連載【私の鼻】アートディレクター 緑川雄太郎さん 〜 #07 香りを“読んで”世界と出会う 〜
各界で活躍する目利きのプロフェッショナルたちが気になる香りを深堀りする本連載。第7回は、コンテンポラリーアートの分野で、さまざまな展覧会を手がけるアートディレクター 緑川雄太郎さんに登場いただきました。2023年12月〜2024年1月に開催されたイベント「Study:大阪関西国際芸術祭 vol.3」において、緑川さんが手がけたプログラム「STREET 3.0:ストリートはどこにあるのか」では、「香水」を1つのハイライトとし、展覧会「AP」を開催。NOSE SHOPの一部ブランドを提供させていただきました。20年近いアートディレクターとしての活動内容や「AP」に込めた思い、香水の最先端として「アートパフューマリー」に着目した理由などを伺いました。
展覧会とは、一瞬の生である私たちが、永遠のものとつながる接点
ー緑川さんは20年近くアートディレクターとしてご活躍されています。そもそもアートディレクターとはどのようなお仕事なのか教えていただけますか?
一般的にCMやポスターなど、広告の分野で活躍するアートディレクターが有名かもしれませんが、私はアートの展覧会においてコンセプトやビジュアルデザインなど、総合的に指揮するディレクターをしています。全体の責任者であるプロデューサーとともに、展覧会を構築する役目を担っています。展覧会は画家や写真家といったプレイヤーをはじめ、設営や照明、広報などさまざまな分野の人たちの手によって成り立っています。みんなで面白い空間をつくり上げるために、アートディレクターが指揮を取るといった感じです。
ーアートディレクターという道へ進むことになったターニングポイントを教えてください。
大学で現代思想を研究していたのですが、あらゆるモノやコトの構造がすべて同じだと感じ、何事にも感動しなくなってしまって。今思うと、若気の至りなのですが…。そこで、今までの概念を覆すものに出会いたいとニューヨークへ行き、出会ったのが「コンテンポラリーアート」でした。以降、コンテンポラリーアートを追求し、自ら展覧会を企画するようになりました。
ー当時実績のない状態から、アートディレクターとしてどのように最初の一歩を踏み出されたのでしょうか?
勢いと熱意ですね(笑)。最初に手がけたのは、2008年の「自殺展」でした。当時、自殺が社会問題として認識され始めていたのですが、自殺に目を向けた美術表現は少なかった。そこで、さまざまな作家にコンセプトを説明し、現代美術家の会田誠さんをはじめ、賛同してくださった方に作品を出品していただきました。無名の私が会田さんに依頼するなど恐れ多いことですが、知人に紹介してもらい、ご自宅に伺って大汗かきながらお願いしたことをよく覚えています。仕事に限らず、何事も正面からぶつかっていくしかない。「はじめまして」とあいさつして初めて、すべての物事は始まると思っています。
ー緑川さんがアートディレクションを手がける上で、最も大切にしていることはなんですか?
「アートがどうしたいのか」を一番大事にしています。アートディレクターやアーティスト、鑑賞者といったそれぞれの欲望よりも、アートの欲望を優先しています。私の解釈では、アートって姿形はなく、その正体は謎。人間には知覚できない何かだと思います。私たちアートディレクターは、膨大なアートを体験することによって知識や興味関心が深まり、アートを見ると「どうしたいか」がわかるようになるんです。もちろん、その観点は人によってさまざまですけどね。
美術評論家のボリス・グロイスは、アーティスト自身は第一の身体で、作品は第二の身体というようなことを述べていますが、私は逆だと思っています。アーティストは第二の身体で、作品こそ第一の身体だと。私たちの身体はテンポラリー、つまり一時的に過ぎないですが、作品はその限りではない。だから、私たちはアートの奴隷なのではないか、そんな考えを持っています。
そもそも、コンテンポラリー(contemporary)という言葉には、共存(con)と時間(tempo)といった意味があります。私が目指す展覧会は、一瞬の生である私たちが、永遠のものとつながること。“永遠の一瞬”という次元や空間を、どのように展覧会で表現できるかを常に追求しています。
MOCAF (2021). Courtesy of the director. 2021年3月11日14時46分、福島県の富岡町に誕生したミュージアムMOCAFのエントランス(モカフ / Museum Of Contemporary Art Fukushima)。緑川さんら福島県出身の有志で手がけた。
ーアートディレクションではなく、緑川さんがアートを鑑賞する際に大事にしていることはありますか?
「惹かれないこと」が私にとっては重要です。いつも展覧会を鑑賞したあとは、「最も自分が何も感じなかった作品」をチェックするんです。感動するということは、そのアートの“言語”を知ってるということだから、それ以上伸び代がない。一方、何も感じないということは、私がそのアートの“言語”を知らないということだから伸び代がある。そういうものに出会えたときは、単純にワクワクしますね。そして、「教えてください」という謙虚な気持ちでその背景を調べながら、未知のアートへの理解を深めています。
YAP, THE KEYWORD GIVES YOU A KEY (2021). Courtesy of the artist. アート集団「YAP」によるグループ展「UPDATERS: X ARTISTS WHO UPDATE HUMAN」のディレクションを担当。
香りを「読む」ことでアートパフューマリーの世界と出会える
2023年12月〜2024年1月に開催されたイベント「Study:大阪関西国際芸術祭 vol.3」で、展覧会「STREET 3.0:ストリートはどこにあるのか」(以下、「STREET 3.0」)を開催。グラフィック、アルゴリズム、書道など、展覧会を構成する全9つのハイライトの内1つを<香水>とし、展覧会「AP」が開催されました。
ーハイライトの1つとして<香水>を選んだ理由を教えてください。
以前から、香水はずば抜けて面白いと個人的に感じていたんです。また、一般的に「ファッション」という位置づけにある香水が、近年、「アート」として捉えられ始めている気配を感じたのも大きな理由です。展覧会「STREET 3.0」のコンセプトは、アートフェアと芸術祭をつなぐテーマとして「ストリートとアート」を再定義すること。その一環で、香水の最先端である「アートパフューマリー(Art Perfumery)」を取り上げ、「AP」と名づけました。ストリートのアートと香水は、一見遠い組み合わせですが、ストリートで不意に誰かの香水にハッとすることってありますよね。また、日本には香道といって香りを鑑賞する芸道もある。ストリートという言葉をより広い意味で「道」と捉え、展覧会を構築しました。
AP (2023). Courtesy of the director. 展覧会「STREET 3.0:ストリートはどこにあるのか」。全9つのハイライトの内1つを「香水」とし、展覧会「AP」を開催。香りの道を空間で表現。
ー展覧会「AP」は、香水の中でもアートパフューマリーに焦点を当て、<香りを「読む」>という表現をされていたのが印象的でした。なぜ「読む」としたのでしょうか。
香道の世界では、香りを「聞く」と表現するように、動詞を変えると、その対象に向き合う構造が変わるんです。「読む」ということは、文字や記号の意味、ひいてはストーリーを理解します。アートパフューマリーにはそれぞれストーリーがあるので、「読む」ことで鑑賞者が香りという異次元の空間にスッと入れると考えました。
アートパフューマリーを「読む」とき、鑑賞者の意識に何かがのぼれば素晴らしいこと。私が感知しなかったことでもいい、その人なりに何かを感じてくれるといいなと思いました。実際、私が尊敬する方が「AP」をご覧になって、「全てのハイライトの中で一番面白かった。香水の可能性を感じる」と仰っていました。香水にそこまで興味がなくとも、展覧会という空間によって意識が変わる。改めて展覧会の意義を実感した瞬間でした。
ー「AP」では、ビジュアルやストーリー、香りにおいて革新性を持った3つのアートパフューマリーをNOSE SHOPから提供させていただきました。この3つの香水に対して、それぞれ抱いた緑川さんの感想をお聞かせください。
最初に出会った衝撃のアートパフューマリーが「Zoologist(ズーロジスト)」の「スクイッド|イカ」でした。そもそもコロナ禍でサウナにハマって自宅にサウナをつくり、ユーカリの精油を使い始めてから、「香りってすごい!」とその奥深さに惹かれていきました。そして、色々調べて出会ったのが、「スクイッド|イカ」に関するNOSE SHOPさんのマガジン記事でした。夜の海でクジラに飲み込まれたイカの群れが、数十年後に竜涎香になったというストーリーと香りがマッチしていて、嗅ぐと異次元に連れていかれる。私にとって、とてもメモリアルな香りです。
(画像下)「Zoologist」は香港生まれ、カナダ育ちのヴィクター・ウォンが2013年に立ち上げたニッチフレグランスブランド。「ズーロジスト=動物学者」の名の通り、動物たちの独自の特徴を香りで表現。ベースに希少性の高いアンバーグリス(竜涎香)を使用し、甘さと独特の塩気が香る。Zoologist スクイッド|イカ(エキストレド パルファム)60ml 27,500円
次に出会ったのは、「Etat Libre d'Orange(エタ リーブル ド オランジェ)」の「ラ ファン デュ モンド|世界の終わり」。2年前、「Etat Libre d'Orange」のパリの本店に行き、香水のガチャがあったので試しにやってみたところ、「ラ ファン デュ モンド|世界の終わり」が出ました。「ART AFTER HUMAN」という人類以降のアートについて考えている私からすると、「世界の終わり」という名前に心を鷲掴みにされました(笑)。何とも不思議なご縁ですよね。ノスタルジックな香りも好きです。
「Stora Skuggan(ストラ スクガン)」も同様に、「シルフィム|絶滅した薬草」という商品名に惹かれました。香水を通じて、さまざまな絶滅危機にある生き物について考えられることが興味深いです。NOSE SHOP 銀座で実際に試したのですが、肌につけるよりもムエットで嗅ぐほうが、個人的には好きな香りでした。アートと同じように、距離感によって香水も感じ方が変わるんだという発見がありました。(画像左)「オレンジ自由国」を意味する「Etat Libre d'Orange」。比喩や皮肉を駆使して、香りの名前をつくり出すことに定評がある。規則を破り、反抗し、ただ存在するためにつくられた危険な“香りのジュース”。映画のストーリーのようなまだ見ぬ世界の終わり、それは映画館で香るポップコーンを想起させる。キャラメルポップコーンのような香ばしい甘さが特徴。Etat Libre d'Orange ラ ファン デュ モンド|世界の終わり(オードパルファム)100ml 22,000円(画像中央)2015年スウェーデンで創設した「Stora Skuggan」。香水の調香からブランディングまですべての生産を手作業で行う。ブランド名は「心に宿る影」を意味し、美しい神話や伝説、物語から香りを生み出す。最も価値あるスパイスとして栄華を誇り絶滅した古代植物・シルフィムを、シスタス、シナモン、フランキンセンスなどで再現。 Stora Skuggan シルフィム|絶滅した薬草(オードパルファム)30ml 24,200円
ー展覧会「AP」を終え、香水に対する興味や関心は変わりましたか?
さらに高まりましたね。それまでは1人で黙々と香りを楽しんでいましたが、「AP」でパブリックな香水の空間をつくり上げ、ブランドやアーティストの世界観を伝えることができた。それを楽しんでくださる人がいたことに喜びを感じました。
アートパフューマリーにはまだまだ私が知らない“やばい世界”があるはずなので、今後も追求していきたいですね。どんな異次元に連れていってくれるんだろうと興味は尽きません。
アトリエと油絵の具。父を思い出すノスタルジックな香り
ー緑川さんにとって、これまで1番馴染みの深い香りや匂いを教えてください。
油絵の具の匂いですね。あと、油絵の具の粘土や濃度を調整するのに使うテレピンという油の匂いも馴染み深いです。父親が絵描きなので、毎日のようにアトリエにこもって絵を描いていて。アトリエに遊びに行くと、いつもその匂いがしました。今も油絵の具の匂いを嗅ぐと父を思い出し、懐かしくなります。
ー今、緑川さんはさまざまな香水に親しまれていますが、好きな香りの系統はありますか?
香りに興味を持ってから、さまざまな香水を試しました。その後、自分の好きな香りに共通点があるのか気になって、香料や成分を調べてみたら、すべての香水にピンクペッパーが入っていたんです。驚きましたね。
緑川雄太郎さんにおすすめの新しい香り
Selected by NOSE SHOP
ーここからは、NOSE SHOPから新しい香りのご提案をさせていただきます。ブランドや作品のコンセプトが革新的で独創的であることはもちろん、今回は、よりアートと密接な関係にある香水をセレクトしました。まずは、「Andrea Maack(アンドレア マーク)」の「スマート|ホワイトギャラリースペース」です。アイスランドの著名なビジュアル・アーティストのアンドレア・マークが、アート作品として創作した香りを起源に生まれた香水ブランドです。
名前の「ホワイトギャラリースペース」は展示空間の意味ですよね? 私は「ホワイトキューブ」と呼んでいますが、紹介文に「インスタレーションアートの構成要素として生まれた香り」とあってとても気になりました。どんなインスタレーションなのか調べたら、どうやらムエットを使った作品のようですが、気になって仕方がないです(笑)。香り自体もめちゃくちゃ好きですね。
ーもう1つは、「Bogue profumo(ボーグ プロフーモ)」の 「オーイー」です。こちらは、逆説と矛盾の香りと呼ばれる香水で、緑川さんが取り組む人類以降のアート「ART AFTER HUMAN」のコンセプトにも通じると思い、選ばせていただきました。
「小さな巨人」など、矛盾する意味の言葉を並べて言い回しを強調する「オクシモロン」というレトリックをうまく利用した香水なのかなと思い、興味を惹かれました。アートにおいて、矛盾ってとても大切な要素。引き裂かれた言葉の間に謎という溝が生まれ、その空間がアートになりますから。この香りも何度も嗅ぎたくなる中毒性があると感じました。
(画像右)ブランド誕生のきっかけとなった、最初につくられた香りの1つ。バニラ、サンダルウッド、ホワイトムスクなどで、作品が展示される静謐な真っ白いギャラリースペースをイメージ。 Andrea Maack スマート|ホワイトギャラリースペース(オードパルファム)50ml 22,000円 (画像左)建築家、デザイナー、現代アーティストのアントニオ・ガルドーニが2012年に設立したイタリアのブランド。調香からボトリングまですべてをハンドメイドで手掛ける。そのプロセスが、商業化・工業化・分業化された現代の香水作りへのアンチテーゼであり、アートプロジェクトでもある。ベルガモット、グレープフルーツ、レモンを使用した、逆説と矛盾がコンセプトの分類不可能な柑橘系香水。Bogue profumo オーイー(エキストレド パルファム)50ml 42,900円
ーでは、最後に本日のインタビューを振り返って、感想を教えていただけますか?
私が取り組んでいる「ART AFTER HUMAN」の視点から香水を選んでいただけるとは、とても感激しました。その人の興味関心から香水を選ぶというカルチャーがあるんだと驚きです。すごく素敵だと思うのですが、このカルチャーに名前はないのでしょうか(笑)。香りを読む会とか、香読会とか、何か名前をつけたいですね。香りについて深く考える貴重な時間になりました。
PROFILE:緑川雄太郎
アートディレクター。1983年生まれ。2007年早稲田大学第二文学部表現芸術系専修中退。プロジェクトスペースpartyディレクター(2008-09)、アートグループ0000メンバー(2010-11)を経て、現在アートグループYAPディレクター(2012-)、コンテンポラリー・アート・ミュージアム・フクシマMOCAFディレクター(2021-)。トランスヒューマニズム、ポストアントロポセン、クォンタムコンシャスネスをベースに、人類以降のアート、「ART AFTER HUMAN」に関するプロジェクトを企画。
photo|Takuya Nagata
interview|NOSE SHOP
text|Miho Kawabata
NOSE SHOPのYoutubeアカウントでは、インタビューの様子を動画でも公開中!リンクはこちら