を想像のなかで定め、アーティストたる調香師に自信と不屈の精神を吹きこむことである。長く持続するものに身を捧げたフレデリック・マルは「過剰な宣伝」の誘惑に負けることなく、美的振る舞いへの配慮を忘れず、仕事をきちんと遂行することで自身の香りのメゾンを築き上げた。このクリエイティブなダンディは新しくも懐古趣味的(ネオ・レトロ)な香りに情熱を燃やしていた(例えば「ユヌ フルール ドゥ カッシー」[2000年発売]のような、「毛皮のようなフローラル」は、ほとんど博物館的な、まさに古き時代を彷彿とさせる香水だ!)。そのグラマラスな魅力はセンセーショナルだった。映画監督フランソワ・トリュフォーにとっての俳優ジャン=ピエール・レオがそうであったように、フレデリック・マルにとって理想的であったもうひとりの自分(アルター・エゴ)たる調香師ドミニク・ロピオンは、類稀なる才能をもって時計仕掛けのごとく正確無比なフォーミュラを書いた。「ゼラニウム プール ムッシュー 」(2009年発売)はその多くをロピオンが負っていた。その制作にあたってのフレデリック・マルの役割について尋ねられると、この調香師はこんなエピソードを披露した。「彼は私をヴァンドーム広場の薬局まで連れていき、ボト・ウォーターを購入しました。十八世紀から使われている、息をすっきりさせるための口臭防止剤です。彼はそれが香りの出発点になると確信していました。そして彼は正しかったのです!」。もう20年来の仲であるにもかかわらず、ドミニク・ロピオンは、流行の堕落に対し抵抗する術を生得的に身につけている、フレデリック・マルというアーティスティック・ディレクターの見せる並々ならぬ没頭ぶりに面食らわされている。「試作を送ると、いつ何どきも的確なコメントをしてくれるんです」。このふたりのお茶目なパートナーシップからはすでに「ユヌ フルール ドゥ カッシー」「ポートレイト オブ ア レディー」「カーナル フラワー」「コロン インデレビル」「スーパースティシャス」「ザ ナイト」といった伝説的な名香が生み出されている。ふたりはどのような感じで対話をしているのだろうか。「友人同士のような感じですね。会うとすぐにくだらない話が始まるんです!それほどエスカレートすることはありませんが、そのようなところからアイデアは出てきます。そしてそれがいいアイデアであることもあるのです」、ドミニク・ロピオンは楽しそうにそう話す。コム・デ・ギャルソンの香水部門のアーティスティック・ディレクター、クリスチャン・アストゥグヴィエイユも同意する。「作家の苦悩に満ちた魂とか、制作プロセスに必要な苦しみとか、そういったものは私にはあまり信じられません!香りとは喜びの対象なわけですから、私は香りを作る段階から、喜びがその場を支配するように努めます。私の制作現場は常に笑い声で彩られています!」
原材料としての言葉
作家性の重視される高級香水の業界で確かなことがあるとすれば、それはセルジュ・ルタンスが守護聖人のひとりであるということだろう。彼の語る嗅覚の物語に魅了されたことのない者などいないのではないか。言葉数の少ないエレガントな調香師クリストファー・シェルドレイクと、この希代のストーリーテラーにしてマラケシュの審美家とのあいだに1992年来交わされたやり取りの力の正体を知りたくなってくる。この作家は「対話」という言葉は用いない。「私が始めたアプローチはこのジャンルにおいては類を見ないユニークなものでした。私は進むべき道を指し示す千里眼であるとともに、同時にひとりの盲人なのです。つまり各素材や名前、言葉を用いて何かに向けて手探りで近づいていき、ついで目を開き、鼻腔を開き、たどってきた道が確かに存在しているのを確認する。鼻こそが私の白杖(訳注:視覚障害者等が歩行の際に使用する白い杖)なのです!」。ルタンスは天然の原材料を知りつくしている。「それらがなければ、私の香りは存在し得なかったでしょう。モロッコや日本で見つけた素材を持ち帰ることもあります。1960年代に市場(スーク)から持ち帰った蝋を1990年代始めに「アンブルスュルタン」を作るときまで保管していたのがそうでした」。彼の作る、人を選ぶかのような内省的な秘薬は「フェミニテデュボワ」を生み出したような、こうしたマラケシュ的木工芸術の夢から始まることが多い。とても叙情的で、鮮烈な夢だ。ルタンスがいかにシダー(杉)と調和したあの美食的なノートを呼び起こしたかを、イヴ・ド・シリスは回想する。「私は甘ったるい木の香りを欲していたのです……。こう言ってよければ、木でできたケーキの香りを」。そのイメージは正しく、また強力だ。調香師ピエール・ブルドンの助けも借りながら、クリストファー・シェルドレイクはただルタンスによってもたらされたそのイメージを香りに翻訳すればよかった。つまり調香師はパートナーの言葉を必要とし、それによって創造性を解き放つのだ。「言葉というエッセンスへの詩的な反応がなければ、その香りには原材料が欠けているとさえ言えるでしょう」、そうセルジュ・ルタンスも認めている。クリスチャン・アストゥグヴィエイユもまた、調香師たちとの会話の関係を保ち続ける。「私は何も示しません。私は何も見せず、何も聞かせません。ただおしゃべりするだけです。それに私は、調香師に想像する余地をじゅうぶんに残すために、ごく短い指示書を好みます」。アーティスティック・ディレクターは技術的な仕様書を調香師と共有すべきなのかどうか?クリスチャン・アストゥグヴィエイユは迷いなく回答する。「調香師たちの言語システムにこちらが介入することには私は反対です。私の言うことを理解してもらい調香師を導くためには、私はもっとくだけた言い回しを用いるわけです。『憲兵の靴下みたいな匂いがするぞ!』といったようにね」。
クリスチャン・アストゥグヴィエイユ「私の言うことを理解してもらい調香師を導くためには、私はもっとくだけた言い回しを用いるわけです。『憲兵の靴下のような匂いがするぞ!』といったようにね」
常に鼻を優先する
パメラ・ロバーツが情熱を出し惜しむことはない。ラルチザン パフュームで1993年から2009年まで(このニッチ・フレグランスのブランドにおいていささか迷走的で自由奔放だった時代)クリエイティブ・ディレクターを務めた彼女は、自らの信条を公然と示す必要性を常に訴え続けてきた。「私が取り憑かれているのは、メゾンは常に、もうひとつ進んだ考えを持っていなければならないということです。すなわち、調香師を優先せよ!という」。彼女は指示書を作り、起用する調香師を選ぶ(アン・フリッポ、ベルトラン・ドゥショフール、オリヴィア・ジャコベッティ、ジャン=クロード・エレナ、あるいはカリーヌ・シュヴァリエら)。「私はフランスを代表する調香師の一人モニック・シュランジェから原材料に関する手ほどきを受けていますが、自分に調香師の補助ができるとは思っていません。私はガイドに徹します。何も強制はせず、ただ調香師が道に迷うことを防ぎます」、そうパメラ・ロバーツは明かす。彼女がオリヴィア・ジャコベッティにあの「自然主義的な」香り、「プルミエ・フィギュイエ」(1994年発売)の制作を依頼したとき、彼女のアイデアは葉から果実、樹液や幹にいたるまで、樹木全体の物語を語るというものだった。数年にわたって彼女は物語のあらすじのようにして香りを書いては調香師に提供し、これまでにはなかったそんな遊び心に満ちた詩学によって彩られた香りの物語を世に広めた。「ジング!オードトワレ」(1999年発売)を思い描きながら、彼女の目(そして鼻)の前ではサーカスのショーが繰り広げられていた。パメラ・ロバーツはオリヴィア・ジャコベッティに、サーカスで代わる代わる演じられるたくさんの出し物のような(道端のおがくず、甘いキャラメル、虎の匂い、馬具のハーネスの革などといった)ノートからこの香りを構成するように指示を書き送った。メタファーに満ちた香り。ボトルはサーカスのテントの形をしており、今にも客引きの呼びこみが聞こえてきそうだ。この香りは360°どこから見てもアーティスティック・ディレクターのビジョンから生まれている。そしてそのときの気分によって異なる香りを楽しめるボックスセット「ソート・デュムール(気まぐれ)」について、それがひとつのビジョン、ひとつの夢見から生じたものでないとしたら、それはいったい何と言えばよいのだろうか。そして「デスィヌ・モワ・アン・パルファン(香水を描てみせてよ)」は言わば画家のパレットのような作品で、小さな絵筆を使って肌の上で異なる香りを混ぜ合わせることができるというものだが、彼女にとって不可能なものは何もないかのように見えるのは、彼女がもともとは香水の業界ではなく美術出版関連の出身だったというのも関係しているのだろうか(社長のマリー・デュモンもジャーナリズムと広告畑出身だ)。「それはあると思います。私たちが既存のものを参考にする誘惑に駆られることなく前進し、創作する方法には確かにある種の素朴さがありました。そしてそのことは私が調香師たちに伝えようとしていたことでもあります」。
セルジュ・ルタンス「「私の加える衝撃がその香水の原理そのものとなるのです。そこに対話はありません。私がペンのインクだとすれば、クリストファーはそのインクを受け止める便箋ということになるでしょう」
役割が入れ替わることも
すでに26もの香水を共同執筆しているとなればもはや老夫婦の域であろう。ジボダンの調香師で大ヒット作「ジャドール」の作者であるカリス・ベッカー。そしてキリアン・ヘネシーは名の知れた御曹司であるとともに、モーリス・ロジェ時代のディオールの崇拝者でもある。ベッカーはブランドの専属調香師ではないが(シドニー・ランセスール、ファブリス・ペルグラン、アルベルト・モリヤスらがこのブランドとの複数の調香契約を結んでいる)、この「バイ・キリアン」のクリエイティブ・ディレクターとは10年来の付き合いだ。ふたりはそれぞれの仕事ぶりを知っているばかりでなく、互いの願望、好み、嫌いなものまで知り尽くしている。創作のプロセスは確固たるものとなっている。両極が逆転することや、ふたりの役割が入れ替わることはあるのだろうか。「『インペリアルティー』はカリスのアイデアでした。ジャスミン・サンバック、ベルガモット、ガイアック・ウッド、マテ茶、バイオレットといったものから、湯気が立ちのぼる一杯のジャスミンティーの香りを具象的なリアリズムで再現しようとしたのです。したがって指示書はなく、私はただただ彼女のストーリーに引きこまれるままになっていました」。ヘネシーは、自分の役割は調香師の興奮状態をやわらげることだと思ったかもしれない。「私は他とは決して競争させないことで調香師たちの平静を保つようにしていますが、提案されたものに対してはより直接的に反応します。それゆえ私がカリスに対し、君の提示してきたものは綺麗すぎる、もっと歪ませなければ、とコメントする、というようなことが起こるわけです。私は完璧な美に対し恋に落ちることはないと信じているのです!」。それゆえ奔放な気まぐれさが、熟慮された慎重さの影に隠れて潜んでいることもある。あふれるエネルギーと無限の好奇心を持ったキリアンは作家の仕事に対しほとんど畏怖とも言える尊敬を抱いている。それにはカリス・ベッカーも同意見だ。「最悪の場合は彼が私と対立しているときで、そんなとき私は彼が私に向かってこう言うのを聞くことになります。『ちがうんだ!私の顧客のためにそう言ってるわけじゃない!』と」。クリエイターとして成功をおさめた彼は最終的には2016年2月、巨大企業エステー・ローダーに自らのメゾンを売却する。他の人々よりもずっと前に、香りつきのジュエリーやカプセル入りのランジェリーに関しても彼は取り組んでいた。
ここで注意しなければならないのは、アーティスティック・ディレクターは香りについて思案をめぐらせるが、それだけでは十分ではないということだ。香りにつける名前からボトルの曲線にいたるまで、それらすべての付随事項がアーティスティック・ディレクターの領分なのである。クリスチャン・アストゥグヴィエイユはファッションデザイナー川久保玲の依頼を受け、彼女の型にはまらないファッションを香水に変換した。最終的にはアーティストは容器をも創造する。「どのメゾンも垂直的なボトルを作ろうとしていたところ、われわれはボトルを寝かせてあのような小石を作ったわけです」、そうアストゥグヴィエイユは回想する。
すべては指示書のなかに
指示書の技法は繊細である。筆を手に取り神託を伝える者もいれば、口頭で熱弁することを好む者もいる。それが気取ったデモンストレーションに陥るのを避けるため、クリスチャン・アストゥグヴィエイユは以下のようなサプライズを演じた。「『オドゥール71』(複数の原材料と組み合わされた日常生活における71の匂いのレパートリー)の打ち合わせで、私は大手香料メーカーIFF(インターナショナル・フレーバー・アンド・フレグランス)のチームに19時に彼らのオフィスに集まるようお願いしました。私はコピー機がどこにあるのかをたずね、一日じゅう使われ熱を帯びていたその機械の匂いをかぐよう調香師たちに言いました。そして彼らに向かってこう言うのです。『指示書を待っていたんですよね?これがそうですよ!』と」。このように力関係が不安定に拮抗するなかで、一方が他方に対し権力を持つということも起こり得るのだろうか。率直に言って、民主主義はここではほとんど問題にならない。ビジョンをもたらした者が最後まで権力を保持するのである。その香りに統一性と一貫性を与えるためにも。セルジュ・ルタンスはこう美しく説明する、「私の加える衝撃がその香水の原理そのものとなるのです。そこに対話はありません。私がペンのインクだとすれば、調香師のクリストファーはそのインクを受け止める便箋ということになるでしょう。そして香りがわれわれふたりを導くのです」。そう。アーティスティック・ディレクターの才能とは、いかに調香師が自暴自棄に陥るのを防ぎつつ彼らを放任し、リラックスさせられるかということにあるのである。香りの肖像を素描し、メゾンの培ってきた規範の真髄と正当性に対し敬意を払いつつ、香りのテンポと終わりを定義する。しかしながらグラース出身の調香師ミシェル・アルメラックを始めとして、今やその名に値するアーティスティック・ディレクターが存在しないと嘆く者たちもいる。「少し風が吹いただけでびくびくと震えあがる、私たちが関わっているのはそのような連中なのです」。そんなアルメラックが懐かしそうに思い出すのは、モーリス・ロジェ(ディオールCEO、1982年から96年まで)のことだ。「彼は香りというものを、特にその構造を理解したがっていました。彼は毎回調香師たちといっしょになって匂いをかいでいました。何よりも彼は自らの考えにこだわり抜き、すべてに興味を持ち、すべてに関与しました。ディオールの名香『ファーレンハイト』を制作していたとき、私は思い出すのですが、メチル・オクチン・カーボネイト(スミレの葉のグリーンなノートを引き出す物質)の使用に法的規制がかかりました。彼はこの措置に強い反抗心を燃やしました。そのため、彼は3つの研究所で独自のテストを行い、製品が無害であることを証明し、その成分をそのまま高い割合でフォーミュラに保持しました」。一方で、アーティスティック・ディレクターの真の才覚とは、いかに自分の存在を消せるかにかかっている、といった主張もある。「私が自分のメゾンを作ったとき、すなわち調香師が自作に署名すらしないひとりの実行者にすぎなかった時代、私はその調香師という存在を再びすべての中心に据えたいと願いました」、そうフレデリック・マルは回想する。まさにいま、アーティスティック・ディレクターという役割および機能が再定義される必要があるのではないか。というよりかは、それを再び蘇らせる必要があるのではないか。アーティスティック・ディレクターがいなければ調香師は孤独なままだし、展望もなく、夢もなく、願いもないままだろう。そしてその存在が蘇ればこそ、古典になるという崇高な野心を抱いた偉大な香水たちがいつか再び10年の歳月をかけて花開くのではないか。私たちはいつだって夢を見ることができるはずだ。