ADDICTIVE SUBSTANCES

Illustrations: Pauline Nuñez

『依存物質と香水』

「イヴレス(酔い)」「ディオール・アディクト(中毒)」
「オピウム(アヘン)」「オブセッション(強迫観念)」......
これらの名からも明らかなように、
ときに違法な製品との関連性がほのめかされるなど、
香水は中毒症状を引き起こすものであるというイメージが演出されてきた。
しかし香水は本当にそのような依存症の原因となり得るのだろうか?
ひとつ確かなことがあるとすれば、
他ならぬ香水それ自体がアルコールに依存しているということだ。
その起源において香りは薫香、
すなわち煙と関連づけられたものではあったものの、
香水業界はまさにこのエタノールによる製造技術が発明されたことで
大きな発展を見たのである。
犬の嗅覚が麻薬の追跡に重宝されることにも注目すべきであろう。
タバコ、そしてアルコール。
ドラッグに関してもソフトなものからハードなものまで。
こうした中毒物質と私たちの嗅覚とのあいだには
いったいどのような関係があるのだろうか。

By Eugénie Briot

アルコールの歴史

ウジェニー・ブリオ

十二世紀、西洋における蒸留法の導入にともない発見されたエタノールは以後、結合剤として、あるいは成分として、そして何よりも原料の抽出に不可欠な物質としてじょじょに浸透していった。今やいたるところに見出されるこの物質の、その起源と歴史について記す。

1300年ごろ、モンペリエ大学医学部教授のアルノー・ド・ヴィルヌーヴは古くなった赤ワインから「アクア・アルデンス(燃える水)」を蒸留し、これを新たな治療薬になり得るものとして自著『解毒剤集(アンティドタリウム)』のなかで紹介した。この液体は「体のしびれに顕著な予防効果を発揮するとともに、多血症を軽減し、負ったばかりの傷をも即座に癒すもの」とされた。この革新の背後にはその20年前にボローニャで発明されていたひとつの新技術があった。冷水によって常に冷却される蛇菅を使用した、水冷式蒸留器である。かくしてアルコールの黎明期は始まったのであった。

蒸留技術はまずは東洋で発展し、それからアラブ世界の書物の翻訳や錬金術とともに十二世紀に西洋に入ってきた。香水と薬学にとっての新たな時代の到来である。なおこの香水と薬学の切っても切れない関係は十九世紀まで続くことになる。この技術によって動物や植物の処理を通してハイドロラット(すなわち蒸留された植物の水、フローラルウォーター)を取得することができ、特にローズ・ウォーターに関しては中世において薬や料理に重宝された。なお精油が収集され始めるのは後のルネサンス期に入ってからで、それまでは精油は使われることなく廃棄されていた。

一方で発酵飲料の蒸留が十二世紀なかばごろから行われ始め、それによってその発酵飲料のなかに含まれるエタノールが分離できるようになった。これはアルコール性薬剤の誕生へといたる最初の一歩と呼ぶべきもので、まさにこのエタノールによって消毒・殺菌作用がもたらされることになる。アルコール蒸留器の器具であるアランビックはその名の通りアラブ起源ではあるものの、アルコール蒸留それ自体はイタリアのサレルノで始まったと見られている。 エタノールの沸点は78℃と水よりも低い。その78℃まで混合物を加熱することにより、他の成分よりも多量のエタノールがアランビック内で蒸発する。そしてそのアルコール性の蒸気が蛇菅のなかに集められて冷却(1280年ごろに生まれた新技術だ)、そして凝縮され、それによって混合物の残りの成分から分離されるというわけだ。得られた液体の主要成分は当然エタノールであるわけだがそこには植物の残留物も含まれており、その残留物こそが特徴的な風味と香りをその液体に与えているのである。近代化学が登場するまでは、その液体は「酒精」あるいは「生命の水」という名で呼ばれていた。この一連の操作を繰り返すことで、使用するアランビックの種類や形状に応じて、より高濃度のアルコールを抽出することができた。

この生成プロセスの技術的難度の高さも、その新奇なる液体への人々の興味をかき立てる一因となった。より象徴的なのは次のふたつの要因だ。すなわちその効能が確かなものであったにもかかわらずその原理が長いあいだ謎に包まれたままであったこと、そして外見的には水であるのに実は可燃性であるという、そのような相反する性質が奇妙に統合されているということも、この液体のさらなる成功に拍車をかけたのであった。さらに薬剤や香水の結合剤としても優れているということも明らかとなり、その高い揮発性によって匂い分子を効果的に気化し拡散させる役割も果たした。

良き肌つや、良き吐息

1500年に出版された『自然素材の蒸留技術に関する書(リブリス・デ・アルテ・ディスティランディ・デ・シンプリシブス)』において、アルザスの薬剤師兼外科医、ジェローム・ブルンスウィックはさまざまな動植物から得られた305件にもおよぶ蒸留物に関する記述を集めている一方で、ワインの蒸留から得られる生命の水についてはそこでは言及されていなかった。ところが(著者の死後から約15年にあたる)1527年に公刊された英語版に付された補遺には、その生命の水が持つとされる効能について記されていた。曰く、生命の水は「寒さによってかかった病気(風邪)」や歯の痛みをやわらげるとともに、記憶力を強化することによって物を忘れにくくし、消化を助け、肌つやを良くし、吐息を爽やかにし、さらには潰瘍や狂犬による噛み傷、悪臭を放つ裂傷をも治癒する力を持つとされた。

アルコールがいかに作用するかというメカニズムに関しては、十九世紀後半にロベルト・コッホ、ジョゼフ・リスター、ルイ・パスツール、イグナーツ・センメルヴェイスらが無菌法や殺菌法について研究しその知識が普及するまでは理解されてはいなかった。とはいえ仕組みが理解されるまでもなくその効果は明白で、ますます多くの製品がその特性を利用するようになったのだった。アルコールはより身近なものとなっていき、やがて修道院がその広大な薬草園を資源として作り上げる、さまざまな治療薬のベースとして定着していった。1611年にパリのヴォージラール通りで修道士たちが作り始めた「カルメル会のメリッサ水」がその例だ。それをもとにしたいくつものバリエーションが、十九世紀末ごろまで、ボルドー、マルセイユ、フェカン、そしてパリに数多く存在していた。そのうちパリで製造されていたものに関しては1830年ごろ薬剤師のボワイエによって再び生産され始め、今日にいたるまでなお販売され続けている。 芳香植物や柑橘類から作った浸出液や蒸留物のなかで十七世紀に最も好評を博したものとしては、やはり「ハンガリー王妃の水」をおいて他はないであろう。架空の女君主を名指したその水は、ローズマリーの花をアルコールに浸けて蒸留することによって得られるものである。万能薬としての効能を持ち、ルイ14世の侍医を務めたアントワーヌ・ダカンがこれを愛用した。セヴィニエ侯爵夫人は1675年から1690年までの書簡のなかでのべ15回にわたりこの水の名を挙げて、その効き目を絶賛した。「ほとんど神がかっていると言えましょう……[...]まるでタバコのような中毒性。一度それに慣れてしまったら、たぶんもうそれなしではいられません。憂鬱なときに使うとよいでしょう」。

「言葉と意味」

CH3-CH2-OH。すなわちエタノール、エチルアルコール、あるいは単に、アルコール。アラビア語の「アル・ホール(al-khôl)」に由来するこの語は、もとは目に化粧を施すと同時に保護する役割も果たす、アンチモンの粉を指す言葉であった。この語義のなかに認められる繊細さと純粋さといったイメージから、また別の意味が派生するのが十七世紀以降見られるようになる。「精製された酒の精」、すなわち発酵飲料を蒸留することによって得られる最も高度に精錬された産物、という意味である。十九世紀になり有機化学が発展するとこの語は次のような科学的な意味でも使われるようになる。すなわちエタノールに含まれ、酸素原子と水素原子を結びつける官能基「-OH」を持つ一群の分子を指すようになったのである。

油脂から香りを取り出すこと

しかしながらその十七世紀末においてはまだ比較的アルコールが希少であったため、アルコールをベースにした治療薬はまだそこまで多くはなかった。一方イタリアでは柑橘類のアルコール抽出物が、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラを始めとした十六世紀の修道院で日の目を見ていた。このとき生まれた「奇跡の水」はその後長い歴史を歩むこととなり、後継作のひとつは十八世紀初頭のケルンで作られることになる。アルコールの大量生産が可能になるのは次の十九世紀まで待たなければならなかったものの、そこで生まれたこのケルンの水こそがまさに現在「オーデコロン」という名称で呼ばれているものの原型であり、世界中で広く人気を博することになる。異なるさまざまな呼称をつけられるとともに、さまざまなフォーミュラで作られ、ときにこのライン川河口の都市とはまったく関係のない土地で生産されることもあった。今述べたようにエタノールが工業的に生産され始めたのは十九世紀後半からであるわけであるが、それにより単に利用可能な量が増加しただけではなく、より高濃度な新たなアルコールが誕生し始めたのであった。アルコールの濃度は溶解力に直接関わってくるものである。従来の「3/6スピリッツ」はアルコール度数86°で、さまざまな成分の浸出液やチンキ剤を作るために使われていた。またこの「3/6スピリッツ」とポマード(ここではアンフルラージュによって花の香りを染みこませた油脂、すなわち香脂を指す)とを合わせ撹拌すると、より香りの純度の高い「ポマード・エキス」という名の製品が得られることになる。

フランス南部のグラース地方に設立された初の蒸留工場では(精留や分別蒸留によって可能な最大濃度である)96°のアルコールが生産され、かくして誕生したこの中性かつ無臭のアルコールはこの地方の産業に新たなる応用の可能性をもたらしたのであった。というのもそれまでエタノールは薬の結合剤や成分として使われていたわけであったが、より高濃度なアルコールが先述した香脂との撹拌、すなわち洗浄をより効率的に進めることを可能とし、香りの原料を抽出するためのものとしてエタノールはもはやなくてはならない存在となったのである。強力なアルコールを使用し油脂から香りを抽出するこの新たな洗浄方法は、特にジャスミンとチュベローズの処理においてアンフルラージュの技術に大きな発展をもたらした。洗浄によって油脂から香り成分が移ったアルコールがその油脂から完全に分離されると、さらにそのアルコールの上澄みがだけが移し取られ、それが冷却され、濾過され、そうして純度の高い香り成分が抽出される。そして1873年ごろになるとルイ=マクシマン・ルールがその冷却したアルコールをさらに真空下で蒸留することによって、初の「花のコンクリート・エッセンス」を作り出したのであった。

水とはちがって原材料の溶媒として優れるとともに、油とはちがって肌と接触後すぐに蒸発する。

税制との駆け引き

こうして十九世紀以降、香水産業においてアルコールが大量に使用されるようようになったわけだが、これにはその香水とアルコールの使用をめぐる歴史と構造が大きく関係していた。アルコールをストックしておくことは火災や爆発の危険と常に隣り合わせのものであったため、1810年10月15日に発令された、危険・非衛生・迷惑な施設に関する法令により香水製造所は住宅地から離れた場所に、実際にはパリ近郊の比較的人口が少ない地域に建設することが義務づけられた。そのためこの法令により製造所の第一の移転ラッシュが始まった。

これには原材料としてのアルコールの価格も大きく関わっていた。特に問題となっていたのはアルコールにかかってくる税金に関してであった。アルコールはパリに入ってくる物品に対して課される入市税の対象であったが、税金が課されるエリアの外に拠点を置くことでこの余計な支払いを避けることができた。ところが1859年になるとパリ市が拡張され、旧来の境界と隣接していたオートゥイユ、ラ・ヴィレット、ベルヴィル、ベルシーなど11のエリアがパリ市内に飲みこまれる形となり、その結果入市税は当時広大な範囲を取り囲んでいたティエールの城壁(パリ全域約80k㎡をカバーした名高き城壁だ)よりなかへ入った時点で課されるようになったのであった。そしてこの拡張によって第二の移転ラッシュが起こった。香水製造業者に好まれたのはパリ北方に位置する都市であった。課税を回避できながらパリのグラン・ブールヴァールに軒を連ねるブティックとも近い距離が確保できるからだ。『1850年から1910年におけるパリの香水業者の歴史』(シャン・ヴァロン社、2016年刊)のなかでロジーヌ・ルールーは、まさにその条件に適した地域であるパンタンからヌイイにかけて、1885年には23もの香水や石鹸の製造工場が存在していたことを記している。その地理的状況は今日においてもなお引き継がれ、事実同地域では今なおこのこの産業が盛んである。

フランス国内に限った話で言えば同じく十九世紀、香水用のアルコールに対し食品用のアルコールと同じ税率が適用されているということに対し、香水業界側の実業家たちから不満の声が噴出した。例えばオーデコロンなどにいたっては商品にかけられた税の総額がその商品の価格を上回るというケースさえあった。関税も上乗せされるぶん、こうした重い課税は輸出にも大きな影響を与えた。この問題は香水業界が長期的に団結するきっかけを作り、こうして1890年6月25日、業界の利益を守るという目的から、エメ・ゲランを会長とする約30人からなるメンバーにより「フランス香水同業者組合(Chambre syndicale de la parfumerie française)」が結成されたのだった。

飲料用アルコールとして課税されてしまうのを防ぐために、それ以外の目的で使用されるアルコールに関しては現在では「変性処理」が施されるようになっている。つまり苦味のある(場合によっては吐き気を催すほどの)成分を加えて、飲料としては消費できない状態にしてしまうのだ。この変性アルコールは香水に使用される際は必ず無臭であることが義務づけられており、それはビトレックスの商品名で知られるデナトニウム・ベンゾエートのことを指している。つまりこの添加物と(欧州規制によって定められている)tert-ブチルアルコールが96°のエタノールと混ぜ合わせられることによって香水が作られるのである。

いくつかの議論

この96℃のエタノールは今日でも依然として大きな役割を果たしている。原材料の処理および加工、とりわけアブソリュートを作る際には不可欠で、揮発性溶剤によって植物から抽出されたコンクリートの洗浄に役立てられる。上質な香水においてはその基礎をなすベースとしても使用される。水とはちがって原材料の溶媒として優れるとともに、油とはちがって肌と接触後すぐに蒸発することにより香りだけをその上に残すことができるからだ。しかし一方では皮膚の油脂を奪い肌を乾燥させるものだと信じる消費者もいるようで、使用を疑問視する声も上がっている。さらには教義によって飲酒を禁じられているイスラム教徒の消費者たちからは、他ならぬそのアルコールを化粧品に使うというのはいかがなものか、といった疑問まで口にされているようだ。

そうした背景から近年ではこのアルコールだけに頼った状況を見直す動きもあり、実際オフィシーヌ・ユニヴェルセル・ビュリーやエルメティカ、サベ・マソンといったいくつかのブランドはアルコール不使用での商品作りをアピールポイントとする一方で、シャネルもまた2016年に限定版として発売したスティックタイプの香水「ココ・マドモワゼル」のなかで新しい溶剤の使用を実験的に試みた。ジボダン・高級香水応用ラボラトリー所長を務めるジャン=リュック・タルブリエッシュによればそのような新しい溶剤の候補としてはさまざまな形のものが考えられるという。例えば香油やコンクリート(すなわち固形のフレグランス)など、一部のあいだで昔から使われてはいたもののあくまでひっそりと使われていたにすぎなかったものがある一方で、アルコール不使用の水溶液などは比較的最近登場し始めたものとは言え、今や夏用の商品や子供用の香水に限らずより広い用途で使われるようになっている。こうした水溶性ベースはアルコールを用いる場合よりも多量の溶解剤を必要とするものでありながらも近年ではその組成は進化し、べとつくことのないなめらかな質感を実現している。同じようになめらかでドライな肌触りの香水ジェルは、脱アルコールへの道を模索する中東のブランド市場で5年ほど前から好評を博している。 とはいえ現実的に見て、やはりアルコールは実践的にも象徴のレベルにおいても香水の歴史のなかに何世紀もの時間をかけながら深く根づいてきたわけで、この特権的な地位に他の何かが取って代わるというのは考えがたい。

翻訳:藤原寛明

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